ゲイバーママが明かす文豪との交流 江戸川乱歩、水上勉など

9月7日(土)16時0分 NEWSポストセブン

江戸川乱歩も「吉野」の常連だった(写真/時事通信フォト)

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 各界の昭和スターたちが集った六本木の伝説のゲイバー「吉野」。この店で38年間ママを務めた吉野寿雄氏(88)は、芸能界だけでなく、スポーツ界や文壇にいたるまで幅広い交流を持っていた。三島由紀夫をはじめ昭和の文豪たちの“創作意欲”も掻き立てていたという吉野ママが、その交遊録を明かす。


 * * *

〈美術評論家の青山二郎、時代小説作家の村上元三など、名だたる文豪たちと交流があった吉野ママ。中でも、特に深い付き合いがあったのが三島だ〉


 先生と初めて会った時、見た目がタイプじゃないから正直興味がなかったの(笑い)。小説家って知らなかったし、当時はまだ新人だったからね。でも毎晩、お店で顔を突き合わせて喋っているうちに親しくなって、『仮面の告白』(1949年刊)っていう作品を書いているって聞いて、あぁ小説家なんだって思ったのよ。


 先生って豪快で、独特な笑い方をするの。お酒を飲んでは「ガハハハ!」って笑って、私たちのバカ話を楽しんでいたわ。


〈三島のほかにも、文学界、芸術界から、そうそうたる面々が店を訪れ、吉野ママにしか見せない「素顔」を見せた。すでに還暦を超えていた作家・江戸川乱歩も豪快な飲みっぷりを披露していたという〉


 乱歩先生は、十七代・中村勘三郎さんと「やなぎ」に来てくださっていたの。高名な作家だと知ってはいたけれど「おじいちゃん」くらいにしか思わなかった。


 でも乱歩先生、本当に元気でね。お店に来ると豪快にお酒を飲みながら、ちょっと「助平」な話したり私たちのお尻をふざけて触ったりして、“まだまだ現役なのね”って思ったわよ。


〈日本最初のゲイバー・新橋「やなぎ」のママにスカウトされた吉野ママは「やなぎ」で修業を積んだ後独立し、1960年頃に数寄屋橋に「ボンヌール」を開店する。その後、「吉野」に店を移してからも、名だたる文豪の来店は続いた〉


 吉行淳之介先生もよく来てくれたわ。ある日、常連だった中村メイコさんが連れてきてくれたのよ。先生の話は小難しい内容ばっかりで、私あんまり理解できなかったの(笑い)。でも、女の人って、ああいう知的な人が好きなんでしょう。とにかくモテたわ。


〈もう一人、吉野ママが親交を深めた作家がいた。水上勉だ。奇しくも水上は、三島と同じく金閣寺放火事件(1950年)を題材に小説を書いた一人。水上は『金閣炎上』で、三島の描いた「美の極致たる金閣寺への崇拝と反感」という観念的な放火説を真っ向から否定し、堕落した住職や仏教界への怒りと失望ゆえの放火だったとして物語を紡いだ。同じ題材を相反する視点で執筆した2人の作家が、吉野ママの元で交差していたのだ〉


 水上先生は、銀座の女の子が連れてきてくれて。水上先生は優しかった。極貧で小さい頃に寺に預けられたり、ずっと苦労してきたでしょう。だからかしら、決して偉そうにしないの。いつだったか、小説で「吉野」を取り上げてくれたこともあったわ。「サービスがとてもいい」って書いてくださった。


〈主義主張も職業も、まるで異なる人々が集った吉野ママの店。その「人間交差点」のど真ん中で、吉野ママはいくつもの出会いと別れを経験し、ドラマを目撃した〉


 いま思うと、店の中には本当の意味での「平等」があったのね。スターも大作家も、男も女も関係ない。お金を払ってくれた人は、みんな同じお客さん。私がそんな姿勢でやってたから、人が集まってくれたのかしらね。その記録をこうして残すことができて、もう何も望むことはない。


 天国に行ったら、またバーでも開こうかしらね。常連さんたちと一杯やってるから、よろしくね。


取材・文/宇都宮直子


※週刊ポスト2019年9月13日号

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