小籔千豊「高2あたりで尾崎豊的な心が芽生え始めて」川谷絵音×小籔千豊×清水ミチコ〈前編〉

9月10日(木)16時0分 婦人公論.jp


右から川谷絵音さん、清水ミチコさん、小籔千豊さん(撮影:大河内禎)

清水ミチコさんのモノマネ被害者でもある川谷絵音さんは、息をするかのように名曲を生み出していくスーパーマン。片や、ともにバンド「ジェニーハイ」を組む小籔千豊さんは、芸人、コメンテーター、ドラマー……とマルチな活躍が止まりません。そんな2人は清水さんの想像を超える秘話をどんどん繰り出して(撮影=大河内禎)

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「自分のバンドで手一杯」と言わない気はした


清水 一緒にバンドやろう、と声をかけたのはどっちだったの?

小籔 MCを務めていた番組『BAZOOKA!!』の打ち上げの席で、スタッフからバンド企画の話が持ち上がって。それなら、レギュラーメンバーになったくっきー!と(中嶋)イッキュウさんと一緒にできたらいいな、と思いました。

清水 小籔さんはドラムがうまいしね。

小籔 でも、ほんまもんのミュージシャンはイッキュウさんしかいない。やるなら、補強メンバーが必要です。それで僕が挙げた名前が、新垣隆さんと川谷さんだった。

清水 すごい組み合わせ(笑)。よくその名前を思いついたね。

小籔 新垣さんは例の騒動後、最初に出た番組が『BAZOOKA!!』だったから、ぜひキーボードをお願いしたい。あとは誰に曲を作ってもらいたいかを考えたとき、僕が「ゲスの極み乙女。」が好きだったのと、いくつものバンドを掛け持ちしている川谷さんなら引き受けてくれるんちゃうか、と思って。

清水 川谷さんもよく引き受けたもんだね。

小籔 「自分のバンドで手一杯」と言わない気はしましたね。

川谷 あははは。

清水 そもそも、4つものバンドを同時進行してる人なんて、滅多にいないでしょう。

川谷 自分で曲を作って、歌ってるミュージシャンではいないでしょうね。ソロプロジェクトや楽曲提供もやってますから、常に曲を作ってる感じです。でも今年はまだ、去年の53曲リリースのペースに追いつけてなくて。

清水 えっ、そんなにリリースしてたの? かっこいい!

川谷 去年はドラマの劇伴(劇中音楽)も作ってたんで、リリースしてない曲も含めたら70曲は超えてる。だから年間100曲はもうすぐだなっていう思いはあります。

清水 そんな人、いままでいたかな。量産型の川谷さんにとって、「ジェニーハイ」はひとつの挑戦だったんだね。

小籔 新垣さんも川谷さんも「世間を騒がせた度」で言えばマックスだから絶対面白いし、音楽の才能はえげつないものがある。冷静に考えれば加入してくれるわけないんですが、なんと2人とも!

川谷 当初は楽曲提供のみの依頼だったんです。でも収録中に、小籔さんとくっきー!さんが「じゃあギターも弾くってことで」って当たり前みたいに言うので、流れでメンバーになっちゃった。カメラが回ってるところで言われたら、やるしかない。(笑)

紅白でもちょっと間違えましたもん


清水 川谷さんは、子どものときからいまの片鱗はあったの?

川谷 五島列島に劇団を主宰するおじいちゃんと日本舞踊家のおばあちゃんがいて。美空ひばりさんの歌がずっと流れてるような環境だったんです。島のおじさんたちに「うまいな」と褒められながら、「川の流れのように」なんて1000回以上は歌ったんじゃないかな。ただ父は教師なので、ちゃんと勉強することは求められました。

小籔 川谷P(バンドのプロデューサーなので、こう呼ぶ)は大学院まで進まれてらっしゃるので。

川谷 応用分子化学を専攻してました。セラミックの研究室に入ってるときに「CD出しませんか」っていう話になって。最終的に親に相談して退学を決めました。

清水 バンドを複数やることは、最初から考えてたことなの?

川谷 はじめに組んだ「indigo la End」がなかなか売れなくて。それと別に趣味の気持ちで始めたのが「ゲスの極み乙女。」なんです。

清水 いくつも同時にやってると、いきなり歌うことになったとき歌詞が出るもんなのかね。

川谷 確かに出ないとき、あります。だって僕、紅白でもちょっと間違えましたもん。(笑)

小籔 いいんです。あの加山雄三さんだって、少年隊の「仮面舞踏会」を「仮面ライダー」ってでっかい声で言い間違えたんだから。

川谷 小籔さん、新喜劇でセリフを間違えたら、どうしてますか?

小籔 新喜劇の台本は、僕が作るでしょう。自分のところ以外はものすごくきっちり決めるんですよ。肝心の自分の出番はゆるゆるで、ときどきものすごい言い間違いしてるんですけど、みんなどうもアドリブだと思ってるみたい。(笑)


「友達はこれから4年かけて大学に行く。僕はとても行かれへん。なら同じ4年間で芸人の勉強やって、それからなにか探してもいいんじゃないかと思いました。」(小籔さん)

高2あたりで尾崎豊的な心が芽生え始めて


清水 小籔さんが舞台に立つと、やっぱりピシッとしまるって、野沢直子さんが褒めてたよ。

小籔 ほんまですか。そんなこともないと思いますけど、嬉しいです。ありがとうございます。

清水 座長になって、家族は大喜びなんじゃない?

小籔 90代のおばあちゃんが長生きしてくれてて、「お前がテレビ出てるからや」って家族からも言われますね。足が悪くて舞台にはこられないから、テレビの音量をマックスにして見てるらしくて。「ジェニーハイ」のことも「よかったなあ」って言ってくれます。

川谷 聴いてくれるのは、嬉しいですね。

小籔 このおばあは本当に堅い人で、小さい頃から僕をなんとしても国立の大学に入れて、ゆくゆくは公務員にしようとしてたんです。小学生のとき、「東大京大阪大……」って国立大学の名前を賢い順に言わされとったくらいで。

清水 小学生にそんな呪文を!

小籔 高校もまあまあな進学校に進んだんですけど、高2あたりで尾崎豊的な心というか、将来への疑問みたいなのが芽生え始めて、1100人しかいない学年で1098番まで成績が落ちた。そんなとき友達と難波を歩いてたら、劇場の前で憧れのバッファロー吾郎さんが呼び込みしてたんです。

清水 小籔さんが高2ってことは、90年代に入ったばかりの頃だね。

小籔 舞台にまずバッファロー吾郎さんが出てきて、時速150キロの笑いの球をバーンって抛(ほう)る。そのあと聞いたこともない千原兄弟っていうのも、150キロの剛速球。やっぱりプロの芸人は違う、と感心してたらその次の次に出てきた人が110キロくらいの球抛ってきて。

清水 そりゃ遅く感じるね。

小籔 なのにそいつ、そのあとのゲームコーナーで、バッファロー吾郎さんと仲よくワイワイ戯れてる。代われボケ、と思うでしょう。

清水 あははは。それが芸人を目指した理由?

小籔 友達はこれから4年かけて大学に行く。僕はとても行かれへん。なら同じ4年間で芸人の勉強やって、それからなにか探してもいいんじゃないかと思いました。

清水 おばあちゃん、がっかりしてたでしょう。

小籔 しばらくは懲りずに、予備校に行かせようと粘ってました。

子どもの頃から食べ慣れていないと


清水 そうだ、小籔さんはお肉をまったく食べないけど、それはそのおばあちゃんからの教育?

小籔 いえ、そのおばあの夫のおじいですね。療術師だったんで、うちの診療所では健康食品とか自然食品みたいなものも販売してて。僕は小学4年生のときにはじめて白米食べたくらいですから。

清水 じゃあずっと玄米だ。

小籔 20代のとき、意識高い系の女が「玄米って知ってる?」って言ってきたことがあったんですよ。誰にぬかしとんねんお前、麦なんて子どもの頃に食うたことないやろ、と内心思いましたね。(笑)

川谷 特殊なものが多そうですね。

小籔 玄米で言えば、殻を多く残したタイプでしたし、水道水もアルカリの石を沈めないと飲んではいけなかったですね。あとは大麦若葉を削った粉。当時は青汁なんて呼び名はなくて、うちで売ってたのは「グリーンマグマ」って名前でした。あとは、酵素。

清水 早い! いまの流行りを先取りしてたんだ。

小籔 子どもの頃は風呂上がりに酵素飲まなかったらどつかれとったんですよ。アイスもケーキも食べさせてもらえませんでした。

清水 よく我慢できたね。

小籔 それが当たり前の生活だったんで、なんとも思わなかったです。で、年齢とともに禁止されていたものを食べるようになったり、食べさせられてたものをやめていったりしたんですが、やっぱり子どものときから牛豚鶏を食べてないと、味がもうダメなんですよ。何度トライしても、おいしいと感じられる体にはもうならなかった。

〈後編につづく〉

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