横浜銀蝿 80年代振り返り「アイドルから電話番号を…」

9月15日(日)6時0分 女性自身

校内暴力や暴走族が社会問題となっていた ’80年、音楽業界に突如現れたリーゼントにサングラスの4人組。アウトローな見た目から繰り出される“本物感”と親しみやすくキャッチ—な音楽のギャップで一気にスターダムを駆け上がり、短期間で完全燃焼した伝説のグループがオリジナルメンバーで再結成! アラ還の“ツッパリ”たちが当時の思い出から現在の心境までを本音で語り合った。



「音楽をやってるだけで十分楽しかった。だから、女のコにモテたいとかまったくなくて。有名になって、好きな車に乗れたら最高だなぁと思っていたよ(笑)」(翔・61)



活動期間は3年3カ月と短かった。しかし40年がたった今も、’80年代の不良文化の代名詞として語り継がれる元祖ツッパリ「横浜銀蝿」。リーゼントに革ジャン、サングラス、とその風情は健在。



「高校生のときの服が着られます」とJohnny(61)が言えば、高校時代から彼を知る翔は、「全員、シワは増えたけどな。でも、笑って生きてきた証しだよ」とうれしそうにメンバーの顔を眺める……。



’80年9月、シングル『横須賀Baby』でレコードデビュー。『ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)』などのヒット曲を連発した。



「初めてもらった給料は100万円だったかな。嵐さんが指をなめながら札を数えて平等に分けたんだ」



と振り返るTAKU(58)。初給料で全員、念願の車を購入したという。



「俺はシボレー・コルベット・スティングレイ。“売れたら、絶対買おう”って決めていた」(翔)



’80年代といえば、歌番組の全盛期。『ザ・ベストテン』(TBS系)や『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)といった人気番組の常連組に横浜銀蝿も名を連ねた。



「俺らも、トシちゃん(田原俊彦)や聖子ちゃん(松田聖子)と同じく花の’80年デビュー組。でも、全然仲よくなれなかったね。廊下とかですれ違うときも必ずマネージャーが間に入ってきて、まったく近づけなかった。異様だったよ」



そう語る翔だが、アイドルと付き合ったりして? とツッコむと、「家の電話番号が書かれたメモを何枚かもらったよ(笑)」とまさかの告白。驚く一同は、「初めて聞いた!」(Johnny)、「40年後にそんな話を聞くなんて!」(TAKU)と大興奮。



「ラジオ番組で2人きりになったとき、デスクの下からメモを渡されて。でも、返事はしなかったよ。彼女がいたし、俺、いちずなのよ(笑)」



バレンタインデーともなれば、トラックでチョコレートが届いた。「Johnnyがいちばん多かった。2万個は来たよ」(翔)



そんな人気絶頂のなか、わずか3年あまりでグループは解散。



「デビューするときから2年間で解散する約束だった。シングル1位、アルバム1位、日本武道館を満タン。この3つの目標のなかでシングル1位だけ取れなくて、悔しいからもう1年やろう、と。俺たちのトップを阻んでいたのは、シャネルズと寺尾聰さん。みんなサングラスをかけていたね(笑)」(翔)



公言していた目標を達成。’83年の大みそかのラストライブで完全燃焼した4人はそれぞれの道へ。



結成40周年を迎える’20年。解散後、37年の時を経て、初めてJohnnyを加えたオリジナルメンバーで再結成する。



「今、楽しくてしょうがない」



と喜び全開の翔。いっぽう、再結成の誘いに最初は戸惑ったというJohnny。心境を語った。



「ギターを20年以上も弾いてなかった俺が、いまさらステージに立てるわけがないと思いました。でも、死ぬほど練習すれば、なんとかまた、みんなの仲間にしてもらえるかなぁって。ゴルフクラブをギターに持ち替え、目下猛練習中です。この気持ちは、デビュー前のワクワク感と似ていますね」



その言葉にうなずくTAKUは、「役者がそろった」と表現。



「こうして並んで座っているだけでも実感する。銀蠅はこの4人なんだと。素直にうれしいですね」



そして、誰よりもこのときを強く願っていた嵐(64)は抱負を語った。



「来年は、TAKUも60歳になって全員60代になる。“ツッパリ”に少々疲れも見えますが、相撲の土俵際のような“うっちゃり”をお見せしたいなぁと思います(笑)」



’20年2月にはオリジナルアルバムを発売予定。’20年の年末まで全国ツアーをはじめ精力的に活動する。

女性自身

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