『GORO』秘話「グアム100回、ハワイ120回行った」と渡辺達生氏

9月15日(日)16時0分 NEWSポストセブン

浅野温子、ブレイク直前19歳のビキニ

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 創刊当初のグラビア誌『GORO』編集部があったのは、小さな3階建てのビルの一室でした。1階がとんかつ屋で、店に置いてあるノートに名前を書くとタダでカツ煮を食べることができました。『GORO』編集部が払ってくれていたみたいで、毎日昼はカツ煮を食べていた(笑い)。あの味だけは忘れられません。


 当時の編集部は勢いがあって、スタッフもどんどん増えて移転するたびに広い部屋になった。私が最初のグラビアを撮ったのは16歳の片平なぎささん。まだ予算がなかったのでロケ地は湘南だったけど、しばらくすると国内からグアムになって、そのうちグアムにも飽きてハワイになりました。


 数えてみたら、『GORO』でグアムに行ったのは100回。ハワイは少なくとも120回行きました。毎月1週間から10日滞在して、その間にモデルが入れ替わり立ち替わりやってきて、2〜3人撮影するというパターンですね。


 その頃のカメラはフィルムだから、今のデジタルと違って後から修正するのが大変でした。毛を一本消すのも手間が掛かるし、肌の色も調整できません。麻生祐未さんは、ロケ地に前乗りして小麦色に肌を焼いてから撮影に臨んでいました。私も、今ではあまり見られない黒のレフ板を使って陰影を作って少しでも体が細く見えるような工夫をしたりして、カメラマンも知恵を絞り技術を駆使して撮っていました。


 1992年に休刊になってからも、OB会を開くと当時の編集者やフリーのカメラマン、ライターなどが30人以上も集まるほどで、誰にとっても強い思い入れのある雑誌だったんです。


『GORO』のアートディレクターだった長友啓典さんは生前、一緒にゴルフに行くと車の中で、「もう一度、1号だけでいいから復刊したい」と話していました。「表紙は誰がいいかな」なんて盛り上がっていたのだけど、いつのまにか立ち消えになったから残念です。長友さんの遺志を継ぐというわけじゃないけど、復刊してほしいですね。その時の表紙は……二階堂ふみさんがいいね。


※週刊ポスト2019年9月20・27日号

NEWSポストセブン

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