「BOØWYの『Marionette』は矢沢永吉にも通ずるヤンキーの価値観の曲」 KGDR、Dragon Ash、浜崎あゆみはなぜ“ヤンキー”に愛されたのか

9月17日(金)18時0分 文春オンライン

「ヨーランとリーゼントを歌った横浜銀蝿は全員大学まで通っていて…」 80年代のヤンキーが“ヤンキーではなかった”横浜銀蝿に憧れた理由 から続く


 70年代の暴走族をルーツに、80年代にはツッパリ、90年代にはチーマー……と時代ごとに変化を遂げてきたヤンキーたち。そんな彼らにとって音楽は切り離せない存在で、どの時代にもヤンキーたちに支持されてきた音楽があった。ならば、時代ごとのヤンキーに好まれた音楽から、当時の“ヤンキー性”を考察できるのではないだろうか。


 そこで、著書『 世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析 』(KADOKAWA)などでヤンキーの精神性について分析している、精神科医で批評家の斎藤環氏にお話を伺った。(全2回の2回目。 前編 を読む)


90年代、ツッパリとチーマー


——90年代に入ると、渋谷駅周辺にたむろするチーマーやカラーギャングといった、新しいタイプのヤンキーたちも登場します。



©️iStock.com


斎藤 彼らが新しい勢力であったことは間違いないでしょうね。しかし、チーマーは主に渋谷や池袋と言った都市部の不良文化だったので、地方にもそういう人がたくさんいたかというと、そうではないと思います。『チャンプロード』などのヤンキー系雑誌ではまだ、特攻服や改造の特集が組まれていましたし、全国的な人口でみれば伝統的ヤンキーの方が圧倒的に多かったと思います。


——では、当時はどんな性質のヤンキーが多かったのでしょうか。


斎藤 タテ社会的なものへの反発がだんだん強くなっていて、喧嘩でやられるのはいいけれど、先輩たちから理不尽にやられるのはごめんだという価値観が当時から出てきたように感じます。それまでヤンキーたちは縦社会を遵守していましたが、90年代頃からはそうした秩序からの離脱も起こり始めていたようですね。さらにこの頃からは、以前よりあったヤンキーの家族主義・仲間主義が前面に出てきたという印象を持っています。


上の年代まで広がったヤンキーの年齢層


——暴走族やツッパリにもあった仲間意識が、より色濃くなったのが90年代ということですね。


斎藤 その一番大きな要因はヤンキーの年齢層が上の年代まで広がっていったことにあるでしょう。70〜80年代のヤンキーや90年代のチーマーやカラーギャングは、成人すると卒業したイメージがあります。一方、地方のヤンキーたちはこの時代になると大人になっても抜けないケースが増えてくるんです。そんな彼らが成人してもヤンキー的な集団に受け入れられるために、家族や仲間を大事にしようというような道徳的な価値観を、積極的にアピールし始めたのかもしれません。


 また、この時代からヒップホップやラップの音楽が一部のヤンキーたちの間で人気を集め始めたのも、無関係ではないでしょう。今もヤンキー的な層に支持され続けているヒップホップやラップですが、日本の音楽シーンでのルーツは90年代。家族や仲間を大切に思う気持ちが表現されやすいこのジャンルが、ヤンキーたちに前述のような価値観を植えつけた可能性もあると思います。


90年代のヤンキーたちからも愛された「BOØWY」


——90年代後期になると「KGDR(キングギドラ)」や「Dragon Ash」が登場していました。では、そういったヒップホップカルチャーから派生したグループやバンド以外で、90年代のヤンキーたちに支持されたミュージシャンはいますか?


斎藤 80年代を駆け抜けたバンドですが、「BOØWY」の存在感は90年代のヤンキーたちの圧倒的な支持を誇っていました。「BOØWY」は、よくこれだけ揃えたなと思うくらい、ヤンキーに好まれる要素が揃っているバンドだったんです。曲は非常に聴きやすく、ヒットチューンも多い。そして、歌詞の内容も当時のヤンキーの心情にマッチするところがあります。


 典型的なのはバンドの代表曲『Marionette』でしょう。社会の歯車になるな、匿名の存在になってはいけないというメッセージ性があるのですが、これは矢沢永吉さんの『アリよさらば』にも通ずる、ヤンキーの普遍的な価値観なんです。1988年に解散していますが、当時の「BOØWY」の存在感は矢沢永吉さんに匹敵するものがあり、解散後もヤンキーシーンへの影響はとても強いバンドでしたね。


00年代、「悪さをしないヤンキー」が増加


——00年代は、威圧的なファッションが特徴のオラオラ系のヤンキーが増えた時期でした。


斎藤 ほとんど90年代の延長線上にあると思います。ただ、90年代のヒップホップやラップの音楽にルーツがあった家族主義、仲間主義、気合主義みたいなものがより全面開花したのが00年代でしょう。この流れを象徴するのがダンスユニット「EXILE」の人気でした。オラオラ的な不良っぽさもありつつ、天皇即位20周年の奉祝曲はサングラスを外して歌うようなお行儀の良さもある。


 00年代以降はロストジェネレーションで若者たちが弱者になっていたので、従来のヤンキーカルチャーは維持できない状況に追い込まれたのです。00年代のヤンキー音楽と言えば「氣志團」、あるいは「DJ OZMA」も重要な存在ですが、ボーカルの綾小路翔さんによれば、パロディの文脈が複雑すぎて一般のヤンキーファンはほとんどいなかったそうです。


 また、集団で人に迷惑をかけるようなヤンキーはすっかり減っていたのも特徴です。“悪さをしないヤンキー”、いわゆるマイルドヤンキーが一般化していった。ヤンキー的と思わせるのも、威圧的なファッションと、ちょっとした逸脱行為のみ。例えば、バーベキューでどんちゃん騒ぎをして、周囲に騒音被害やゴミ被害をもたらす程度の悪さはしても、一般人に無軌道で暴力行為を働くというような、過剰に人の道から外れるようなことはしないというところでしょうか。地元から出ずミニバンでイオンに通い、家ではミニチュアダックスを飼う、といった保守的なライフスタイルを送るマイルドヤンキー層が一気に分厚くなったのもこの時代ですね。


ヤンキーファンが多い浜崎あゆみ


——そんな00年代のヤンキーたちに好まれたのは、どんなミュージシャンだったのでしょう。


斎藤 もちろん、さきほど挙げた「EXILE」が突出していますが、ヤンキー音楽史的に重要なのは浜崎あゆみさんではないでしょうか。浜崎さんの音楽はヤンキー的ではありませんが、それでもヤンキーのファンが非常に多かった。


——1998年デビューの浜崎あゆみさんは00年代には国民的な歌姫となっていました。2000年にデビューし00年代中期にブレイクした倖田來未さんも同じ路線ではないでしょうか。浜崎さんや倖田さんは、ヤンキーの世界とは縁遠いところにいる人にも好まれていた印象があります。


斎藤 そうですね。00年代前半に取材を兼ねて浜崎あゆみさんのコンサート会場に出向いた際、本当に客層が幅広くて驚いた記憶があります。改造車が会場を取り巻いていたりもしていましたが、その持ち主たちも普段は普通に仕事をして家族を持っているようなヤンキーたちだったのではないでしょうか。


 この時期にはすでに、ヤンキー的な感性自体が一般化していたのでしょう。ヤンキーが不良文化を離れて、カルチャーとして一般人口に浸透していったと考えれば、相互に流入することにも納得できる気がしますね。おそらく、ヤンキーの要素を部分的に持っている人というのは、ものすごい数いると思うんです。コラムニストのナンシー関さんが、日本人の50%はヤンキーだとおっしゃっていましたが、その言葉がかなりの説得力を持つくらい、潜在的にヤンキーの要素を持つ人々は多いのかもしれません。


 ですが、あえて00年代以降のヤンキー音楽からその特徴を語るならば、“痛み”があると思います。浜崎あゆみさんの人気の理由には、“絶望三部作”と呼ばれている『vogue』『Far away』『SEASONS』などの楽曲に投影された彼女の複雑な生い立ちや、居場所を求める気持ちへの共感もあったはずです。さらにそれ以降、ヒップホップの隆盛とともにヤンキーカルチャーのトラウマ性はさらに前景化されてきました。


 現在、ヤンキー的な層に人気を博すラッパー「ANARCHY」も自身の過酷な生育歴を自伝的に反映した『FATE』という楽曲を発表しています。もちろんヒップホップのモチーフは痛みだけではありませんが、「ANARCHY」の『FATE』では、ヤンキー文化に通底する痛みが借り物ではない言葉で、自己表現にまで昇華されているんです。私も彼の作品に出会ってからは、暴走や金や女という世俗的にも見える主題の背景に、痛みという要素が透けて見えるようになった。彼のリリックに本来の意味で救われ、生き延びられたヤンキーの若者も少なくないと思いますね。


——確かに、90年代までは強気な生き様を反映した楽曲が人気を集めていたようですが、00年代以降は繊細な心情を歌うミュージシャンや楽曲もヤンキーたちに支持されていますね。


斎藤 先日愛知県で密集フェスを開催して非難を浴びたイベント「NAMIMONOGATARI」は、ヤンキー的な参加者も多かった。もちろん、あのようなイベントは批判されてしかるべきですが、それはそれとして、現在のヒップホップこそはヤンキー文化の精髄であり一つの到達点ではないかと思っています。


ヤンキーからパリピへ


——近年、わかりやすいビジュアルのヤンキーを見かける機会が減ってきています。それは00年代から徐々にヤンキーと一般人の境界線が曖昧になってきたからかでしょうか。


斎藤 そうかもしれません。普段真面目に働いている若者でも、成人式の日だけ往年のツッパリを彷彿させる髪型などにして、羽織袴を着て人生で一度のお祭り騒ぎに参加したりする。そういう光景を見ていると、やはりヤンキー的なスピリッツを持っている人はまだまだたくさんいるのだと思います。


 そしてヤンキー的感性の一般化が進んだ結果、現代では富裕層や芸能界にもバッドセンスを持ったヤンキー的な人がたくさんいます。ヒップホップに関しても、著名な精神科医である石川信義の息子で早稲田大学出身の「RHYMESTER」宇多丸が、不良のカリスマ的存在のラッパーであるZeebraと親友……という関係性が象徴しているように、“あちら側・こちら側”という分断はあまりないんです。そういった意味では、民主的といえる風景が広がっているのではないでしょうか。この形式の中で、ヤンキー文化がどのように進化していくか、今は楽しみにしています。


(文=福永全体/A4studio)


【前編を読む】ヤンキー音楽から考えるヤンキー性の変遷、「横浜銀蝿」はパロディバンドだったはずが…


(斎藤 環)

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