ジェーン・スー「万人に共通すると思われる〈普通〉が吹っ飛んでいく時」

9月17日(金)8時0分 婦人公論.jp

イラスト:川原瑞丸

ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は、皆が使いたがる「普通」という言葉について。(文=ジェーン・スー イラスト=川原瑞丸)

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「普通」の概念なんて、実は存在しない


言いたいことの枕詞に「普通は」をつけて、自分の発言に説得力を増したくなる時がある。「普通に考えてありえない」とか「普通は**だ」など。なるべく使わないように注意しているが、たまにポロッと出てしまう時がまだある。

なぜ「普通」を枕詞にしたくないのかと言えば、ついこの間まで万人に共通すると思われていた「普通」の概念なんて、実は存在しないことがわかったからだ。

私が子どもの頃には「両親が揃っているのが普通」なんて言葉が、それこそ普通に使われていた。その状態が「普通」となると、シングルペアレントの家は「異常」となってしまう。「両親が揃っていないなんて可哀相」という言葉を、いまよりずっと浅はかだった頃の私も使ったことがあるかもしれない。そういう不躾な言葉をどこかで耳にしたシングルペアレント家庭の親子は、どう感じただろうか。想像すると、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。可哀相かどうかなんて、誰かにジャッジされるものではない。両親が揃っていたって、不幸な家はゴマンとある。

ざっくり言えば偏見だ。「女の敵は女」もそう。私も、若かりし頃には信じていた。女の足を引っ張るのは女だと。なぜか? そういうエンターテインメントが数多くあったからだ。現実社会をよくよく観察してみれば、足を引っ張る人間に性別は関係ない。ただ、女が女の足を引っ張った時だけ、「ほら、見たことがある景色だわ」と指差し確認ができるだけ。

頭に繰り返し刷り込まれてきたこと


両親がいるほうが幸せな家庭という思い込みも同じ。ドラマや映画に出てくる幸せな家庭は、たいてい両親が揃っている。かたや、シングルペアレントの家庭はどう描かれてきただろうか。

シングルペアレントの家庭がおしなべて幸せだと言いたいのではない。シングルペアレントと不幸が直線で結ばれたような創作ばかりが世に溢れ、昭和と平成の半分くらいまでは、われわれの頭に繰り返し刷り込まれてきたことを自覚しておいたほうがよいという話。「Seeing is believing」(見ることは信じること)という言葉がある。日本語で言うなら「百聞は一見に如かず」。私たちには、目にしたことがあるものは「ひとつの事実」として認識できる能力がある。

少し前なら、女性駅員の存在など想像もつかなかった。「女にはできない仕事」と思っていた人もいるだろう。しかし、日常的にそれを目視できるようになると、過去の考えは吹っ飛んでしまう。

吹っ飛びついでに卑近な話をしよう。先日、女友達と私の三人で、飽きもせずに恋愛の話をしていた時のこと。ひとりが「一回り以上年上の男性とお付き合いする自分の姿はイメージできるが、一回り以上年下は難しい」と言った。私は「なるほど」と聞いていたが、もうひとりは首を傾げる。聞けば、彼女の周りには女性がうんと年上の幸せなカップルが複数存在するらしい。なるほど、Seeing is believingだ。

さて、私は世間になにを見せることができるだろう。私が楽しそうにしていることで「これも、アリ」と思ってもらえるようなこと。女が未来に恐怖を感じずにいられるなにかを見せられたら、本望だ。



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