中日ドラ6高卒ルーキー・山本拓実が1軍デビュー 下位指名から活躍するための3カ条

9月18日(火)11時0分 文春オンライン

 松坂大輔の活躍が脚光を浴びるドラゴンズで、ドラフト6位の高卒ルーキーが1軍デビューを飾った。その名は山本拓実。9月11日に1軍登録されると、翌12日の甲子園球場での阪神戦で2ー8の7回から登板。右腕からの最速148キロのストレートを武器に2回を1安打2四球、3奪三振で無失点に抑え、「(緊張で)ホームまで30メートルに感じた」「ようやくスタートラインに立てました」と初々しい笑顔を浮かべた。


 昨年のドラフト会議で、チームのしんがり6位で指名された山本拓。市西宮高では甲子園出場経験こそないが、昨年6月の練習試合では2度目の春夏連覇を今夏果たした大阪桐蔭高を相手に7回を3安打6奪三振、3失点と好投し、スカウトの評価を上げた。


 ドラゴンズでは、ドラフト制度が施行された1965年以降、6位指名以下の高卒新人が1年目に1軍出場を果たしたことは過去になかった。その意味では歴史的な登板だったといえるが、裏返せばドラフト下位の高卒新人にとって1軍のハードルはそれほど高いということになる。



9月12 日の阪神戦で1軍デビューを飾った山本拓実


球団史上初の「6位指名以下の高卒1年目1軍デビュー」


 高卒入団はよほど完成した選手でない限り、最初の数年間は体作りやプロの技術を磨くことにファームで費やす。ただ、これがドラフト下位の選手となると、試練は一層増すことになる。


 ドラフトの指名順位は球団の期待値を表すものでもある。そのため、2軍の試合でも下位指名の選手はチャンスを与えられる場面が限られることが多く、そこで結果を出せないとチャンスが一層減っていくという負のスパイラルにはまってしまう。


 さらに育成システムが確立されている球団であればいいが、時にはコーチにフォームなどをあれこれいじくり回され、つぶされてしまうケースもある。コーチとすれば、あまり注目されていないドラフト下位選手なら結果が出なくて当たり前。高卒なら契約金なども低いため、指導法の誤りが問題となって大事になることも少ない。逆に指導がハマって活躍すれば、自分の手柄とすることができる。プロ入りすると長所や個性が消え、存在感が薄くなってしまう選手がいるのは、そのような背景が一因となっていることもある。


 このように見ていると、デメリットばかりが目立ってしまうドラフト下位選手。しかし、東大に入学するより難関とされるプロ入りを果たしたのだ。その実力は上位選手と紙一重といっていい。そこで、これまでの事例から、ドラフト下位から巻き返す方策を私なりに考えてみた。



山本拓のお手本、西本聖イチロー、山田喜久夫


第1条「西本聖を見習え」


 松山商から1974年にドラフト外で巨人に入団し、鋭く曲がり落ちるシュートを武器にプロ18年間で通算165勝を挙げた西本は、ドラゴンズにトレード移籍した89年に20勝(6敗)を挙げて最多勝にも輝いた。当時は中日スポーツのドラ番だった私が西本からよく聞いたのは、同期への執念ともいえるライバル心だった。


 西本が入団した年のドラフト1位は、今でいう超イケメン、甲子園では女性ファンを中心に絶大な人気を誇った鹿児島実業の定岡正二だった。新人選手入団会見で華やかなスポットライトを浴びる同期をひな壇の片隅から見やっていた西本は「絶対に定岡の上をいく投手になってみせる」と誓い、その思いがプロで活躍する力の源となった。


 このような強い思いは、下位指名された選手だからこそ。山本拓も、プロ入り同期には7球団が1位指名で競合した日本ハムの清宮幸太郎(早実高)がいる。「いつか日本シリーズで清宮と対決し、打ち取ってみせる」。このように思ってみたらどうだろう。いや、もう思っているかもしれない。


第2条「イチローを見習え」


 1991年に愛工大名電高からオリックスに4位指名されたイチローは、振り子打法と当時呼ばれた独特の打撃フォームを矯正するようにコーチらから強要されたが、断固として拒否。3年目の94年に、そのフォームでプロ野球史上初となるシーズン200安打の偉業を達成した。


 コーチらのアドバイスなどに耳を傾けることは大切だ。ただ、それを鵜呑みすることなく、自分の中で消化した上で取捨選択する勇気は、スポーツに限らずどの世界でもサバイバルに不可欠だ。そのためにはイチローのように、己が信じる道からブレない確固とした信念を持ち続けることが必要となる。


第3条「山田喜久夫を見習え」


 89年5位で東邦高からドラゴンズに入団した山田は、リリーフを中心にプロ8年間で通算222試合に登板する活躍を見せた。高校時代は88年選抜準優勝、89年選抜優勝という輝かしい経歴を持つ左腕にも関わらず下位指名だったのは、身長167㌢の山本拓と同様に小柄だったことに加え、球速も130キロ台で卓越したものではなかったから。


 それでも山田は1年目の7月30日に1軍デビューし、その年は17試合に登板して戦力となった。左腕から大きく割れ落ちるカーブを持ち、制球も抜群だったため、左打者へのワンポイントリリーフなどで重宝されたのだ。プロ入り後は剛速球を投げ込む同僚たちに目もくれず、カーブの精度を磨き上げた。このように自分ならではの武器をつくることも、プロで生き残っていくためには必要不可欠のことだ。


 ちなみに山田は今、ナゴヤドームの近くで、わらび餅店を営んでいる。おいしいと評判なので、ぜひとも足を運んでいただきたい。


 この山田喜久夫らの記録を抜き、1年目デビューを果たした山本拓。ここまでドラフト下位から生き残る術を書いてきたが、何よりも今のドラゴンズには08年6位・小熊凌祐(近江高)、12年7位・若松駿太(祐誠高)、16年5位・藤島健人(東邦高)の、下位指名から1軍にのし上がった現役の高卒投手がいる。山本拓には、よき先輩たちを生きたお手本とし、これから何年間もドラゴンズの主力投手として活躍してほしい。


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(ヘンリー鈴木)

文春オンライン

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