金足農準優勝 “カナノウ旋風”が吹き荒れた夏

9月19日(水)11時0分 文春オンライン

 気が早いにもほどがある、と思った。


 この夏、甲子園で取材中の私の元に、旧知の雑誌編集者からラインが届いたのは、8月17日の夜だった。快進撃を続けていた秋田代表の「雑草軍団」、金足農業が3回戦で優勝候補の横浜相手に、8回裏の逆転3ランで5−4と劇的な勝利を飾った晩でもあった。



吉田輝星投手 ©文藝春秋


〈金足農業が優勝した場合、記事をご寄稿いただけますか〉


 あまりにも現実味がなく、ひとまず〈もちろん、いいですよ〉と返事をしつつも、〈勝負はわからないですが、さすがにないと思います〉と付け加えざるを得なかった。


 編集者からは〈もしものもしものもしもの時は……〉お願いしたいと返信があり、〈確率的にはそんなものだと思います〉と返した。


疲労を味方につけた吉田


 金足農のエース・吉田輝星は3回戦を終えた時点で、疲労困憊に映った。


 吉田は秋田大会5試合すべてを完投し、甲子園でも1回戦(8日、鹿児島実戦)で157球、2回戦(14日、大垣日大戦)で154球と、たった一人で投げ抜いていた。横浜戦は、中2日で164球を費やし、またしても完投。試合後、吉田は今大会初めて座ったまま取材を受けていた。


「中盤は疲れて集中力が切れてました。股関節が痛かったので、(5回終了時の)グラウンド整備中もマッサージを受けていました」


 準々決勝は翌日に控えていた。


 かりにそこを越えたとしても、その後は、1日休養日をはさんで、準決勝、決勝とやはり連戦になる。



©文藝春秋


 トーナメントは「山」と呼ぶことがあるように、標高が高くなればなるほどあと一歩が過酷になる。金足農業は、まだ3回戦を突破しただけ。決勝までの試合数だけを見ればちょうど半分だが、残りの3試合の険しさは、相手のレベル、試合日程を考えたら、そこまでの3試合の比ではなかった。


 ところが、である。



 吉田はここから、ある意味で、疲労を味方につけた。


「力が入らない中で、かえって無駄のないフォームで、キレのあるボールが投げられるようになった」


 準々決勝の近江戦は140球で3−2、準決勝の日大三戦は134球で2−1と、それぞれ勝利。打たせて取る投球を覚えた吉田の球数は、投げるたびに減っていった。



決勝進出を伝える「号外」


 金足農が決勝進出を決めた直後、編集者から再度、メールがきた。


〈もしものもしもまで来ましたね〉


 決勝の結果いかんにかかわらず、原稿を頼みたいとの内容だった。もはや私も書かずにはいられないという気持ちになっていた。


 決勝戦、金足農は大阪桐蔭に2−13で大敗した。最後の「もしも」はかなわなかったが、準優勝でも、今も信じられないような心境である。


 金足農は秋田大会の初戦から甲子園の決勝まで全11試合、たった9人で戦い抜いた。しかも全国一過疎化の進む秋田県のいち地域から偶然集まった選手たちである。


 現代の高校野球において、こんなことが可能なのだろうか(可能だったわけだが……)。まるでおとぎ話だ。


 大会を終え、秋田を訪ね、彼らがどのような想いを背負って戦ってきたかを、発売中の 「文藝春秋」10月号 「吉田輝星を生んだ金足農『34年の絆』」で書いた。監督、選手、OBにじっくりと話を聞いて、腑に落ちた部分はあるにせよ、それでもまだ夢を見ているような心持だ。



文藝春秋 10月号


大阪桐蔭か、金足農か


 大会記念号を出す予定だった出版社の編集者たちは、決勝後、表紙を史上初となる二度目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭にするか、旋風を起こした金足農の吉田にするかで、ずいぶんと迷っているようだった。


 報道的な立場を貫くなら大阪桐蔭だろうし、印象を優先するならやはり吉田だろう。


 あと10年、20年経ったとき、この夏、100回を迎えた全国高校野球選手権大会をわれわれは、どう振り返るのだろうか。


 何十年経とうとも大阪桐蔭の偉業は、色あせるものではない。


 ただ、こう回顧せざるをえない気がする。


 金農(カナノウ)の夏だった、と。



(中村 計/文藝春秋 2018年10月号)

文春オンライン

「優勝」をもっと詳しく

「優勝」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ