松坂世代最強バッターと言われた男、吉本亮はいま福岡で……

9月20日(木)11時0分 文春オンライン

 福岡では「元ホークスの」という枕詞で大々的に報じられた。


 杉内俊哉の引退のニュースだ。'11年オフ、ホークス球団とのボタンの掛け違いが大騒動に発展し、FA権を行使して巨人に移籍してしまった。ホークスファンの失望の声、恨み節をどれだけ耳にしたことか。ただ、それはある意味、杉内が深く愛されていた証でもあった。かのサウスポーは間違いなくホークスのヒーローだった。彼のおかげでどれほどの感動を貰い、素晴らしい思いをさせてもらえただろうか。杉内自身もホークスへの恩義はずっと胸の中に抱いている。近々、福岡を訪れるという話も伝わっている。ありがとう。お疲れ様。本当に感謝の言葉しかない。


 また、今年は栃木ゴールデンブレーブスでプレーをした村田修一も現役にピリオドを打ち、ベイスターズの後藤武敏も今季限りでユニフォームを脱ぐ。


 松坂世代が一人、また一人と現役を去っていく。


 総勢94名がプロ入りした世代だ。高卒に限らず様々なキャリアを経ているため、全員が同時期にユニフォームを着ていたわけではないが、大卒組が入団した'03年あたりがピークで同時に70名近くが在籍した時期があった。


 その1980年度(昭和55年度)生まれのプロ野球選手たちが結成したのが「昭和55年会」だ。


 高卒入団組が1年目オフの'99年12月に発足。当初は親睦を深めるための団体に過ぎなかったが、「昭和40年会」(古田敦也池山隆寛、星野伸之ら)「昭和48年会」(中村紀洋、黒木知宏、小笠原道大ら)といった球界の先輩たちに倣い、徐々に野球教室やチャリティーイベントを全国各地で積極的に行うようになっていった。


 '03年オフから松坂大輔が先頭に立ち、3年間の任期を経た後は村田が会長職に就任したのだが、発足時の「55年会」初代会長をご存知だろうか。


 吉本亮。


 投は松坂、打は吉本。松坂世代最強バッターと言われた男だ。熊本・九州学院高校の主砲として'98年夏の甲子園に出場。初戦で平塚学園に敗れたが、吉本は当時史上12人目となる2打席連続本塁打を放ってみせた。そして高校通算66発の実績を引っ提げて、ドラフト1位でダイエーホークスに入団したのだった。


 若い時から堂々としていて、竹を割ったような性格。


 いわゆるアニキ肌で、引っ張るというよりはまとめ上げるのが上手な男。


 ホークスの「55年世代」である和田毅は「松坂世代を強いて他の呼び方をするなら『吉本世代』ですよ」と言い、同じく同級生の新垣渚(現球団職員)も「みんな納得すると思う。まとめ役は亮です。アイツの言うことはみんな聞くし、(松坂)大輔も同じことを言うと思う」と頷いたという。


“しくじり先生”になる覚悟で


 その吉本は、今——。


 昨年11月にホークス3軍打撃コーチに就任。指導者として再びユニフォームに袖を通した。そしてコーチ1年目のシーズンがまもなく終わろうとしている。



トスを上げる吉本コーチ


「僕自身、プロに入って誰よりも失敗してきました。失敗した数では負けない。だからこそ、若い選手たちの失敗の確率を減らしてあげられると思うんです」


 自身の現役生活は13年。長距離砲として期待されながら、ホークスに在籍した10シーズンで一度も本塁打を打てなかった。ヤクルトに移籍した最初の年、‘09年8月21日に神宮球場で巨人の豊田清から待望のプロ1号を放った。ただ、これが1軍で放った最初で最後の本塁打だった。


 決して弱音を吐かなかったし、落ち込む素振りすら見せたことはなかった。しかし、周りの期待と自身の置かれた現状のギャップに苦しんだのは誰の目にも明らかだった。打撃を崩し、迷い、苦しんだ。


 自身が経験したからこそ伝えられることがある。吉本コーチは“しくじり先生”になる覚悟で若鷹たちと向き合っている。


「3軍に居ると、たとえいいモノを持っている選手だとしても1軍、ましてや2軍とのレベルや環境の違いを感じるうちに自信を無くしてしまう選手も多いんです。自分の能力に気づかせてあげるのも役割の一つだと考えています。生き生きとした選手が多くいるチームにしたいんです」



吉本コーチの助言でヒットを量産


 育成重視のホークスが誇るスカウト陣が発掘してきた逸材たち。今のチーム事情のニーズと照らし合わせた時、何としても才能を開花させてもらいたい選手が、3年目の黒瀬健太だ。


 初芝橋本高校で通算97発の本塁打を放った右のスラッガーである。しかし、プロ入り後は自慢の打撃で苦戦しており、まだ1軍出場はない。今季も4月に2軍公式戦で本塁打を放ったが、多くを3軍で過ごすシーズンとなった。


 それでも夏場になり、何かコツを掴んだかのようにヒットを量産し始めた。関川浩一3軍監督によれば「外角のスライダーが苦手で春先はそのゾーンに限定した打率が1割未満しかなかったのが、夏以降は3割後半と劇的によくなったんです」という。



 黒瀬は「吉本コーチに感謝しています」と話す。


「すごく具体的に分かりやすい言葉でポイントを伝えてくれるから、自分の何がおかしいのか、どこを変えればいいのかが理解しやすいんです」


 黒瀬が変わったのはミートポイント。前に置きすぎて泳ぎながら振る形になっていたのを、しっかり呼び込めるようになった。また、スイングの軌道も「去年までは上から叩こう」という意識が強すぎるあまりに、ボールとバットを“線”で結べずに点でとらえていたために確率が悪かった。「アッパースイングでもいいんだぞ」。その一言で修正が出来、持ち味の柔らかいバットスイングの感覚も取り戻した。


「自分に合うバットに悩んでいた時も、吉本コーチが自宅からいろいろ持ってきてくれて、その中から城島(健司)さんのモデルのものを使ったこともありました」


 2人のやりとりを傍で聞くと、決して優しい言葉遣いではない。辛口なこともある。でも、その裏側には愛情があることは伝わってくる。昨年までホークスに居た鳥越裕介コーチに似た空気感がある。



大本、増田らも3軍で急成長


 また、黒瀬の他にも、まだ育成枠ながら左打ちの大砲候補である大本将吾は2年目の今季、3軍で4番に定着するまでに成長した。


「1年目は上から叩く打撃をしていました。でも、ずっとおかしくて自分には合っていないのかなと思いながらも、他に方法が思いつかなかった。吉本コーチからアドバイスを貰い、レベルスイングというかアッパースイングでもいいという感じでバットを振るようになると、明らかに手応えが違ってきました」(大本)



 横浜高校から入団した1年目の増田珠は3軍ながら打率3割以上を残し続けた。


「高校時代は金属バットだったので、後ろを大きくとって、あとはボールに衝突させようと思って振っていました。でも、プロは木製バット。吉本コーチにアドバイスも貰いながら、打ち方を変えました。力まず、自然とトップを作ったところから最短距離でバットを出すことを心がけました」(増田)


 高3夏の神奈川県大会では同大会新の4試合連発と同タイの5本塁打を記録したが、「僕は中距離打者タイプだと思っている。ツボに入ったら大きな打球も打つけど、毎年3割を打つ打者になりたい。そして目標は2000安打」と語る。そんな将来を予感させる打棒をさっそく発揮したルーキーイヤーだった。



 かつて最強世代のナンバーワン打者と呼ばれた男の育成手腕。ホークスの将来が楽しみだし、新しいスターの出現はプロ野球界の未来も明るく照らす。


「実際は不可能な話かもしれないけど、3軍でやっている選手、まだ育成の選手もみんなが上の世界で勝負できるようになってほしい。そう思いながら選手とは接しています。大変なことだし、しんどいことを乗り越えなければならない。だけど好きな野球をやっているんです。そう思えば、彼らは無駄にする時間なんてないはず。そんな気持ちを持ってやってほしいです」


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(田尻 耕太郎)

文春オンライン

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