五木寛之「太地喜和子は、どこか聖なる場所からやってきた女という気配があった〜ガルシア・ロルカの影」

9月21日(火)18時0分 婦人公論.jp


太地喜和子(たいち・きわこ)
1943年東京生まれ。高校在学中に東映ニューフェイスに合格し、芸能活動を始める。卒業後の63年に俳優座養成所に入団。67年に杉村春子に憧れて文学座に入団、以降、舞台『美しきものの伝説』『飢餓海峡』『近松心中物語』などに主演。68年の映画『藪の中の黒猫』で全裸での演技を披露し、話題となる。テレビドラマ『白い巨塔』などに出演。92年、地方公演先で乗車していた車が海に転落し、48歳で死去(撮影:本社写真部)

作家でありながら「対談の名手」とも言われる五木寛之さんは、数十年の間に才能豊かな女性たちに巡り合ってきました。その一期一会の中から、彼女たちの仕事や業績ではない、語られなかった一面を綴ります。第一回は太地喜和子さんです。

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彼女の死を驚かなかった


太地喜和子が不慮の死をとげてから、どれくらいの時間が過ぎただろう。

太地喜和子は車ごと海に落ち、一人だけ車中で死んだ。そのニュースを聞いたとき、なぜか私は驚かなかった。

私は太地喜和子という女優のことを、ほとんど知らない。個人的なことだけでなく、俳優としての仕事のことも知らない。私は太地喜和子の舞台を一度も見たことがなかったのだ。

彼女もまた私の本など一冊も読んでいないだろうと思う。いろいろある太地喜和子論を読んでみると、まるで女優の仕事を抜きにして彼女の存在はないかのようだ。

人間とはそういうものではあるまい。テニスをやらなくなったら大坂なおみは存在しなくなるのか。

太地喜和子が女優をやるのだ。女優が太地喜和子を存在させているのではない。

太地喜和子マイナス女優、イコール、ゼロか? そうではないだろう。私は女優という仕事を抜いた後に残る人間に関心があったのだった。

役者は舞台の上でだけ生きるのだ、素顔の人間なんて役者じゃない、と言う人がいる。そうかも知れない。だとすると、私は本当の太地喜和子の姿を知らない。しかし女優としての太地喜和子を知らない分だけ、生身の、というか、素顔の太地喜和子の姿をかいま見た気がしないでもないのである。

女と男の中間をさまよう大きなサナギ


彼女について私が初めて文章を書いたのは、1971年のことだった。『NOW』という今はなき伝説の雑誌の人物論である。その文章の執筆のためのインタビューで、彼女はつよい印象を私にあたえた。私もまだ三十代で若かったし、太地喜和子も若かった。そのとき書いた文章を読み返してみると、脇の下がむずむずしてくる。太地喜和子のほうも、そうだったにちがいない。

「キザな文章を書くお兄さんだねえ」

と、酒の席で笑っていたのではあるまいか。

そのときの文章の一部を再録してみよう。時代を感じさせる名前がいくつも出てくる。

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〈(前略)太地喜和子は男っぽい女である。
 と、いうことは、官能的に見えながら、実はその反対の硬質の精神に充ち満ちた存在であるということだ。
 しかし、真に官能的である女、性的に卓越した女は、常に女性的ではない。表面的に女らしい女、セクシュアルな女に、本当の女はいない。この意味で太地喜和子は、本当の女になり得る可能性を秘めた、目下のところはそのどちらともつかぬ地点をさまよっている男っぽい女である。(中略)
 緑魔子にはさしずめドストエフスキイの作品を読む面白さと魅力があり、杉本エマにはフォークナーの長篇をひもとく興味があった。麻生れい子は、そうなるとチェスタートンかアポリネールの短篇の奇妙な味が感じられるといっていい。とすれば、太地喜和子は?
 やはり正解はガルシア・ロルカであろう。彼女は小説というより、詩に近い。それもスペインの土と誇りに彩られた血の匂いのする前近代の魅力とでもいえようか。
「あたし、おカマが好きなの」
「麻生れい子もそうだった」
「一緒にお風呂にはいっても、ちっとも変な感じがしないわ、彼ら」(中略)
 太地喜和子は、霞町の裏通りにある小さな店で、うどんを食べ、おでんを片づけ、水割りを気持ちよくお代りして、ちょっとかすれた声で春歌をうたい、その場にいる男たち、ライターや、写真家や、編集者のみんなに気を配って夜明けまで疲れを見せなかった。
 夢野久作の小説をもし舞台か映画にするとすれば、そのヒロインには彼女が最もふさわしいような気がする。
 太地喜和子は、まだ女と男の中間をさまよっている大きなサナギであるが、彼女は必ずその境界線を越えるにちがいない。その時、私たちは真に男性的であると共に、真に女性そのものでもある本物の人間としての彼女にめぐりあうことになるのではあるまいか〉
『NOW』1971年12月号より


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対談「男殺し役者地獄」


その雑誌が出てしばらくしてから彼女と会った。

「ガルシア・ロルカって、スペインの絵描きさんよね」

と、彼女はとぼけた口調で言った。たぶん私のキザな文章がよほど照れくさかったのだろう。

話は変るが、私はこれまで対談という仕事を何よりも大事にしてきたし、好きだった。対談のゲラ刷りには、必ず手を入れて編集者を困らせたものである。太地喜和子もそうだった。

1973年に彼女とやった対談のときも、私が手を入れた後に、彼女はさらに加筆と削除を重ねて、その対談はあたかも演芸場での漫談ふうの仕上りとなった。これまで無数の対談をこなしてきた私の対談歴のなかでも、とびきりテンポのある対談だと思う。『オール讀物』の新年号特別対談である。題して、「男殺し役者地獄」。その一端をご紹介する。

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太地 しばらくでございます。お待たせをして申し訳ございません。
五木 最初はいつもこうだな。どこの良家の子女かと思っちゃう。
太地 文学座は、しつけがよろしいものですから。(笑)
五木 ビールでいいですか。
太地 あたくし、水割りをば。
五木 うかがいますが、まさかいま御殿女中の役かなにかおやりになってるんじゃ──。
太地 いいえ。女郎をやっておりますの。水上勉先生の『飢餓海峡』で。
五木 また女郎ですか。なんだかあなたは女郎役が多いね。
太地 そうなのよ。十八番の女郎役。
五木 週刊誌のグラビアで、勝新(勝新太郎)の座頭市かなにかに組みしかれてる写真がありましたね。太股出して、裾を乱したあられもない恰好で。あれも女郎だったな。
太地 よかったでしょう。
五木 勝新がゴツいもんだから、あなたがすごくか細く見えてね。妙にサディスティックな色気があってよかった。
太地 あのラブシーン、おかしいったらないの。あたしが上になって勝新さんが下なのよ。それで、ア、ア、アーン、なんて声だすの向こうのほうなんだから。
五木 あなたが上だったの。
太地 どういうわけかあたしが上。それで座頭市がアッ、アッ、ウフーンって悶えるのよ、映画では。変ってるわね(笑)。ところで、これ、なんの対談? まさかベトナム戦争の見通しとか──。
五木 『オール讀物』の新年号対談。新年号ですぞ。
太地 へえ、新年号。新年号って、ひょっとしてお正月号のことかしら。
五木 そう。お正月女優っていう位だから、編集部じゃ岩下志麻を考えてたらしいけど、なぜかあなたにすり変っちゃった。見てくれは岩下さんだけど、話は太地喜和子のほうが面白いんじゃないかって。
太地 お正月女郎ね。(中略)
五木 新年女優ってのは、やはりオーソドックスに選ぶべきだったかな。心配になってきた。
太地 いーえ、あたしでいいの。ナガシマさんだってあたしのこと、素敵だって言ってくれたわよ。
五木 ナガシマさんって、あの、巨人の長嶋?
太地 そう。対談したの。長嶋ってお正月向きの人じゃない。その人と対談したんだから。
五木 そういえば思い出した。あなた、長嶋の子供が生みたいって言ったとか──。(後略)
『オール讀物』1973年1月号より


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霞町のバーで飲む彼女を見た


こんな調子で、芝居のことを語っても、恋愛のことを喋っても、なによりもテンポがいいし、サービス精神にあふれている。しかし、そのテニスのラリーのような言葉のやりとりの背後に、彼女の心の裂け目というか、或る虚無感がにじみでているような気がして仕方がなかった。

「わたし、小学生のとき、授業中に机の角にあそこを押しつけてオナニーしてたの」

とあるとき彼女が言った。

「ご存知でしょうけど、むかし一生に一度っていうくらいの恋愛したわけよ。二人で駆け落ちみたいに北の方へ逃げてね。それでセックスはしないの」

「疲れてたんだろう。男は疲れるものなんです」

「ちがうの。ちょっと変った性癖のある人でね、わたしを椅子に坐らせてオナニーしろっていうのよ。わたしがそうすると、彼はそれを見ながら自分でするの。外は雪でね。切なかった」

いちど前にインタビューをした霞町のバーへ顔を出したとき、中村勘九郎(十八代目中村勘三郎)と二人で隅っこで飲んでいる彼女を見た。対談のときの屈強そうな太地喜和子ではなく、しっとりと相手に寄りそっているような感じだった。

長田渚左さんの書いた『欲望という名の女優 太地喜和子』という本を読むと、太地喜和子という人の多面性がよくわかってはっとするところがある。だれもが自分は太地喜和子を知っている、と思っているが、じつはそうではない。奔放にみえる彼女は、対する相手によっては自在に変るキャラクターの持主なのだ。舞台での存在感は、その多面性の引き出しのようなものだろう。

大道芸人の血が流れているよう


強烈な個性の持主のように見られる彼女は、実際には自分がない人間なのかもしれない。その虚無の深さが、役者の才能というものではあるまいか。

とかく男の噂の絶えない太地喜和子だったが、彼女のなかには男性への根づよい不信感がわだかまっていたような気がする。

太地喜和子が信頼していたのは、男性ではなかった。女優の新橋耐子さんのことをとても頼りにしていて、よく彼女のことを話していた。

太地喜和子は伊豆で自動車事故で死んだ。その事故について、いろいろと推測する向きが多かったが、真実は本人にしかわからない。

雑誌の対談は、こんなふうに締めくくられている。

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太地 あたしはネ、ちょっとそうなんですよ。(坐り直して)サディスティックなところがあるの、精神的に。
五木 そうかもしれないね。ぼくはあなたと喋っていると、何だか共犯者みたいな気持ちになってしようがない(笑)。同類っていうか、きみが女泥棒で、ぼくはうしろから、あすこ、こうやってああやって盗めっていうのが、いちばん合ってるんじゃないかと思う。
太地 それ、面白そうね。やりましょうか。
五木 ぼくがおだてて、きみが調子にのって「じゃ、やってみるか」なんて(笑)。だからきっとぼくときみとは美人局をやるとうまくいくと思うね。「あれ、ちょっとキザだから、こういうふうに引っかけて」「うまくいくかしら」「絶対大丈夫」「じゃいってくるわ」とか。そういう感じ。(笑)
太地 やれる。絶対できる。(笑)ときに、ちょっとトイレ行ってきていい?
五木 昔のお女郎は、そんなふうに客をごまかして回しをとったもんです。(笑)


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太地喜和子の体のなかには、なんとなく昔の大道芸人の血が流れているように感じることがあった。同時にどこか聖なる場所からやってきた女という気配もあった。

彼女は自分が笑うとき、ガバッと大口をあいて笑うのが男心をそそるのだと言っていた。コロナの季節、つねにマスクをして目もとだけでアピールする時代は、たぶん太地喜和子にとっては、ひどく棲みにくい世の中だろうと思う。ガルシア・ロルカの名前も、最近はあまり聞かなくなった。

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