安奈淳「全身性エリテマトーデス、心臓弁膜症、がん…病のトリプルパンチを受けて、体の声を聞く大切さを知った」

9月21日(火)12時0分 婦人公論.jp


「私の場合、特に夏場は暑さ疲れから自律神経のバランスがくずれがちで、ともすれば空腹感すら覚えなくなってしまう。そこで意識的に食生活を整えるようになりました。」(撮影:藤澤靖子)

宝塚花組の元トップスター安奈淳さんは、舞台に立ち続け多忙な毎日を送るなかで、難病に見舞われました。闘病の果てにたどり着いた体調管理術とは?(構成=丸山あかね 撮影=藤澤靖子)

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3度の食事は薬の服用のため


——芸能生活56周年を迎える安奈さん。1975年、宝塚花組のトップスターとして演じた『ベルサイユのばら』のオスカル役は、人々に大きな夢と感動を与え、社会現象になるほどの人気を博した

当時は20代後半でした。舞台はスタミナ勝負とはいえ、焼肉を4人前食べたあとにデザートもペロリと平らげてしまうほどの痩せの大食いで(笑)。夏になると食に支えられていた日々を思い出します。それはきっと、スタミナをつけなければ暑さに負けてしまうと思ったからでしょう。

おかげさまで現在は元気に過ごしていますが、74歳になった今ではすっかり食が細くなりました。私の場合、特に夏場は暑さ疲れから自律神経のバランスがくずれがちで、ともすれば空腹感すら覚えなくなってしまう。そこで意識的に食生活を整えるようになりました。1日に3食、食べる時間もほぼ定めて、つまりルーティン化を図っているのです。

長続きさせるためのコツは支度の簡素化。たとえば朝食はメニューや段取りを決めておけば、起き抜けのぼんやりした頭でも準備することができます。季節に関係なく冷蔵庫に常備しているのは、サラダ用のベビーリーフ、レタス、トマト、シソといった野菜類。

朝は7時に起床して青汁を飲み、野菜ミックスにワカメと胡麻を加えたサラダを作ります。それからトースト、生ハムか卵料理を少し。ヨーグルトは毎日欠かさずに。最後は豆乳ティーを夏でもホットで、内臓が温まるのを感じながら、ゆっくりといただくのが日課です。

3食の中で朝食がもっともボリュームがあります。それは朝服用する薬がもっとも多いからなのです。基本的に昼も夜も、薬を飲むために胃に何か入れる必要があるのですが、そのための食事ではあまりに味気ないでしょう?

コロナ前は、友人とランチをしたり、夜も誰かを誘って外食をすることが珍しくありませんでした。会話が弾むと楽しいし、同席している人につられて食も進みますから。

内臓の数値が安定し、何でも食べられるようになったのは70代になってから。それまでは薬との相性が悪いといった理由から卵料理はダメ。鉄分も摂取厳禁だったので、ホウレンソウや赤身の肉、魚など、食べられないものがたくさんありました。今は本当に幸せ。笑いながら食事をする日が来るなんて、再びステージで歌っているなんて奇跡だとしか思えません。

末端まで血液が届かなくなる「レイノー現象」だった


——安奈さんが、激しいむくみと呼吸困難により緊急入院したのは53歳の時。検査の結果、自己免疫疾患である膠原病の一つ、「全身性エリテマトーデス(SLE)」を発症していることが判明した。関節、筋肉、腎臓、心臓、肺など全身の機能が障害を受ける難病だ

31歳で宝塚を退団した後は、ミュージカルの舞台やコンサート活動で相変わらず忙しい毎日を送っていました。でも今にして思えば、倒れる数年前から体の不具合を感じていたのです。手足の先が冷たくなって、しかも猛烈に痛くなる日があったりして。

末端まで血液が届かなくなる「レイノー現象」だったのですが、そうとは知らず……。年齢由来の一過性のものだろうと自己判断をして、漢方と整体で改善することができると妄信していたという体たらく。

でも単に楽観的だったわけではなく、大丈夫でなきゃ困る、だから大丈夫だと言い聞かせて乗り切るという、いわば根性が培われていたということなのです。タカラジェンヌは一様に強い精神力を備えていますが、私たちの時代は特に、風邪をひいたくらいでお稽古を休むなんてありえないという風潮でしたし、骨折しても休む理由にはならなかった。

私にしても、共演者に迷惑をかけられないという思いが先立って、自分の体のことは二の次三の次にしていました。でも自分の体のことは自分にしかわからないのだし、自分しか守ることができません。第一、根性で一時しのぎをしたとしても、結果的に倒れてしまえば本末転倒になってしまう。

自分の体をなおざりにしていたことを後悔しています。具合が悪ければ大事をとって休むのも仕事のうちだったのに、専門医に診てもらうことが先決だったのに、と。

約10年間入退院を繰り返して


緊急入院した時のことはほとんど覚えていません。一命はとりとめたものの、50代から60代にかけての約10年間は入退院を繰り返していました。今でこそ大学病院には「膠原病科」がありますが、私が発症した20年前は医師たちが手探りで治療していた時代。ステロイドとインターフェロンを併用するという、今ではありえない治療法しか術がなく、それに伴う激しい副作用に苦しみました。

味覚障害、幻覚、幻聴に襲われ、思考回路が破壊されたような感覚で、1+1が計算できず、言語に対する理解力も低下。挙句の果てにうつになり、「死ななくちゃいけないんだ」「死ねば楽になれる」という観念にとりつかれて、3度も自殺未遂事件を起こし……。そうこうしているうちに特効薬ができて救われました。医学の進歩というのはありがたいものです。

ただ免疫が落ちるというのは本当に深刻なことで、2012年には心臓弁膜症がみつかり、今も治療中です。15年には初期の腎臓がんで右腎臓の腫瘍を切除しました。SLEの壮絶な苦しみに比べれば大したことはない、と動じることはありませんでしたけれど。

私は亡き母が守ってくれているのだと思っているのです。58歳という若さで、病に苦しんで命を落とした母は、どんなにか無念だったことでしょう。母の分まで生きなければという思いが私の生きる支えとなっているのを感じます。

安奈流夏バテ回避法とは?


私の座右の銘は「立つ鳥跡を濁さず」です。大病を経て命の尊さとともに儚さも知りました。独り暮らしですから、身辺整理をしておくことが大事。いつ、誰に見られてもいいように常に部屋を片付けておくことを心掛けてもいるのですが、これが適度な運動につながっています。

私の朝のルーティンは、朝食からはじまり、後片付け、掃除、洗濯といった家事全般までがセットなのです。時間が許せばラジオ体操をすることも。体中の細胞が活性化するのを実感します。

夏こそ注意しなければ、と考えているのは冷え。といって冷房を使用しなければ熱中症になってしまいます。そこでマメに室温に注意を払い、ストールなどで体温調整をしています。

SLEには紫外線の恐怖も


一方、外では紫外線の恐怖が待ち受けています。SLE患者にとって強い日差しは大敵。病状が悪化したり、再燃・再発の引き金になったりすることも。私はひどい皮膚炎を起こしたことがあるので、肌を露出しないと決め、タクシーの中でも日傘を差していることがありました。

それから水分補給を十分に。病気をするまで水を飲むことに無頓着でしたが、今は水分を摂取することの重要さを認識しています。のどの渇きを覚える前に飲むことが夏バテ防止の鍵だと知って以来、飲みたくなくても常温の水を定期的に飲むようになりました。

もう一つ意識しているのは質の良い睡眠です。眠りはうつ予防に不可欠。眠れずに悶々とするよりはずっといいと考え、私は睡眠導入剤を服用しています。パジャマは着心地の良いものを吟味して、毎日洗ってアイロンがけも。私はマメさと生真面目さで夏バテを回避しているのです。

すべては舞台に立って歌うため。傲慢だと言われてしまうかもしれませんが、誰かが私の歌を聴いて心癒やされた、希望を感じたと言ってくだされば嬉しいのです。私を支え、助けてくださった方々のご恩に報いるためにも歌い続けたい。これからも精進していきたいと思っています。

婦人公論.jp

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