いじめから不登校、高校も出られず全国各地を転々と。弟たちにも煙たがられる長男は、私の子育てを責めた

9月23日(木)18時0分 婦人公論.jp


イラスト:北住ユキ

そっと様子を窺ったり、励ましの言葉をかけたり。ふたたび立ち上がる日がくることを願うなか、わが家にも「8050問題」の影が忍び寄る──。井毛田良子さん(仮名・63歳)は3人の息子を持つ保育士。長男が小学校で受けたいじめをきっかけに不登校になり、高校を中退し仕事も続かず……。

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つまずきの始まりは、いじめだった


20代後半で長男を出産するまで保育士として働き、保育の勉強もしていた私。子育ては楽勝だと思っていましたが、わが子ほどうまくいかないものはない。そう今は思います。

それぞれ2歳差で3人の息子がいますが、なかでも長男の子育ては、胸が締めつけられるような苦労ばかりでした。生まれたときから手のかかる子で、落ち着きがなく、どうしてこうなるんだろう、と育児書を読み漁る日々。

4歳のころから吃音が出始め、また、左耳の聞こえが悪いこともわかりました。私も右耳がほとんど聞こえず、それでもそれなりに生きてこられたので、気にする息子に「たいしたことではないよ」と言い聞かせて育てました。

小学生になると、サッカーをやりたいと言うのでスポーツ少年団に入れましたが、そこで同級生や上級生、コーチからいじめに遭います。無視されたり、ときには1対30で囲まれたりしたこともあったそうです。

6年生になって、私のほうが我慢できなくなり、最後の試合を控えた合宿のときに「もう行かなくていいよ」と辞めさせました。いまとなっては、この一言が長男の人生を大きくゆがめてしまったのではないかと思います。この後、何を始めても最後までやり通すことができなくなってしまいました。

金属バットで壁に穴、ペンキをぶちまけ…


中学校ではテニス部に入部したものの、そこでもいじめに遭い、不登校に。このころの私は、自室にひきこもる長男を何とかして学校に行かせたいという思いから、強く叱ってばかりいました。

荒れた長男は、私たちに手こそ出さなかったものの、金属バットで家の壁に穴を開けたり、赤いペンキを部屋にぶちまけたりと壮絶に暴れます。小さいころから兄にいじめられていた弟たちは怯えて、私とただ遠巻きに見ることしかできませんでした。

夫は転勤の多い仕事で、当時は香川県に単身赴任をしていたため、電話で相談すると話を聞いてくれましたが、具体策を見つけてくれるわけではありません。一筋の光を求めた私は、登校拒否児を持つ親の集まりに参加し、心を許せる友人にもすがりました。心療内科に通ったこともあります。

私にはパートとはいえ保育士の仕事があり、ほかにも息子が2人いるのだから、落ち込んでいる場合ではない。そう自分を奮い立たせ、長男と向き合う努力を続けました。

中3になった長男には、普通科高校の受験を諦めさせ、定時制高校に入れましたが、いま思えばこの選択もよくなかったのでしょう。半年後には「辞めたい、普通科に転入するから予備校に行きたい」と言い出します。定時制は休学して予備校に通い始めたものの、それも3ヵ月で「勉強についていけない」と、行かなくなってしまったのです。

ふたたび家で暴れる長男を扱いあぐねていたとき、夫の岡山転勤が決まりました。いっそ長男を一緒に連れて行ってはどうか。本人に聞いてみると、心機一転、新しい土地でやり直すという計画に心が動いたようで、岡山での2年間は友達もできて楽しそうにしていました。しかし次の転勤で福岡の定時制高校に転校すると、夜遊びを覚えて通わなくなり、卒業することはできませんでした。

一度は自宅に戻ってきたのですが、なにしろ田舎ですから本人が望む仕事もなく、半年後にまた「福岡で働くから」と言います。今度こそうまくいってほしいと願っていたのに、本人から届くメールは「お金がないので貸してほしい」とか、「体の調子がよくない」という内容のものばかりでした。

変化の兆しが見えてきて


夫の転勤に合わせて、静岡で電機会社の営業、横浜では家電メーカーの工場勤務……と、本人なりに仕事を見つけて頑張ってはいるのです。でも、会社の倒産などの不測の事態が起こると落ち込み、そのたびに福岡へ。

このとき、ヤクザの知り合いができたようなのです。羽振りがよくてカッコいいと息子は言いますが、親としては不安しかありません。最後は夫のいる大阪へ行ったものの、そこで望む仕事を見つけられず、とうとうまたひきこもり状態に戻ってしまいました。

長男が自宅に戻ってくると知った次男は、「同じ家で暮らしたくない」と近くのアパートに出ていきました。三男は遠方で暮らしていましたが、もし家にいたらそうしていたでしょう。同じきょうだいなのに、なぜ長男だけ普通に就職し、同じ会社で勤め続けることができないのか。私としては、その時々に本人がやりたいことを尊重してきたつもりなのに……。やっぱり、私の育て方に問題があったのでしょうか。

注意しようものなら大きな音を立てて扉を閉めるなど、39歳になっても成長しきっていないわが子の姿があります。アルバイトが続かなくても、「悪いのは全部人のせい」。その考えを叱ると、「耳が聞こえないし、吃音のせいで仕事もうまくいかない」「自分は17歳でこの家を出てから、ずっと一人で闘ってきた」と、私を責めるようなことを言うのです。

一方で、少しずつ長男が変わってきている手ごたえも感じています。今年の春から職業練校に通い始め、建築図面作成の資格を取るべく講座を受けているのです。最近は、「ある程度貯金ができたら横浜に出て働きたい」と前向きな発言もするほど。

ようやく定年を迎えた夫と私が80代になったとき、彼はちゃんと働くことができているのでしょうか。今度こそ最後までやり遂げてほしい、と願うばかりです。

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