「わかる」と「わからない」が両立する《恋愛未満》の関係 〜豊島ミホ「あなたを沈める海」に見る名場面

9月23日(木)13時0分 婦人公論.jp

人をひきつける文章とは? 誰でも手軽に情報発信できる時代だからこそ、「より良い発信をする技法」への需要が高まっています。文筆家の三宅香帆さんは、人々の心を打つ文章を書く鍵は小説の「名場面」の分析にあるといいます。ヒット作『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』の著者の連載。第11回は「恋愛未満」の名場面について……

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第10回「《動物》〜小川洋子『ことり』に見る名場面」はこちら

「一目惚れか!? 一目惚れなのか!?」


世の中に「えっ、いつこの人たちは惹かれあったんだろう」と首を傾げる物語は、多々存在する。

ふたりが恋人関係になるのはいいのだが、その手前の、出会いから恋愛感情を持つに至るまでの過程が一ミリも描かれていない。いや描かれていないだけならいいのだが、考えてみてもよくわからない。「一目惚れか!? 一目惚れなのか!?」と邪推するのだが、たいていそういう場合って、ふたりはすぐに恋人になる。お互い一目惚れなんてこの世にあり得るのだろうか。いったいなぜこのふたりは、とクエスチョンマークが五個くらい頭に浮かぶのである。最近だとジブリの映画である『風立ちぬ』は、私にとってなぜ惹かれあったのか描かれていないストーリーの代表例であった。

もちろんそういう物語って、ほとんどが恋愛を主軸に置いていない話だから、割愛しているだけなのはわかる。しかし、それでも私は、せめてなぜお互いが惹かれあっているのか、その理由だけでもそこに描かれていてほしい。言葉にしなくてもいいから、必然性を持たせてほしいのだ。

そんなわけで、今回紹介するのは「恋愛未満」の関係性の描写。

決定的に誰かを好きになったその瞬間を描くのはダサいかもしれないけれど。読者にほんのりと「あ、このふたりって恋人になるんだろうな」と予感させるくらいは、してほしい。そして、予感させる理由をそこにエピソードとして盛り込んでほしい。私の好みの問題だが、読者として心からそう願っているのだ。


『純情エレジー』豊島ミホ・著、新潮社(「あなたを沈める海」収録)

「高三の夏の、保健室でのことだった」


「恋愛未満」の関係性を描いた名場面として挙げるのは、豊島ミホの短編集『純情エレジー』に収録された「あなたを沈める海」の一場面。

高校生の遥は、同級生の男子・照が堂々と小説を書いていることに、やや引いている。彼は休み時間も一心不乱に小説を書き、それを隠そうともしないのだ。

ーーーーー


「将来は売れっ子作家になって、自分の作品をアニメ化してもらいたいです」
 と、進路講座の後に書いた作文発表で、照が言っていたのをおぼえている。照と仲のいい男の子たちは大げさなほど手を叩いたけれど、教室の三分の一くらいはしんとなった。三分の一のわたしたちは、優等生の照に真顔でそんなことを口にされて、言いようもない不安に襲われたのだ。優等生は優等生らしくきちんとしていて欲しい、若干つまらないくらいの人間でいて欲しい。そういう勝手な思いが多分にあった。
 その、つかみどころのない照を、わたしがちゃんと見たのは、高三の夏の、保健室でのことだった。
 体育をずる休みして、ソファのうえで脚をぶらぶらさせていたところに、照が入ってきたのだった。Tシャツにイモジャー姿の照は、保健室を見渡してから、わたしに「先生は?」とたずねた。そこには他に誰もいなかった。
(中略)
 照はしばらく、向かいのソファで黙っていたけれど、クラスメイトと分ける沈黙に耐えかねてか、足を引きずって窓辺まで歩いていった。それから、窓枠に手をついて、大きくふうと息をした。
 その背中になんとなく目が行った瞬間、わたしのなかで照は変わった。七月の緑をうつした窓に、すこやかな背中がひとつ、向かっている。山のてっぺんに立った送信所のアンテナみたいに、さみしくまっすぐな直線を、背筋が描いていた。
——このひとはきれいなんじゃないかなあ。
 とわたしはおもった。そしてもうひとつ、さみしいんじゃないかな、とも。
 わたしには、脇目もふらず夢中になれることはなにもない。あったこともない。けれど、それを持っているということは、うつくしくて、そして孤独なことなんじゃないかと、ふと感じた。照の背中を通して、一瞬だけ、カーテンの向こうに透かした空のような、淡いひかりを見たのだ。
「照くん」
 と呼ぶと、彼は振り向いて「え?」と言った。
「小説ばっかで、さみしくないの?」
 わたしの質問は、ともすれば、ばかにしたような言い方に聞こえたかもしれない。けれども照は、「さあ……」と少し首を傾げたあと、笑顔になって言った。
「さみしいよ」
 台詞と表情が合っていなかった。照はものすごく満足げに笑っていた。
 その顔にわたしは言いようもなく惹かれ、ソファから身を乗り出していた。
「わたしと遊ぼう」
(「あなたを沈める海」『純情エレジー』p38-40豊島ミホ、新潮社)


ーーーーー

周りからは笑われるような自分の夢を、はっきりと口にし、それを迷わない同級生。彼に対して、遥は最初そこまで興味を持っていなかった。

しかしある日保健室で、彼の姿を見たときから、遥のなかで照の存在が変わる。その瞬間を描いたエピソードである。

私がこのエピソードをとても好きな理由は、遥から見た照が、理解できるようで理解できない、そのぎりぎりのラインのところにちょうど存在しているからだ。

というのも、これ、「恋をさせる魅力とは何か?」をものすごく端的に表現したシーンだと思うのだ。

契約すらなくて、魅力だけがそこにある


人は魅力でしか他人を縛れない、という言葉をネットで見かけたことがある。どこで見かけたのか忘れてしまったので出典を書けないのだが、本当にその通りだと思う。結局、人を最後の最後で繋ぎとめるのは、魅力だ。

しかし一方で、魅力は、分解しづらい。他人をいいなと思う感情を突き詰めてゆけば、「なんか、よくない?」というようなふんわりした言葉に落ち着くことが大半だ。

恋人未満の関係というのは、まさに、魅力によって他人を繋ぎとめている時間のことを指す。

まだ契約すらなくて、魅力だけがそこにある。

上で紹介したのは、それまでなんとも思っていなかった同級生の照に対して、遥がはじめて魅力を感じるシーンだ。ネタバレになるけれど、この場面以降、照と遥は高校を卒業してもだらだらと同じような関係を続ける。その始まりとなる場面なのだ。

遥が照の魅力を感じたひとつめのポイントは、その背中を見たとき。「その背中になんとなく目が行った瞬間、わたしのなかで照は変わった」という。

相手の身体の一部分に対して、なんとなくいいな、と思う。——これは恋愛の表現にたまにある描写なのだ。

たとえば村上春樹の『羊をめぐる冒険』では「耳の形がいい」という表現がしばしば出てくる。あるいは逆に、トルストイの『アンナ・カレーニナ』は「この人の耳たぶの形が嫌だ」と感じるところから夫への嫌悪感を描写する。

遥は照の背中に対して、「このひとはきれいなんじゃないかなあ」「さみしいんじゃないかな」と予感する。

しかし正直、この場面だけだったら、たまにある恋に落ちた描写に思える。彼の背中をぼんやり見て、この人いいなと思う。

本当に面白いのは、遥が「さみしくないの?」と尋ねた後だ。

照は「さみしいよ」と答えながらも、「台詞と表情が合っていなかった」。照はものすごく満足げに笑っていたのだという。

これが、遥が照に魅力を感じたふたつめのポイントである。

「わかる」と思う感情と、「わからない」と思う感情


まず、思っていた姿とちがう印象を受ける。教室で見ていたときより、「このひとは、きれいなんじゃないかなあ」と。そして、本当は「さみしいんじゃないかな」と、彼のことをすこし理解した気になる。

しかし一方で、ひとりでさみしいことに満足したような表情で「さみしい」と照は言う。

その、「わかる」と思う感情と、「わからない」と思う感情、双方が遥のなかで両立する。

そのときはじめて、遥は照のことを手に入れようとする。

私は、人の魅力というものは、この「わかる」と「わからない」が両立するところにあるのではないかと思う。

自分がもともと惹かれるものを持っていて(遥の場合は「きれいだな」と思うことだ)、しかし一方で、自分が知らない、わからないものも持っている(ここだと「さみしいことに満足げであること」だ)。それが両立するところに、魅力を感じるのだ。

遥はそのわからなさを埋めようとするかのように、照に「わたしと遊ぼう」と手を伸ばす。

その瞬間が、恋人関係ではないけれど、でも当然友情でもない、ぎりぎりのラインを描いているように見えて、私はこの場面を美しいなあと思うのだった。

 *

実際に人が人に魅力を感じる理由なんて、些細なことなのだろう。でも物語なら、それを一瞬でもいいから、読者に見せてほしい。関係性がことりと変わる、その瞬間の必然性を、私は読みたいからだ。

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