国立大学授業料の値上げラッシュに私が納得できない理由

9月23日(月)7時0分 NEWSポストセブン

門戸は常に開かれているべきだろう(写真は東京大学の合格発表=時事通信フォト)

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 教育は国の根幹である。経済的な事情によりその機会が不平等になってしまうような社会は望ましいとは言えまい。コラムニストのオバタカズユキ氏が考察する。


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 首都圏の大学では東京大学がトップに君臨しているが、学力がそこまでは届かない優秀な若者の場合、理系なら東京工業大学、文系では一橋大学という「一流校」を目指す選択肢がある。だが、2018年の9月に東工大が、今年の9月11日に一橋大が授業料の値上げを公表したことで、そうした進路を選択できる層の幅が確実に狭くなった。


 国立大学は学費が安くて合格したら親孝行、という時代はだいぶ前から昔話ではある。働きながら学費も自分で支払ったものだという苦学生像は、今の若者の祖父母世代が若かった頃にありえたイメージで、国立大学の授業料は1970年代半ばからガンガン上がり続けており、今の「標準額」は年53万5800円となっている。私大の一般的な文系学部の授業料は80万円前後だから、実際にはその差が意外と小さい。


 そういう現状にあって、「標準額」から飛び出した国公立大学授業料の値上げが続き、さらにお高くなるわけだ。一番初めは冒頭にあげた東工大が値上げを公表した。すると、次に東京芸術大(18年10月公表)、さらに千葉大(19年6月公表)、そしてこのたびの一橋大と値上げニュースが止まらない感じになってきた。


 値上げ幅は、上記4大学とも文科省が定めている上限額いっぱいの2割増。いずれの大学も、それまで年53万5800円だったのが、10万7160円アップで年64万2960円に。年80万円の私立との差はもう15万円ほどしかない。学部4年間では授業料のトータル257万1840円と相当大きな負担になる。


 この値上げラッシュ。最初の東工大は全学部が理系だから、実験や研究費用がすごくかかるため無理もないかなと思った。次いだ東京芸大も同じように高度な実技を行うために金が要る大学だ。私立の美大の学費の高さからしたら国立は「お得すぎる」ともいえるので、それもしょうがないかなと思えた。


 比して、「ううむ、これはありか?」と首をひねったのは、千葉大からである。千葉大は2020年度に入学する学部生と大学院生の全員に海外留学の必修を課すという、かなり大胆な戦略に出た。授業料値上げはそのためのものであった。


 留学プログラムは80ほど用意し、留学先の授業料は大学が全額支払い、渡航費や宿泊費は学生が負担する。4年間分の値上げは計42万8640円。その料金で半強制的に留学体験ができ、英語力をはじめとしたグローバル対応力が身につく、としたら、人によっては「割安」と感じることもあるかもしれない。


 ただ、各留学プログラムは2週間〜2か月の短中期のものばかりだ。その程度の期間で「英語になじむ」以上の何かが得られるか、という疑問はある。だいたい語学力やグローバル対応力は、必要に迫られた状況下のオン・ザ・ジョブ・トレーニングのほうがずっと早く深く身につくのであって、「学校でやらされるからやります」では効果が薄い。そんな気もする。


 そして一橋大。この大学の値上げは、文科省が特別な支援の対象とする「指定国立大学法人」に加えてもらうためのものだ。指定法人になると、資産運用の規制などが緩和され、大学の研究成果でビジネスをする株式会社の設立が認められる。要は、攻めの大学経営がやりやすくなる。これまで東大、東北大、京大、東工大、名大、阪大の6大学が指定されており、一橋大はそれらの大学の仲間にぎりぎりセーフで滑り込んだ。


 大学が積極的な経済活動もして活性化を狙う。それはそれで、別段、悪いことではない。しかし、そういう活動ができる指定法人になるためには、いわゆる大学世界ランキングにおいて上位に食い込むことを最終目標とする文科省の野心に従わなければならない。つまり大学のグローバル化をもっともっと推し進めなければならない。


 具体的には一橋大の場合、「教育研究の国際競争力向上のための教員の充実」「語学教育プログラムの充実」「国際認証AACSBの取得による国際水準の教育の充実」「グローバルアクティブ・ラーニング等の整備」を掲げている。つまりは外国人教員を増やし、英語漬けの教育機会を増やすというようなことだ。近い将来、「ソーシャル・データサイエンス学部」を新設するとも聞く。私大ではすでにありふれた情報工学系のカタカナ学部だ。


 そういう動きって、そんなに意味があるのだろうか。千葉大の件と同じく、「それでどこまでグローバル人材は育つの?」という疑問が浮かぶ。前後左右どこを向いてもグローバル化グローバル化と叫んでいる中で、「他の大学との差別化ができてないじゃん」とツッコミたくもなる。


 そりゃ、たとえば英語はできないよりできたほうがいい。けれども、海外で活躍する総合商社マンなどに話を聞くと、学生時代は語学さっぱりだったが、海外赴任が決まって必死こいて語学に励んだら、まあまあビジネスで使えるぐらいにはなりました、という声が多い。国際ビジネスを展開する企業経営者に話を聞くと、「語学ばかりをやってきた学生さんはあまり採らないんですよ。ノビシロがあまりない人が多くて。語学はうちに入ってから特訓すればいいんで、それよりもいざというときに出せるパワーとか、逆境にめげない粘り強さなどを重視してますね」なんてことを言う。


 語学やグローバル対応力は、先述した「必要に迫られた状況下のオン・ザ・ジョブ・トレーニング」でのほうが身につくという話だ。インドの観光地に行くと、5か国語ぐらいを操って路上勧誘に励む「ビジネスマン」とよく出会うが、彼らは食うためという必要に迫られて語学を主体的に習得しているのである。インドの学校の語学教育がすごいからではなく、5か国語を操る能力がなければ食うに困る現実があるから彼らは逆境にめげず学ぶのである。


 大学生になるというのは、そうした現実との格闘が始まる前に、より根本的で普遍的な学びを重ねることではないか。多くの物事は一筋縄ではいかないものであるとか、同じ事柄でも人によって見え方はさまざまで自分自身の中にもいろいろな種類の「見方」を持っておいたほうがいいねとか、自分オリジナルなんてものはそうそう発想できるわけじゃなくて先人の知恵の組み合わせをいかにうまくするかがアイデアなんだなとか、そんな「学」を身につけることだと私は思うのである。すぐに役立つ知識や技術よりも、もっと汎用性のある考える力を養う知的空間が大学。理想的にはたぶんそうなのだ。


 そういう観点からしたら、授業料の値上げラッシュが始まった国立大学が目指しているものは、近視眼的すぎるのではないか。すぐに役立ちそうな語学、すぐに使えそうな実務学にばかり目が向いていて、その教育実践のために学生の保護者から金を吸い上げようとしている。そんなことは社会に出てから幾らでも勉強できるのに……。私にはそう見える。


 今のところ、値上げに踏み切ったのは首都圏の人気大学ばかりだが、遠からずこの流れは関西でも始まるだろう。そして、地方の国立大学はより懐事情が厳しいから、受験生減を覚悟して授業料アップに手を染めるところが出てくる可能性がある。一大学でも出てきたら、値上げ連鎖が瞬く間に広まると思う。多くの家庭の懐事情もより厳しくなるというのに。


 一橋大クラスに入れる学力のある子の親はたいてい高学歴で高収入だったりするから、まだいい。問題なのは、駅弁大学と呼ばれるような各県に散らばる地方大学にまで広まったときだ。本当は私大の早慶あたりに行きたかったのだが、お金がないから地元の国立大を選ぶという層はかなりぶ厚く存在する。さらなる値上げラッシュはその層を直撃し、高等教育を受ける機会を仕方なく手離す人たちを出現させる。


 それでもグローバル化グローバル化と唱え続けるのか。日本のローカルを苦しめても、か。

NEWSポストセブン

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