「ねえ、本当にオチアイがやるの?」記者が目にした“落合政権”誕生の瞬間…関係者が示した“アレルギー反応”とは

9月24日(金)7時0分 文春オンライン

《中日監督就任直前》「で、なんだ?」自宅に直撃した記者に対する落合博満の“意外すぎる”対応 から続く


 現役引退後、解説者を務めていた落合博満が中日ドラゴンズの監督に就任した2003年シーズンオフ。翌シーズンは新人監督によるセ・リーグ優勝という快挙を成し遂げ、多くの中日ファンが歓喜に沸いた。しかし、就任当初は関係者もファンも歓迎一辺倒のムードではなかったという。


 ここでは、日刊スポーツ新聞社、Number編集部を経て、フリーライターとして活躍する鈴木忠平氏の著書『 嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか 』(文藝春秋)の一部を抜粋。落合政権誕生時の現場の空気について紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)


◆◆◆


中日 落合 新監督──


 落合に会った次の朝も、私は時間通りに起きることはできなかった。


 東京から名古屋に戻った前夜はそう遅くならないうちにベッドに入ったはずだったが、おそらく今日もただ何かを待つだけの一日だろうという倦怠感がだらだらと微睡を引き延ばした。ようやく川沿いの小さなワンルームを飛び出したのは、時計の針が午前11時にさしかかったころだった。


 ナゴヤ球場に着くと、もう太陽は高いところにあり、グラウンドには選手たちの声が響いていた。かつては一軍の本拠地だったこの球場も今は二軍専用となっている。外壁は色褪せて、バックヤードの通路には塗装の剥げた配水管が剥き出しになっていた。私は前の日とまったく同じだけの荷物が入った鞄を天井の低い記者室に放り込むと、そのままダグアウトへ出た。後ろから声をかけられたのはそのときだった。振り返ると、他の選手よりも頭ひとつ抜きん出た巨体が立っていた。山本昌──通算150以上の勝ち星を稼いできた、このチームの顔の一人である。



山本昌投手 ©文藝春秋


「ねえ、き、きょうの新聞、ほ、ほんと?」


 38歳のサウスポーは気持ちが昂たかぶるとこういう口調になる。もう、ひと汗かいたのだろう。顔が上気し、襟足が濡れていた。山本昌が何のことを言っているのかは、すぐに察しがついた。


 家を出がけにひっつかんできた我が給料主たる一部120円の新聞紙面には、でかでかとカラーの見出しが打ってあった。


『中日 落合 新監督──』


 山本昌の気になっているのは、それだ。


「ほ、ほんとに、落合さんがやるの?」


 ベテラン左腕の顔は真剣だった。ただ、私はその問いかけに「さあ、どうなんでしょう」と曖昧な苦笑いを返すことしかできなかった。自分もついさっき紙面を見て知ったのだ、とは言えなかった。


「ねえ、本当にオチアイがやるの?」


 恥かけよ──。前日の落合の言葉と、デスクの笑い声が頭の中で交錯した。私自身、新聞に書いてあることが本当なのか、見当もつかなかった。


 いつものように、末席から遠く離れた上座で物事が進んでいるのだ。


 私はバツが悪くなって記者席に引っ込んだ。染みのついたコンクリートの上に、色あせた横長のテーブルと簡易椅子が並んでいる。バックネット裏から、この球団の歴史を見続けてきた一室で、私は息をついた。すると、そこへ中日ひと筋30年という年嵩の球団スタッフが何かを考え込むようにやってきた。私を見つけると、やはり山本昌と同じ問いを投げてきた。


「ねえ、本当にオチアイがやるの?」


 その表情と目の色から、落合が監督になるのを歓迎していないことが伝わってきた。何か厄介ごとを背負い込んでしまうというような顔だった。


 不思議だった。この朝、中日の新監督が落合に一本化されたと報じたのは、数ある新聞のうちたった一紙に過ぎなかった。親会社の新聞もまだ報じていない。そんな不確定情報が多くの人の心を波立たせている。


 そして、その波紋はかつてこの球団にいたころの落合を知る人間──とりわけデスクのように星野のことを「仙さん」と呼び、落合のことを「オチアイ」と呼ぶ人たち──ほど大きいように感じられた。


 何があったのだろうと、私は思った。


 落合がロッテオリオンズから中日に移籍してきたのは1986年末のことだった。


 その年のオフに監督になった星野が、四選手との交換という大型トレードによって引き抜いたのだ。パ・リーグで三冠王を三度獲得していたバッターは、その移籍によって日本人初の年俸一億円プレーヤーとなり、「優勝請負人」と呼ばれるようになった。


 そして1988年、実際に主砲としてチームを優勝させた。地方球団に7年ぶりの歓喜をもたらした。


 それなのに今、この球団において落合の面影は意外なほど薄く、選手やスタッフにはアレルギー反応のようなものさえある。


 星野は2002年から阪神タイガースの監督となり、今や大阪の人となっても、その広告看板がいまだ名古屋の街のいたるところに見られるのに、落合が監督候補となっても沸き立つような声は聞こえてこなかった。


 現役時代の落合には、球団との契約交渉の席で年俸を不服とするなど金銭闘争のイメージがあったからだろうか。それとも7年の在籍後、導入されたばかりのフリーエージェントの権利(FA権)を行使して、よりによってライバルである巨人へ移籍したからなのか。


 厄介者や裏切り者を見るような視線はあっても、なぜか球団からもこの街からも、かつての四番バッターへの郷愁はほとんど感じられなかった。


 天井の低い記者席で、私はまた、あの東京の静かな住宅街の中でそこだけ切り取られたような赤と青を思い出していた。存在はしているが、決して周囲と調和していないあの色彩である。


 落合が中日の新監督に決定したと発表されたのは、それから3日後のことだった。


 ダークグレーのダブルに臙脂色のネクタイを結んで球団旗の前に立っていた。人がごった返し、カメラがずらりと並んでいる会見場を、ひな壇の上から見渡していた。私は場の片隅で呆然と落合を見ていた。頭の中には「恥かけよ」というあの日の言葉が繰り返し響いていた。


 あの台詞にはどういう意味があったのだろうか。単なるブラフか、それとも……。


「勝負事ですから、負けるつもりではやりません。まあ、選手たちには泣いてもらうことになるでしょう」


 新監督になった落合はマイクの前で、また意味深なことを言った。


 無数のフラッシュを浴びたその顔には不敵な笑みが浮かんでいた。


 私がその笑みの正体を知るのは、それから数カ月後のことだった。


【前編を読む】《中日監督就任直前》「で、なんだ?」自宅に直撃した記者に対する落合博満の“意外すぎる”対応


「2004年の開幕投手はお前でいくから」落合新監督が“不良債権”と呼ばれた選手に告げた“驚きの言葉” へ続く


(鈴木 忠平/週刊文春)

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