樹木希林さんが死の間際、30年来の親友に語っていた「次世代へのメッセージ」

9月24日(月)21時0分 週刊女性PRIME

'13年『日本アカデミー賞』で最優秀主演女優賞をとったときも、遠藤さんが仕立てた衣装で

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 9月15日、自宅で家族に見守られ、75年の人生を終えた樹木希林さん。17日の午後には、自宅前で長女・内田也哉子とその夫の本木雅弘、今年モデルデビューしたUTAこと雅樂など3人の孫らに見送られて出棺した。

 火葬に立ち会った夫の内田裕也は、20日に希林さんの本名にあてたコメントを発表。

《最期は穏やかで綺麗な顔でした。啓子 今までありがとう。人を助け 人のために祈り 人に尽くしてきたので 天国に召されると思う。おつかれ様。安らかに眠ってください。見事な女性でした》

「樹木さんは'04年に乳がんが見つかって右乳房を全摘出したものの、全身13か所に転移したそうです。'13年の『日本アカデミー賞』の最優秀主演女優賞に輝いた壇上で、“私は全身がん”と告白し、鹿児島県のクリニックで“ピンポイント照射”という治療を続けていました」(スポーツ紙記者)

 8月13日には左大腿骨を骨折して手術するも、一時は危篤状態に。その約1か月後に天国へと旅立った─。

■妊娠中にコントでトランポリン



 生前は、『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』(ともにTBS系)など、数々のドラマや映画、舞台に出演して個性派女優として名を馳せた希林さん。

 昭和時代の彼女を知る東京・渋谷区にある飲食店『魚力』の鈴木佳子さんは、こんな思い出を語る。

「ウチが鮮魚店だった時代の昭和40年代後半くらいには、樹木さんは毎日、顔を出してくれていました。

 よくナマコを買ってくれるのですが、内臓をとってあげると、それを、顔を上げてそのまま食べちゃうんですよ。普通、内臓は塩漬けにしたり、酢漬けにして切り込んでから食べるものなので、驚きましたね」

 昔から大胆さを兼ね備えていた希林さんだが、プロ意識も高かったという。

「裕也さんと結婚して妊娠された際、だいぶお腹が大きくなったときもウチに来て、“ドリフに出てコントでトランポリンをやったのよ”と、話しだしたのでビックリしちゃいましたよ。赤ちゃんのことを考えたら断ると思いますが、それをしないのが樹木さんでした」(鈴木さん)

 女優だということを周囲に意識させず、常に飾らない様子だったという希林さん。20年以上、通い続けていたのが西麻布にあるヘアサロン『カットアンドカットヒラタ』。8月中旬に入院する数日前にも来店していたそうで、同店の従業員が、こんなエピソードを明かしてくれた。

「中学生くらいの也哉子ちゃんがウチに来たことがキッカケで、希林さんも来てくれるようになったんです。也哉子ちゃんが結婚して来なくなってからも、月に1〜2回は通っていただきました。

 普段はテレビで流れているようなニュースの話題が多かったですね。『寺内貫太郎一家』で共演した西城秀樹さんが亡くなった話題になると、希林さんがこのドラマにちなんで、“ジュリ〜!!”と、この劇中の有名なシーンを再現してくれました(笑)」





おちゃめな希林さんらしいが、周囲の“仲間への愛”があふれるこんな話も。

「約4年前に私の母親が亡くなったときは、希林さんもかなり落ち込んでいました。僕もつらい時期だったのですが、希林さんから“一緒に頑張りましょう”と声をかけてもらって。そのひと言で、だいぶ救われたんです」(同・従業員)

 めったに内田の話はしなかったそうだが、珍しく“夫への思い”を口にしたことがあったそう。

■希林さんからのサプライズ



「今年の夏に内田さんを特集した『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)が放送されて、希林さんがナレーションを担当していたんです。その話を本人にしたところ、“あの人、カッコいいのよ”と自慢げに言うので、ちょっと驚きましたね」(同・従業員)

 希林さんが大切に考えていたのは、夫だけではなく親戚も同様だった。祖父の妹が希林さんで、年に1〜2回ほど交流があったというお笑い芸人のバーバリアン谷川にも話を聞いた。

「約9年前に祖父の葬儀で、希林さんから“これからどうするの?”と聞かれて、“芸人をやろうと思ってます”と答えました。すると、“私は応援しないけどね〜。ウチの家系は三流の芸人しか出ないから”と、軽い感じで返されたことがありました(笑)」

 しかし、その数年後に希林さんから“サプライズ”が。

「祖父の葬儀から5〜6年間はきちんと話せていませんでした。しかし3年前くらいに母親経由で連絡があり『A-Studiо』(TBS系)に希林さんが出演した回で、“親戚に芸人をやっている子がいる”と話してくれたそうなんです。

 後日、母親とふたりでのインタビューが希林さんの出演回で放送されました。僕が芸人をやっていることも覚えていないと思いましたし、“応援しない”と言っていたのに……優しい人なんだなと感じました」(バーバリアン谷川)





 西麻布にあるブティック『PRESS601』を経営する遠藤勝義さんも、希林さんとの親交が30年以上もある親友だった。

「私の子どもと也哉子ちゃんが、小学生から同じインターナショナルスクールだったことから、保護者の集まりで希林さんと知り合ったんです。

 週に1〜2回は店にいらっしゃって、希林さんが出演する映画やCMで着る衣装を作ったり、アドバイスをしていたんです」

“モノを大切にする”というポリシーを持っていたそうで、

「メディアに出演する際は、必ず前から持っている洋服をアレンジして着ていたんです。最近は、也哉子ちゃんや本木さんが着なくなった洋服を持ってきて、私がアレンジしたものを着こなされていました」(遠藤さん、以下同)

 希林さんは、遠藤さんに感謝の気持ちを伝えるプレゼントを贈ったこともあった。

「雑誌の『VOGUE』が、その年に最も輝いた女性たちを表彰する賞で、希林さんが受賞されたときの記念トロフィーをいただいたんです。

“これはムッシュ(遠藤さんのあだ名)のおかげだから”とおっしゃって、ケースには直筆のサインも書いてくださり感激しました」

 8月には、“女優としての引き際”を語っていた。

「最後に来店されたのは亡くなる2か月前でしたが、杖をつきながら、“腕が痛いし、歩くと骨が痛い”とおっしゃっていて体調がよくないのかなとは感じていました。

 その1か月後の電話が希林さんとの最後の会話でした。“今年は映画に3本出て、『エリカ38』(希林さんが企画した遺作)も撮り終えた。まだ元気だったらできるんだけど、そろそろ休もうかな。今までありがとう、ムッシュ。孫もデビューしたし、新しい世代に任せようと思う”とおっしゃっていました」

 人生をまっとうした希林さんは、次世代へときれいにバトンを渡してくれた─。

週刊女性PRIME

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