iPhoneと8ミリカメラがうつしとった、マヤ伝承と泉の世界

9月25日(金)19時0分 文春オンライン

 タル・ベーラ監督に師事し、先日、第1回大島渚賞を受賞した小田香監督の新作『セノーテ』(9月19日公開)は、驚くべき神秘世界へと見る者を誘い、幻惑する。セノーテとは、メキシコのユカタン半島に点在する泉のこと。2015年に発表した長編第1作『鉱 ARAGANE』ではボスニア・ヘルツェゴビナの炭鉱を取材したが、本作では現存するセノーテを訪ね、自らiPhoneや8ミリカメラで撮影。映像と共に、マヤの伝承に基づく物語が朗読によって語られていく。


 かつては貴重な水源であり、雨乞いのため生贄の少女が捧げられる場所でもあったセノーテ。画面に映る光線はまるで生き物のように激しく揺れ動き、いったいどうすればこれほど幻想的な風景が撮れるのかと呆然としてしまう。一方で、水中には死者の気配も漂い、この場所で紡がれてきた長い歴史を感じさせる。小田監督はどのようにセノーテと出会い、映画として完成させたのだろうか。



©Oda kaori


光のありかたに興味があった


——小田監督は前作『鉱 ARAGANE』でボスニアの炭鉱を記録し、その後メキシコに向かい『セノーテ』の撮影に入られたそうですね。映画のクレジットを見るだけでも、かなり多くのセノーテを取材されたのがわかりますが、撮影と編集にはどれくらいの時間がかかったのでしょうか。


小田 2017年5月に1ヶ月撮影に行ったあと、2018年5月と、10月か11月にまた1ヶ月ずつ、あわせて3ヶ月くらいかけて撮影しました。人に紹介してもらったセノーテや、現地の人々がいる村などをいろいろまわりました。その合間に、1回目のリサーチが終わった時点で一度簡単な作品を作り、2回目が終わったらまた素材を並べ直し、そして3回目の撮影とまとめの作業のあと、すべての素材を編集していった。編集にかけた期間もやはり3ヶ月くらいでしょうか。


——すべて撮り終わってからではなく、撮影をしながらその都度編集をしていったわけですね。


小田 そうしないと次にどういうところに行ったらいいのか、これは何を撮っているんだろうということが自分のなかで整理できなくて、結果的にこういう形になりました。


——最初に何かプランがあったというよりも、まずは撮りに行ってみたという感じだったのでしょうか。


小田 1回目の撮影はまさにそういう状態でした。2回目の撮影が終わったあと、ひとつの映画作品として昇華するためにナレーションのようなものをつけようかな、と考えはじめました。それで3回目の撮影に行く前に朗読用の文章を書き、向こうについたらマヤ語を話せる女の子を探して録音をさせてもらいました。いろいろな本に書かれた内容やもともとあるマヤの神話、また行く先々で聞いたお話などを一度自分のなかに取り入れたうえで、生贄の少女という目線で書けないかなと考え、あのお話を書いていきました。


——そもそもなぜメキシコのセノーテで撮ろうと思われたのでしょうか。


小田 『鉱 ARAGANE』での体験が大きかったですね。炭鉱という地下の異空間でヘッドライトの光がどう映るのか、重機の光がどのように漏れていくのかを撮りながら、空間が異なれば光のありかたはこんなに違うんだと気づかされました。その体験から、では海や湖の中では光がどう見えるのか考え始めた。地上ではない空間、特に暗闇での光のありかたに興味があったんです。


iPhoneと8ミリで過去・現在・未来を自由に遊ぶ


——セノーテに射し込む光の美しさに驚かされましたが、基本的にあそこに映っている光線は、すべて太陽の光なんですよね。


小田 そうですね。セノーテの上に少しだけ穴が開いていて、太陽が真上に来ると光が真っ直ぐ降ってくる。それを自分が水に入り体を回しながら撮影すると、光線がゆらゆらと動いているように見える。場所によっては一日に三時間程度しか光が入ってこないので、時間帯を狙って撮影していきました。


——あの光線は本当に自然そのままの状態なんでしょうか。あまりに美しいので、何か加工や着色が行われているのでは、と思ってしまったのですが。


小田 フィルターをかけたり、エフェクトをかけたりということはしていません。カラコレ(カラーコレクション)の方がちょっと鮮明にしたり整えたりという作業はしていますが、色自体はほぼそのままです。


——途中、フィルムに傷をつけたような映像も挿入されますよね。


小田 あれはまた別のプロジェクトで使った手法ですね。青写真という、使用済みフィルムを特殊な青い液体に浸け天日干しするという遊びを以前ワークショップか何かでやってみたことがあり、この作品に挿入してもおもしろいかも、と試してみました。


——水中での撮影にiPhoneを選ばれたのはなぜでしょうか。たしか『鉱 ARAGANE』では別のデジタルカメラを使われていましたよね。


小田 Canonの5Dカメラを使いました。今回は、まずiPhoneで水中の撮影をテストしようと思っていたんです。でも実際に撮ってみたらイメージのルックが思った以上に私の好みだった。それと、Canonの5Dを水中で使えるほど私の泳ぎの技術が上達しなかったというのも大きいです。私はもともとカナヅチだったので(笑)。


——地上では主に8ミリカメラを使われていたようですが、iPhoneと使い分けた理由は何でしょうか。


小田 8ミリでの撮影に対する憧れがあったのと、もうひとつの理由としては、編集での選択肢を増やしたかった。現地の人にいろんな話を聞いていくなかで時制を自由に遊んでみたくなったんです。8ミリで撮るとノスタルジックになると言ってしまうと短絡的ですが、やはりiPhoneで撮ったのとは違うルックになる。その違いを利用して、過去・現在・未来という時制を自由に遊べないかなと思ったんですね。


常に自分の外にあるイメージに耳を澄ませていった


——録音もiPhoneで行ったんでしょうか。


小田 水の音に関してはiPhoneで録りました。その他の自然の音は、アシスタントの方がずっとフィールドレコーディングをしてくれていて、そこから録った音を足したり引いたりしています。


——本当にいろんな音が重なっていますよね。最初の方で牛の鳴き声のような音が重なってきたり。『鉱 ARAGANE』ではそうした音の重ね方はしていなかったと思いますが。


小田 あれは猿の声なんですよ。『鉱 ARAGANE』では、同時録音したものをちょっと整えたりはしていましたが、基本的に私ひとりで撮影も録音もしていたので、全く違う音を重ねるということはほとんどしていないですね。


——『セノーテ』ではなぜそうした音の重ね方をされたのでしょう。


小田 自由な選択をできる素材が実際にたくさんあったということですね。あとは自然のなかで聞こえてくる音がたくさんあった。イメージによって構成できるものと、イメージが介入できない部分を音によってバランスをとる。そういうことに今回挑戦してみたと言えるかもしれません。でも挑戦というよりは、遊んだという気持ちのほうが大きいですね。


——この作品は、前作に比べても物語の要素が大きいですよね。見ていて果たしてドキュメンタリーと言っていいのか、壮大な物語だと言える気もしたのですが、監督としてはどのようにお考えですか。


小田 フィクションや実験映画のようだと思う人もいるかもしれませんが、私が見たり聞いたり体験したものに忠実に作るという意味では、ドキュメンタリーと呼んでもいいのかなと。自分の頭の中にあるイメージを映画化していくのではなく、常に自分の外にあるイメージに耳を澄ませていったわけなので。カメラの前にあるのはすべてそこに存在するもの。再現してもらったものはあってもいっさい作られたものはありません。朗読された文章は私の創作ですが、それも本や現地の人から聞いた話を基に書いたものですし。


撮ることで始めていくしかなかった


——『鉱 ARAGANE』でも、最初はカフカの短編を映画化するつもりだったそうですね。もともとドキュメンタリーを撮りたいということで映画を作り始めたわけではないのでしょうか。


小田 最初は何も考えていなかったです。自分の制作方法にあてはまるものが今のところドキュメンタリーと呼ばれるものなんだと思います。一番はじめの映画制作が『ノイズが言うには』(2011年)という自分のカミングアウトについての作品なんですが、これもカメラをまわすことでみんなが自分自身を演じていくんですよね。とにかくやってみないことには物事は何も動いていかないんだ、という気持ちが強くあるんだと思います。


 最初の作品を作り終えたあと、次に何を撮ればいいのかわからなくなり、そこから映画について勉強していったんです。でもやっぱり全然わからなかった。だからとにかく色々なものを撮ることで始めていくしかなかった。最初から何か伝えたいものがあるというよりも、撮りながら考えていく。そういう作り方をずっとやってきたなと思います。


——まずはそこへ行きカメラをまわすことからすべてが始まるわけですね。そのときに監督が「これを撮りたい」と思う対象は場所そのものなのでしょうか。それともそこにあるものや人なのでしょうか。


小田 場所と、そこにある人の気配が大きいですね。人は必ずしもイメージとして映っていなくてもいい。その気配や生活、歴史が垣間見える、そういう空間や風景が好きです。


——セノーテにもやはり人間の気配があったということですか。


小田 自分にとってはそうです。そこで死んでいった人たちの記憶というものも含めて、やはり人の気配に惹かれたんだと思います。


——別のインタビューでは、いつか宇宙空間でも作品を撮ってみたいとおっしゃっていましたが、それも景色というよりそこにいる人間に興味があるんでしょうか。


小田 そうですね。もし宇宙に行けるなら、そこで働いている人や宇宙から見た地球の人間をどう撮れるのか、そこに興味があります。


——監督はまるで冒険家のようにどんどん未知の場所に飛び込んでいく方だなと思うんですが、単純にそこに行きたいというだけではなく、あくまで作品を撮りたいという気持ちが大きいんでしょうか。


小田 半分半分くらいかもしれません。とにかくその場所へ行ってみたい、という気持ちももちろんあります。でも行きたいと思うのはやはり何かしら興味があってのことなので。好きだから、とか、もっと知りたい、とか。それを考えたり知るための手段が自分にとっては映画制作なんだと思います。


変わらない「知らないことを模索しながら作っていく」スタイル


——『セノーテ』でも『鉱 ARAGANE』でも自分でカメラを回されていますが、そのスタイルは今後も続けていく予定ですか。


小田 この2作品のような作品を作るときは自分で撮影したいです。撮影するのが好きだし、それがいろんな物事を考える手段になっているので。カメラを回しながら、そこにあるものを理解したり、やはり理解できなかったりする。それが楽しい。ただ、必ずしも撮影だけが何かにアプローチする手段ではないんだな、ということも理解はしているつもりです。撮影では他のみんなに相談をしながら自分は監督としてその都度判断をしていく。それもまた手段のひとつだということが、最近わかりはじめてきました。もし信頼して任せられる人と出会えたら、これまでとは違う形での作品作りにも挑戦してみたいなと思っています。


——今後、作品を作っていくうえで、何か方向性やプランなどは考えていらっしゃるんでしょうか。


小田 具体的なプランはまだありませんが、『鉱 ARAGANE』や『セノーテ』みたいな物事を探求していくような映画作りは今後も続けていきたい。同時に、たとえば脚本を書いたり、集団芸術としての映画作りもなるべく早いうちに体験しておきたいです。きっと失敗すると思うので早いうちに挑戦して失敗しておきたいなと(笑)。


——では今後は別のジャンルやスタイルの作品を作っていく可能性もあるわけですね。


小田 はい、ただたとえ全く違うアプローチになるとしても、自分の知らないことを模索しながら作っていく、というスタイルは今後も変わらないと思います。



INFORMATION


『セノーテ』
9/19(土)〜新宿K's cinemaにてロードショー全国順次
http://aragane-film.info/cenote/



(月永 理絵/週刊文春)

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