直木賞受賞・澤田瞳子「母・澤田ふじ子と同じ道に。研究の道を断念した私の想像力が、作家への扉を開いた」

9月25日(土)18時30分 婦人公論.jp


「小説を読むのは大好きでしたが、書きたいとか、小説家になろうという気はまったくありませんでした。書き始めるにあたって、母から影響を受けたこともありません。」(撮影:本社写真部)

幕末〜明治の画家・河鍋暁斎を娘の視点で描いた歴史小説『星落ちて、なお』で直木賞を受賞した、歴史小説家の澤田瞳子さん。作家の澤田ふじ子さんを母にもち、幼い頃から本に囲まれて育ちました。澤田さんが小説を書き始めたきっかけは——(構成=門賀美央子 撮影=本社写真部)

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わが子が受験に受かったような気持ち


直木賞受賞の第一報は、電話で受けました。聞いた時は、ポカンとした気分。「おめでとうございます」と電話口で言っていただいても、あんまり実感がわかなかったというか……いまだにどこか現実感がありません。

受賞となると東京で記者会見があるため、住まいのある京都から上京して担当者と知らせを待っていたのですが、なにせそんなに期待していなかったので、非常にカジュアルな格好で来てしまって。記者会見の時には、編集者のジャケットをお借りしたような始末(笑)。

さらに翌日はたくさん取材を受けなくてはいけないのに、人前に出られるような服がない! 慌てて宿泊していたホテルで着物を借り、着付けだヘアメイクだと右往左往。インタビューが始まる頃にはヘトヘトになりました。(笑)

もちろん受賞したのはとても嬉しかったですし、ほっとしています。しかし、文学賞はあくまで作品にいただくもの。わが子が受験して超難関校に受かった時の気持ちに近いのではないでしょうか。「えらいのはこの作品で、書いた私じゃないんです。褒めるならこの子を褒めてやってください」という心境です。(笑)

ただ、4年前に亡くなられた作家の葉室麟(はむろりん)さんには受賞のことを直接ご報告したかった。9年ほど前、編集者に次回作は絵師の伊藤若冲(じゃくちゅう)を書きたいと申し出たところ、葉室さんがまさに同じ出版社で若冲を題材に書こうとしていらっしゃった。

葉室さんはベストセラー作家で、一方の私はまだ駆け出しでしたから、これはあきらめることになるかなと感じました。そうしたら、話を聞いた葉室さんがテーマを譲ってくださったんです。葉室さんは後進や周囲の人間のことをきちんと考えて、他人事でも一所懸命になってくださるような、優しい紳士でした。


第165回直木賞を受賞した『星落ちて、なお』(澤田瞳子・著/文芸春秋)

「母娘二代で作家」と言われても


生まれ育ちは京都です。京都というのは総じて面白い街ですが、なかでも私が子ども時代を過ごした銀閣寺や京都大学周辺は、古都の景色と新奇な生活文化が入り交じるなエリアです。夜中まで開いている謎の雑貨屋とか、変な店主がいる古本屋とか、おばあちゃん二人が営む22時間営業の定食屋とか、不思議で楽しい店がたくさんあって。良くも悪くも多様性があるというか、好きなことを好きなようにできる街なんですね。

そんな空気を吸って育った私の子ども時代といえば、ほぼ読書しかしていません。早くから、作家だった母(澤田ふじ子さん)宛に届く小説雑誌を読んでいました。西村京太郎さんや赤川次郎さんといった現代ミステリーに始まり、歴史小説に官能小説まで、手当たり次第読んで、そこから興味を抱いた作家さんの単著へと広げていきました。かなり早熟な読書体験だったと思いますが、そのおかげで今があるのかと。

小説を読むのは大好きでしたが、書きたいとか、小説家になろうという気はまったくありませんでした。書き始めるにあたって、母から影響を受けたこともありません。母も私の仕事にはあまり関心を持っておらず、今回の受賞を電話で伝えても、「ああよかったね。でも、私は表彰式行かないよ」で終わってしまうような人なんですよ(笑)。

だから、「母娘二代で作家」と言われても、それらしいやり取りがなくて、取材してくださる皆さまのご期待に沿えず……。しいていえば、初めて書く小説の舞台を天平時代にしようと決めた時に、「古代の話は売れないよ」と忠告されたことぐらいかな(笑)。私が「でも、面白くすればいいんでしょ!」と反発したら、「そこまで言うならやってごらん」と。今にして思えば、反発しておいてよかったですね。

学生の頃は、歴史学の研究者を目指していたんです。私はもともと「知らないことを知りたい」という欲求が強く、新しい知識を得られるという意味では勉強も苦になりません。

小説も大好きではありましたが、読めばその世界のことはわかってしまう。いっぽうで、歴史は史料をどれだけ読みこんでも、ピンポイントの出来事が見えてくるだけ。事実と事実の間にある空白の部分が、謎として常に残ります。それが歴史学に強く惹かれた理由だったように思います。

自分は研究には向いていないと思った理由


研究テーマとして奈良仏教史を選んだのも、わからないことの多さにときめいたからですが、実はもう一つ理由があって。中世以降と違い、古代は文献史料が極めて限られているんです。だから、「読む本が少なくてすむよ」と先輩たちにそそのかされまして。学ぶのは嫌いではないとはいえ、根が怠け者なので、労力を省けるならそのほうがいいや、と。(笑)

しかし、博士課程前期までいったところで、自分は研究には向いていないな、と思うようになりました。研究者は、9割9分まで事実を積み重ねて緻密に論旨を構成したうえで、ほんの少しだけ想像を乗せて自説を形成するものなのですが、私は雑な人間なので、6割か7割の時点で「よっこいしょ!」と想像の梯子をかけてしまう。当時の指導教官からは、たびたび「もう少し緻密な論考をしたほうがいいよ」と注意されましたし、私自身も限界を感じました。

ただ、小説家になろうと思って大学院を辞めたわけではなく、方向転換した直後は、博物館で働くなどして過ごしていました。そんな時、母のところにいらしていた編集者に「京都を舞台にした歴史エッセイを書いてみないか」と勧められて、文章を書き始めたのです。京都の街や歴史の豆知識を紹介するものでしたが、面白くて夢中になりました。

その後、もう少し大きな歴史の流れを書きたいと考えるようになり、それならば小説を、と思い立った。そして書き上げたのが、デビュー作『孤鷹の天』でした。

作品のヒントになったのは、大学時代の恩師の言葉です。ある時、「皆さんの中では奈良時代と平安時代はまったく別の時代かもしれないけれど、平安京の桓武天皇は、奈良時代の終わりに立ちあっている」と言われたのが印象に残っていたんですね。それがアイデアの緒になりました。

6割7割の史実に想像を積み上げる私のクセも、小説ならば活かすことができる。大学時代に学んだことは、小説家になってから役に立ったんです。

デビュー後も続ける土曜日のアルバイト


歴史小説の主人公は歴史上の有名人であることが多いですが、私が興味を持つのは、史料にちょっとだけ顔を出して、その前後はまったくわからない、というような人物。有名人を扱う場合も、あまり語られてこなかった空白の部分に目が行きがちです。

このたび直木賞をいただいた『星落ちて、なお』も、近年注目されている明治の画家・河鍋暁斎(かわなべきょうさい)を取り上げましたが、彼が死んだところから物語が始まります。娘のとよ(のちの河鍋暁翠)が、凄まじい熱量で絵を描き続けた「画鬼」の父の遺志をどのように継いでいくのか。娘の視点から暁斎の画業を捉えなおしたいと考えました。

歴史上の英雄や有名人のエピソードはほかの先生がたが書かれているので、私は読者としてそれを読めればもう充分(笑)。でも、誰も書いていない人物や設定ならば、自分で書くしかありません。それが私の最大の執筆動機ですし、これからもそんなふうに書いていくのだと思います。

普段は、月曜日から金曜日までは実家にある仕事場に通って執筆しています。夫がサラリーマンなので、できるだけ彼の生活時間にあわせるようにしているんです。土曜日は、母校で事務のアルバイト。朝10時から夕方5時まで、書類作りやコピー取り、先生の雑談相手(笑)などをしています。

アルバイトを始めたのは小説家デビュー前、指導教官が声をかけてくださったんです。その時はアルバイト職員になると大学図書館を使えるのに惹かれて。それに小説家となった現在は、研究の最先端にいる先生がたから、論文にする前の生のお話が聞けるというのも、非常にありがたいです。

日曜日は、あまり仕事はせず、趣味を楽しむようにしています。コロナ禍が始まる前は、おいしいものを食べに行ったり、取材旅行に出かけたりしていたのですが、今はそれもなかなか難しいので、読書をしたり、家で映画を見たりするくらいです。

これからもこの生活はまったく変わらないと思いますね。私の周りを見渡すと、歴史小説を書いておられる先輩がたは、大きな賞を受賞してもマイペースを崩さず着実に書き続けていらっしゃる。その背中を見てきたから、私自身も変わらずにいられそうです。

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