「なんだろう、これ?豆、かな?」 “ヨコハマトリエンナーレ2020”で、分身を使って美術鑑賞

9月26日(土)12時0分 文春オンライン

 演劇やアミューズメントパークなどと同じく、アートも体験型のエンターテインメント。作品のある場所へ出かけていき、対面して体感するのが楽しみ方の基本だ。
 コロナ禍で開館もままならない状態だったのが、少しずつ回復中なのは幸いである。しかしそれ以前に、さまざまな理由や事情で足を運べない人はいつだっている。たとえば病を得て、身体を思うままに動かせないだとか。
 そこで、現在開催中の現代アートの国際展「ヨコハマトリエンナーレ2020」では、あるプログラムを用意した。分身ロボット「OriHime」を用いた鑑賞会である。



分身ロボット「OriHime」


自宅のベッド上と横浜美術館がつながる


 どういうことだろうか? OriHimeとはカメラ、マイク、スピーカーが搭載された小さいロボット。

インターネットにつなぎ遠隔で操作ができるので、使用者はPCやスマートフォンを通して、OriHimeが見ているものを自分の視界のように捉えられる。首を上下左右好きなほうに向けたり手を動かしたりといった、身体・感情表現も可能。
 家族や友人らがこのOriHimeを持って展覧会場を巡ることで、鑑賞者は自宅や病院に居ながら遠隔鑑賞ができるのである。
 この9月、ヨコハマトリエンナーレ会場の横浜美術館にOriHimeの姿があった。くだんの鑑賞会を実施中なのだった。
 OriHimeを首から下げて、大切そうに両手で抱えているのは羽田ゆりのさん。医療・福祉関係の進路を頭に描く高校3年生で、今回はボランティアとして会場を巡る役割を務めるべく手を挙げた。
「じゃあここから入るよー。はっ、いきなり大きくてキラキラしたものが! すごいねこれ」
 OriHimeを介してつながった鑑賞者に話しかけながら、羽田さんは入口から歩を進めていく。


 OriHimeの視野を借りて展示を楽しんでいるのは、小学2年生の古川結莉奈さん。自宅のベッドに居ながら、横浜美術館の展示と向かい合っている。


「合わせて踊ってみる?」


 結莉奈さんは先天性ミオパチーという筋肉の病気を生まれつき持っており、現在は気管切開して人工呼吸器をつけている。身体を起こすと呼吸が苦しいので、ベッドで横になって多くの時間を過ごしている。
 この2月からは新型コロナウイルスの感染リスクを考慮して、訪問授業や訪問看護、訪問リハビリなどすべてを休止したまま。家族以外の誰とも会っていない状態が続いていた。
 分身ロボットを介して美術館へ出かけられる機会があるとの話を聞きつけて、ぜひにと応募。この日を迎えたのだった。


「キラキラー! 大きいアクセサリーみたい!」
 入館してすぐに出くわしたのは、ニック・ケイヴ《回転する森》。天井から無数の飾りが吊られている。作品を前にした結莉奈さんは、みずから声を発して案内役の「ゆりのお姉ちゃん」に話しかけたり、OriHimeの両手をパタパタとふったり。
 興奮ぶりが分身を通してよく伝わってくる。
 
「つぎのへやに行ってみようか?」
 ゆりのさんに促されて、結莉奈さんの分身たるOriHimeは先へ進む。ヨコハマトリエンナーレはアートの祭典だけに、あらゆるタイプの作品が次々と登場する。
 空間全体を作品化するインスタレーションという手法を用いたものや、エヴァ・ファブレガス《からみあい》のようにあたかも作品の中に迷い込んでしまえる作品など……。体感型展示が多いのは、この鑑賞会にうってつけだった。OriHimeからの映像を通しても、迫力がよくよく感じ取れるだろうから。
 ゆりのさんは歩くときもOriHimeを水平に保って、できるだけ揺らさないように気を配る。そうしないと映像を通して観ている側は、クルマ酔いみたいな状態になってしまう。
 細心の注意を払っていることもあってか、ふたりの呼吸はぴったりだ。さとうりさによるフワフワしたオブジェを前にすれば、
「なんだろう、これ? 豆、かな?」
 と一緒に考え込む。アリア・ファリドの映像作品を観ながら、
「男の人が踊ってるよ。合わせて踊ってみる?」
 とゆりのさんが言うと、結莉奈さんの操作でOriHimeが盛んに手をパタパタさせた。


「美術館にいるみたいな気分!」


 60分ほどで、ひと通り会場を観て回ることができた。
 羽田ゆりのさんに感触を尋ねてみると、
「心から楽しめました。妹の手を引きながら一緒に展覧会を観て回ったような気持ちでしたね」
 では古川結莉奈さんはどうか。鑑賞会、どうだった?
「美術館にいるみたいな気分だった! 楽しくて途中で歌ったりもした!」
 と、たいへんうれしそう。結莉奈さんの母親に様子はどうだったか聞いてみると、
「ずっと大盛り上がりでしたよ。身体の動くところをパタパタさせて、踊ったりもしてました。
 このところずっと外出できずにいて、正直わたしも含めて、気持ちが塞ぎ込んでしまうときもあった。でも今日は娘のこんな楽しそうな様子を見られて、ふたり揃ってリフレッシュできました」


 じつは結莉奈さんは、まだ実際の美術館へ行ったことがない。
 状況が落ち着いたら、美術館へのお出かけにも挑戦してみたいね。親子はそう約束を交わした。
 結莉奈さんの母親がこう言葉を継いでくれた。
「OriHimeと一緒にもっとあちらこちらへ行けて、いろんなものに触れるチャンスが増えたらうれしいですね。私たち家族や、同じような環境にいる人たちが、何か新しいことにチャレンジするきっかけになってくれそうです」
 分身ロボットOriHimeの力たるや絶大だ。そしてまた、アートとアートに触れられる場の存在も、やっぱり大切だと改めて感じさせる。
 不要不急? とんでもない。アートが存在し続け、いつだってそれに触れられる環境があることは、どんな状況にあってもしかと守られるべきもの。結莉奈さんの姿を見ながら、そう意を強くした。


(山内 宏泰)

文春オンライン

「美術」をもっと詳しく

「美術」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ