「子どもの虐待がなくならない理由。親の不幸や社会の見過ごしが引き金になる」山田詠美×春日武彦

9月28日(火)18時15分 婦人公論.jp


山田詠美さん(左)と春日武彦さん(撮影:本社写真部)

2021年8月、3歳の男の子が同居していた母親の交際相手に熱湯をかけられて亡くなるという痛ましい事件が大阪府摂津市で起きました。事件が起きるまで、市が同居の事実を把握していなかったことが9月24日に判明。泉南市からの転入時に「見守りが必要な家庭」と引継ぎがあったにもかかわらず、未然に防ぐことができませんでした。なぜこのような事件が繰り返し起こるのか。約10年前、大阪で母親が二児を遺棄して死亡させた事件をきっかけに小説を書いた作家の山田詠美さんと、精神科医の春日武彦さんの対談から、虐待について考えます

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子どもを無条件に愛せる親ばかりじゃない


春日 山田さんは、大阪の二児遺棄事件を、どうしてご自身の小説の題材にしようと思ったんでしょう。

山田 事件から懲役30年の判決が確定するまで、2年半ほどあったのですが、テレビのコメンテーターとかの言うことが、勧善懲悪に満ちていて。人生の岐路に立ったとき、こっち側なら大丈夫だったのに、あっち側に一歩行ったがゆえに破滅に向かう—そんな誰にでも起こり得る過ちがこの人たちは全然理解できないんだな、と。「これは私が書くしかない」と思っちゃったんです。

春日 僕、この小説を読んで、よくもまあガチでこれだけ書いたもんだとびっくりして。思い出したのが、富岡多恵子さんの短編で、『末黒野(すぐるの)』。

どういう話かというと、すごくいい加減な男がいて、女房と別れて子ども2人、男の子と女の子を引き取った。ところが、ろくに面倒もみずに、近所にバレるとうるさいから、鍵閉めてわからないようにして、そのまま出稼ぎかなんかに行っちゃう。そして子どもは死ぬ—ひどい話なんですけどね。わざと説話みたいな感じで淡々と書いてある。

「長編でやったら大変だろうな」って昔から思ってたんですが、ここに書いた人がいた(笑)。小説って、一行空きにすることで話を端折ってしまえるようなところがあるじゃないですか。

山田 そう、絶対それをやりたくなかったんです。行間嫌い。(笑)

春日 そこをキチッと埋めているところが力業だし、すべてを書き切らなきゃならないと思ったところが、執筆の動機なんだろうなという気はしていました。

山田 春日さんは最初、産婦人科医でいらしたのが、子どもを無条件に愛せる親ばかりじゃないのがつらくて精神科医に—、と何かで読んだのですが。

春日 医者の立場から見て、この人が子どもを育てるのか、と首を傾げたくなる親がいくらでもいるわけです。でも商売柄「おめでとうございます」と言わなきゃならない。不幸の始まりに立ち会っているようなものなのに。それが嫌でね。

山田 ヒエラルキーの上にいると思ってる人たちは、下なんか見ないじゃないですか。私、『つみびと』でその下と思われて見過ごされている世界を書きたいと思ったんです。地方ならではの事情を抱えた子も、いっぱいいるんですよね。


『つみびと』(山田詠美・著/中公文庫)

選択肢が見えるかどうか


春日 僕が産婦人科医だったとき、夫のほうの言い分に驚いたことがあります。彼らが語った本音を要約すると、結婚する理由が、恋愛でも見合いでも政略結婚でもない。「ただでセックスができ、ついでに家事もしてくれる。おまけに結婚していれば変人と思われない」。ごく普通の人が言うんです。考えちゃうよね。

山田 いろいろと話を聞いていると、「教養」の問題があるかな、と。教養って、よくも悪くも使えるもので……。必要だなと思うことがあります。教養は教育で得るもので、その教育をあらかじめ絶たれている人たちがどれほどいるかを考えると、優劣をつけるためのものではなくて、便利に応用できるものとしての教育の機会を与えてあげないといけないなと思うんです。

春日 教育って、「選択肢が見えるかどうか」ということですよね。

山田 そうなんです。何かを自分でチョイスする自由があるかどうか。

春日 『つみびと』を読んで考えたのが、人間が不幸になっていく理由。1つはね、「大間違いな工夫」。ちゃんと、抜き書きしてきました。

たとえば、琴音の母が夫の暴力で嫌なことがある度に「さあ、仕切り直し、仕切り直し」って言う。その部分だけ見ると、ヤフー知恵袋で紹介されそうだけど、目をそらすことによって問題の本質は見失われる。

あるいは、琴音が継父から性的被害に遭うとき、「心を飛ばす」。まさに《解離》ですよね。あるいは、琴音の娘の蓮音が誰かにすがる行為を自分に禁じる。頼らなければ断られて傷つくこともないから。

そういう、いじましい小さな工夫を重ねることによって、さらに不幸になっていく—。そこが丁寧に書かれていることに、すごく感心しました。

山田 うれしいです。一番、自分に課していたところなので。

子どもは言語化できない


春日 そしてもう1つがね、「痛々しい見当違い」。子ども2人を殺してしまった蓮音が「なぜ助けを求めなかったか?」と聞かれて、「幸せじゃない自分を知られるなんて死んだ方がまし」と言う。あるいは、琴音も、「私がいい気になっていたせいで、こんな事態を招いてしまった」と思う。子どもって「自分が悪い、自分のせいだ」と思ってしまうものなんですよね。

山田 いじめが原因で事件が起きると、「なんで言ってくれなかったんだ」と言うけれど、自分のちっさなプライドが邪魔して、親になんて言えるわけない。

春日 そのバランスの悪さね。特に子どもは言語化できないから。

山田 そう、言語化できないもどかしい人たちがいる。今回は「普通だったらこんなのわかるじゃん」というところを、「いちいち言わなきゃわからないんだ」と思いながら書いていました。

春日 3つめが「被害者意識」。蓮音が、4歳の息子の桃太に、「モモも、ママの邪魔すんの!?」って言う。あれは決定的な一言だよね。全員、自分が被害者だと思っている。被害者意識って、とんでもないことをするときのゴーサインになるから。怖いものです。

山田 「選択肢のある自由」のためには、教養やお金、いろんなものが必要じゃないですか。この事件の報道を見ていて、そのことに目が向かないんだなと思いました。

春日 たとえ患者さんに選択肢を示して、「こういう方法もあるよ」と一所懸命伝えても、みんな腰を上げない。こんなときこそ気合いを入れなきゃダメなのに、面倒がる。どうこう言ったって、被害者意識にかられながらの現状維持が楽なんだよね、大体の人は。

山田 人が本当の意味で自立するって、自分がここにいることに他人の手がかかっていると認識することだと思うんです。病んでる人は、そこがわからない。この小説の中でも、わかるまでに長い時間がかかります。


「精神科医として最終的に思うのは、《人の幸せとは何か》。絵に描いたような幸せなんてむしろ少ない」(春日さん)

親の生き方を反復してしまう


春日 精神科医として最終的に思うのは、「人の幸せとは何か」。絵に描いたような幸せなんてむしろ少ない。他人には不幸に見えても、当人にはそれが生きる手応えであったり、一種の贖罪(しょくざい)であったり。それはやはり不健康だと以前は思っていたけど、最近は脱力傾向です。(笑)

山田 それが大人同士ならいいけれど、子どもと大人になると……。

春日 子どもを巻き込むのは卑劣だね。生活に困窮している人たちが多い地域の病院で働いていたときなんですが、生活保護費が増えるからと子どもを5人くらいつくる親がいるんです。訪問すると、一番上の中学生のお姉ちゃんが赤ん坊背負って出てきたりして、「今の願いは?」って聞いたら、「せめて卒業式は出たい」。

山田 でも、間違えちゃいけないのは、「親がああだから、どうせあの家は子どもも……」っていう安易な偏見でものを言うこと。そういうステレオタイプな意見を聞くと私のセンサーが反応してしまうんです。

春日 確かにその通りなんだけれど。でも、見ていると、じたばたしているのに、やっぱりいつの間にか親の生き方を反復しちゃうケースが、多いんですよね。

山田 その、抜けられない輪をどうにかするために行政の力は大きいと思うんですけど、全然追いつかない、と同時に、行政の助けに加わろうとしない人たちも多い。

援助者の迷いを払拭することが大切


春日 反復するのは、つらいのと同時に、ある種の安心感につながるんだよね。馴染みのあるところに戻ってくる、というか。

山田 状況に対しての共依存みたいな感じ?

春日 そうそう。そしてときには自らそれを再現し、「自分の力でリセットしてこそ本当の人生が始まる」と奮闘し、でもやっぱり呑み込まれる。

山田 一所懸命助けようと思っているのに、「あなたに言われることは何もないよ」って突っぱねられることもある。どうしたらいいんでしょうかねえ。「よそのうちのことだから」って諦めるしかないのかな。

春日 僕も含めて、広い意味で援助者がね、どうしようもない家族をなんとかしたいと思っても、事実上できないことは多い。そのときからめ手のやり方があるんです。

たとえば子どもが死んでしまう、という結果になると、関わった人はものすごく苦しむし、ヘルパーやケアマネだと、世間から指弾される可能性すらあるわけです。援助者としては「どうしようもないから見守っていた」、しかし傍から見れば、「放置していただけ」。

だから僕は「関係者でまずケース検討会議を開きましょう」って必ず言うのね。みんなで検討すると、大概、「これはどうしようもないね」となるわけです。それでいい。公式に「どうしようもない」ことが確定することで、援助者の迷いが払拭されるし、責任もシェアしてもらえる。

で、せっかく集まったから「動きが出たらこうしよう」くらいを話し合っておく。すると、必ず動きが出るんです。周りが不安やイライラを発散するとそれが伝わって相手も頑なになる。逆にこちらに心の余裕が生じると、相手も現状にしがみつかなくなる。

山田 「北風と太陽」みたいな感じですね。

春日 その通り。こっちが腹をくくって余裕を取り戻すと、僕の経験だとね、予想もしていなかったことが起きる。どうしようもない家庭だったけど元凶の人物がマンホールに落ちて入院して、突如、介入の余地が生ずるとか。何か偶然をうまく味方につけるお膳立てが整うんだよね。

※本対談は中公文庫『つみびと』の巻末対談を抜粋・再構成したものです。

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