沖縄、震災、米同時テロ……改めて読む「今上陛下のお言葉」

10月1日(月)7時0分 NEWSポストセブン

1942年、愛馬に乗る今上陛下(当時皇太子)

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 平成の世も残すところあと半年あまりとなった。平成最後の終戦記念日の「全国戦没者追悼式」で今上陛下はあらためて「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」、追悼の意を表された。現行憲法下で即位し、「象徴天皇」のあるべき姿を模索しながら、慰霊の旅を続けた今上陛下のお言葉は、多くの国民の胸に刻まれたことだろう。


 今上陛下に限らず、歴代天皇の言葉は民の幸せを祈って発せられ、また民を導き、そして日本という国を形づくってきた。文芸評論家の富岡幸一郎氏が、あらためて噛みしめたい今上陛下のお言葉を紹介する。


●平成11年 「ご即位10年」の記者会見

〈私の幼い日の記憶は、3歳の時、昭和12年に始まります。この年に盧溝橋事件が起こり、戦争は昭和20年の8月まで続きました。したがって私は戦争の無い時を知らないで育ちました。この戦争により、(中略)数知れない人々の命が失われました。(中略)今日の日本が享受している平和と繁栄は、このような多くの犠牲の上に築かれたものであることを心しないといけないと思います。〉


「今上陛下の原点は、少年期に『戦争の無い時を知らないで育ちました』という言葉にあろう。『平和』の重みと戦没者への哀悼・慰霊の思いは、昭和帝から今上へとかくして受け継がれてきた」(富岡氏、以下「」内同)


●平成8年のお誕生日会見

〈沖縄は、先の大戦で地上戦が行われ、大きな被害を受けました。沖縄本島の島民の3分の1の人々が亡くなったと聞いています。さらに、日本と連合国との平和条約が発効し、日本の占領期間が終わった後も、20年間にわたって米国の施政権下にありました。このような沖縄の歴史を深く認識することが、復帰に努力した沖縄の人々に対する本土の人々の務めであると思っています。〉


「前年(平成七年)に沖縄県で米海兵隊員による少女暴行事件があったが、日米地位協定によって日本側の被疑者の取り調べは阻まれた。皇太子時代から両陛下の沖縄への深い思いは一貫してあった」



●平成23年3月16日のビデオメッセージ

〈この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。〉


「平成のまさに『玉音』放送であった。陛下は自ら原稿を作成されたという。宮城県南三陸町の津波で壊滅した地に立ち、両陛下が深々と黙礼される姿は多くの国民の心をとらえた。被災地へのお見舞いは一都六県にわたり、祈りは人々への直接の肉声となって顕わされた」(富岡氏)


●平成13年のお誕生日会見

〈この同時多発テロは、極めて多くの無辜の人々の命を失う極めて異例な事件でした。(中略)弔意伝達は、異例とのことですが、このような事件は過去にもなく、その事件そのものが異例であったと思います。


 皇室が前例を重んじることは大切なことと思いますが、各時代に前例のないことが加わっていることも考えに入れなければなりません。今回は、このことを踏まえて、侍従長を通じて駐日米国大使に弔意を伝えました。〉


「米国の同時多発テロ事件の発生後、陛下は侍従長を通して駐日アメリカ大使に弔意を伝えられたが、自然災害以外で外国にお見舞いの言葉を贈るのは前例がなかった。宮内庁や政府の意向を尊重しつつも、日本国の天皇としての意思は貫かれてきた」


【PROFILE】とみおか・こういちろう/1957年、東京都生まれ。中央大学文学部フランス文学科卒業。関東学院大学国際文化学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。著書に『虚妄の「戦後」』(論創社)、『西部邁 日本人への警告』(共著、イースト・プレス)などがある。


※SAPIO 2018年9・10月号

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