「大方の予想」なんて裏切るためにある ベイスターズ・乙坂智が打ち砕いたもの

10月7日(月)11時0分 文春オンライン

「熱いぜ」


 ベイスターズおじさんが渾身の、万感の思いを込めてしたためようとしていたその書き出し3文字を消した頃、私はボウリング場にいた。ボウリング、ぜんぜん上手じゃない。そもそも何年ぶりだろうか。一人で来るお客さんは常連マイボール持参の超うまい人と相場は決まってる。一方私は、ベイスターズのCS初戦の負けを受け止めきれぬままサンダルで家を飛び出したため、ボウリング場で300円のソックスを買わされる羽目になった。恋に破れた女が能登に向かうように、私は一人裸足でボウリング場にいる。


 ただ黙々とピンに向かった。真ん中を狙っても、どうしても右に行く。真ん中に行けば、左右だけピンが残る。イライラしてきた。どうして私はこんなところで漬物石みたいな重たいボールを、しかも10×2回も投げなきゃならんのか。隣のレーンでは学生さんのグループが盛り上がっている。ベイスターズがとんでもない逆転負けをしたというのに、どうして笑えるんだ。ベイスターズは負けた。こんな世界には何の意味もない。だったら私はもっと意味のないことをしてるやる。だから今、漬物石みたいなボールをひたすら投げている。何らかの自傷をしなければ夜を越せなかった。


「今日の濱口どうしたの?」という声が聞こえてくる


 破壊の夜もやがて朝を連れてくる。


 昨日の秋晴れが嘘のように、重苦しい雲がハマスタを覆う。時折パラつく雨と、もう10月だということを気づかせる冷たい風。その風が、マウンドの濱口投手の後ろ髪をなびかせていた。デーゲーム、ハマスタのはまちゃんに、あまりいい思い出はない。夏頃は初回からガタガタと崩れていく登板を何度か目にした。さらには昨日の敗戦、後が無い2戦目の登板。悪いデータならフルコースで揃っている。ただはまちゃんは、蓋を開けてみなければ分からないピッチャー。良くも悪くも「大方の予想」を裏切るという、その一縷の望みにかけていた。



重苦しい雲がハマスタを覆う ©西澤千央


 キレッキレのチェンジアップでアウトカウントを稼ぐたびに「今日の濱口どうしたの?」という声が聞こえてくる。4月初旬の甲子園で7個も四球を出しながら完封した濱口を思い出していた。そうだあの日も、前日に悪夢のような逆転負けをしていた。私だったら「濱口、何とか空気を変えてくれ!」の空気に絡め取られて、萎縮して自滅してしまうかもしれない。責任感の強い左腕長男の石田とも、完璧を求める次男の今永とも違う、ワイルドでお茶目で、大草原で自由に暴れまわる牝馬のような魅力が濱口にはある。そして、その自由奔放さにベイスターズは何度も救われてきた。この日も、あの2017年日本シリーズだって。


 甲子園で完封した瞬間は、子どもが上手にレゴを作った時にするような得意満面の笑みだった。だけど今日の濱口に、そんな笑顔は一瞬もない。少し青ざめたような、緊張の面持ちで、とにかく必死に腕を振っている。濱口は去年のハマスタ広島戦、71年ぶりとなるプロ野球ワーストタイの4連続押し出しを記録した。自由とコントロールのせめぎ合いは、はまちゃんをずっと苦しめてきたのだろう。


 チームとして崖っぷちに立たされた中で、今日のはまちゃんは、どこか違っていた。コントロールしなければという気持ちを、とにかくチームが勝たなければという気持ちが上回っていたのかもしれない。分からないけど、無我夢中の境地ってとこに、達していたように私には見えた。



「大方の予想」なんて、裏切るためにある


 そしてそれは濱口だけでも、ベイスターズだけでもない、相手チームの阪神もそうだった。点を取られれば、取り返す。取り返されては、また取り返す。誰一人諦めてなかった。ハマスタにいる全員が、ベイスターズが、阪神が、それぞれ勝つと信じきっている。奇跡のような空間だった。ビールはおろか、食べ物すら口にするのをはばかられた。スマホさえ見られなかった。回を追うごとに漲ってくる、両チームの余りにも研ぎ澄まされた「絶対勝つ」という気迫の中で、私ができることと言ったら、ただ一緒に戦わせてくださいという気持ちだけ。ベイスターズおじさんの言う通り、我々はウキウキウォッチングするしかない。だけどこんなにレベルの高いウキウキウォッチングあるか。ぎゅっと握ったまま、拳の中の爪が痛い。寒いのに持ってきた上着を取り出すこともできない。私が集中力を切らしたら、負けると本気で思っていた。ガンジーは、ガンジーってこんな気持ちだったんだろうか。ファンは無力だけど、無力なりの精一杯を、もしかしたら今季最後になるかもしれないハマスタに捧げたかった。


 そして9回表、2アウトからの福留選手の同点ホームランが、自分の精一杯の足りなさを知らしめた。


「大方の予想」なんて、裏切るためにある。ハマスタ、デーゲームの濱口投手はダメという大方の予想のように。そもそもベイスターズに予想なんて成り立たない。昨日だって絶対勝つと思っていた。絶対勝つと思っていたのに負けた。一人で無意味にボウリングする羽目になった。9月21日のことを思い出す。虎の子……いや星の子の1点を勝利まであとアウト1つのところで巨人に奪われ、茫然自失になったあの日のことを。ヤスアキ回またぎの9回にラスボス福留の一撃で追いつかれた後の「大方の予想」は、ずるずると敗戦の海へと引きずられるベイスターズだ。トゥモローもアナザーデイもない、シーズンの終わりだ。嫌だ、まだ終わりたくないよ。私は自分の脳裏に浮かぶ「大方の予想」を打ち消すように、叫んでいた。


「オトサカトモ」「オトサカトモ」「オトサカトモ」「オトサカトモ」


 それは不思議な呪文のように、ハマスタを包み込んだ。9回裏、宮﨑がヒットで出て、1アウト1塁での代打「オトサカトモ」。ピンと張り詰めたマウンドの空気が、一瞬、乙坂のバントのモーションで緩んだ。怖い、野球って怖い。相手は今季ベイスターズを完璧に抑えている岩崎投手。ニコのあの初球バントの構えが、「大方の予想」に小さく引っ掻きキズを作った。迷いを含んだ岩崎投手のストレートを乙坂が思い切ってスイングする。ボールはスローモーションのようにライトスタンドギリギリに沈んで消えた。バントすんのかい、すんのかい、せえへんのかい! からのホームラン。忘れてた、スプリットなら両方狙うのが乙坂だった。喜びと驚きと虚脱がいっぺんに訪れて、涙が溢れ、私は腰を抜かしていた。



 破壊の夜が明けて、新しい今日がやってくる。新しい今日のベイスターズは、昨日のベイスターズとは違う。はまちゃんがニコが、パットンがエスコバーが、悔しい昨日を過ごした選手が「大方の予想」をその手で打ち砕いた。現在朝の5時。また新しい今日。第1戦を落としたチームがファイナルに行けないというデータと、ハマスタの阪神に勝てないという「大方の予想」に決着をつける、今日がくる。


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(西澤 千央)

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