40代、50代の子どもが老いた親へ暴力を。依存症、自傷行為など彼らの問題行動を解決する方法

10月17日(日)18時30分 婦人公論.jp


暴力や暴言など、中高年の子どもによる問題行動を解決する方法とは?(写真提供:写真AC)

今では10代だけでなく、40代、50代の中高年が老いた親に対して起こした家庭内暴力事件をよく見聞きするようになりました。精神科医として、ひきこもり本人やその家族と接してきた最上悠医師によれば、多くの場合、素の感情を子どもが無理に抑え込んだ結果としてゆがんだ考えや行動が生じていると言います。解決するには、親側が「聴く耳」と「見極める目」を持たなければならないそうで——。

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問題行動の背景には「一次感情」の影響が


前回の記事「ひきこもりの40代男性が、父の介護を担うまで回復した道のり。必要なのは「正論」でなく「傾聴」」で中高年のひきこもりについて触れました。しかしひきこもり以上に、親を惑わせ、疲弊させるのが、子どもの暴言や暴力、自傷行為、さまざまな依存症、摂食障害といった問題です。

子どもたちが起こすこうした問題行動には、一次感情が大きく影響しています。

一次感情とはつまり、「本音」の感情です。喜怒哀楽のようなヒト以外の動物にも共通すると考えられているもので、主として大脳の奥深いところで生じ、「基本情動」とも呼ばれています。たとえば、「親が死んで悲しい」とか、「高所や暗闇は怖い」といったものがそれに当たります。

一次感情は、ある種原始的とも言える“素(す)”の感情です。

ときには耐えきれないほどの苦痛を伴うものもありますが、しっかり感じ切ると、時間の経過とともに自然と消退していくようにできています。怖かったジェットコースターが、慣れると怖くなくなったり、失恋の傷手も時間とともに薄らいでいったりするように、です。

つらい自分の一次感情から目を背けたり、親がそれを受けとめてくれなかったりした場合、そのしわ寄せが「二次反応」として表れ、ゆがんだ考えやふくれ上がった感情、不健全な身体感覚やゆがんだ身体反応につながり、結果的にそれで子どもが苦しむ、というメカニズムがあります。

家庭内暴力は一種の「家庭内テロ」


子どもは一次感情を処理したいがために、親にその気持ちのつらさを理解してほしいのです。口に出せない、あるいは言っても伝わらないために、「とにかく自分はつらいのだ」と行動で示すことにもなります。


家庭内暴力は一種の「家庭内テロ」である(写真提供:写真AC)

たとえば、家庭内暴力は、一種の家庭内テロとも言え、それによって親子関係は改善するどころか悪循環しか生まれませんが、何か苦しんで困っているという熱量だけは親に伝わるかもしれません。

ただ、それができるのは力の強い男性もしくはそれを表向きに表現できる強さを持ち合わせた性格の人です。

暴力を振るえない多くの女性や気の弱い人の場合は、ひきこもりや食行動の異常である摂食障害、自傷行為など内側への衝動性の亢進(こうしん)や何かしらの依存症という形になって表れることがあります。

たとえば、拒食症には、無意識のハンガーストライキの側面もあり、自分が病気になることで、ようやく親が真剣に自分のほうを向いてくれたという患者もいます。もっとも、そういう意図がなく拒食症になる人もいるので、一方的な決めつけは禁物ですが。

夫婦ゲンカを目にした子どもが腹痛を訴える理由


親が夫婦ゲンカを始めると、幼い子どもが「おなかが痛いよ」と訴えることがあります。

すると親は救急車を呼んだり、一緒に病院を探したり、自分のことで真剣に話し合う。そうした「共同作業」が生じたことに安心したかのように、病院に連れていったときには腹痛が消えている……。これは実際によくある話です。


なぜ夫婦ゲンカを前にして腹痛を訴える子どもがいるのか(写真提供:写真AC)

この場合、子どもは演技をしているのではなく、言語化の能力が発達していない子どもであっても、親の不仲は生物としての生存の危機を感じるため、本能的にこのようにして非言語的なメッセージを出すメカニズムがあるわけです。

それなのに、「お前の腹痛は、都合が悪くなると出てくる仮病だからな」と、本質に鈍感なまま、平然とこんな嫌味を言い放つことしかできない親がいます。こんな親の下で、どうして自分の感情を大切にできる子が育つと言えるでしょうか。

また、反抗期に差しかかった子どもが非行に走るのも同じです。私にはかつて賑やかだった夜中の暴走族のクラクションは、「父ちゃん、母ちゃん、俺の本当のつらさや寂しさをわかってくれよ、俺のほうを振り向いてくれよ」という悲痛の叫びにしか聞こえてこないのです。

それと同じで、子どもが問題行動を起こすのは、子どもが自分の窮状を伝えようとするからなのです。親に受け止めてもらえず、まだ未熟で不器用な子どもほど、自分の窮状を伝えようとすればするほど「熱量」ばかり上がる=行動や症状がエスカレートするだけで、残念ながら事態は正しい方向には進みません。

なぜ中高年になっても問題行動をするのか


では、幼い子どもではなく20歳を過ぎた子ども、もっと言えば、40や50を過ぎた子どもまでもが、親の嫌がることをするのはなぜなのでしょうか。

それは、やはり幼い頃から親のために、「本音」の感情を押し殺してこざるを得なかったからです。

赤ちゃんがおぎゃあと泣くように、幼い子どもは駄々をこねます。幼稚園から小学校に上がってからも、「〇〇を買って!」「勉強なんかイヤだ!」などと訴えます。

それに対して、親はときには「わがままを言うんじゃない」と説教をするかもしれませんが、たいていの場合は、泣かせたり言いたいことを言わせたりして「本音」の感情を吐き出させることで、子どものストレスはいったんリセットされます。

子どもが小さいときであれば、親に不満を抱いて、安いお菓子を買ってと駄々をこねたり、おもちゃを投げつけて壊したりといった程度の問題ですみます。

ところが、そういう感情を表現することさえ許されずに大人になると、ストレスをゆがんだ形でため込んでしまうことになります。「本音」の感情をしっかりと親に受容してもらっていないために、生じた感情を感じてリセットするという情動処理の技術がうまく身につかないまま大人になってしまうのです。


感情を抑え込み続けると、ストレスをためこんだまま成長してしまう(写真提供:写真AC)

すでに触れたように、「本音」の感情は「一次感情」とも呼ばれ、「心の羅針盤」とも言われます。これは生物としての「本能」であり、自分はどうしたいかということを感情で感じ建設的に表現できれば、好きなことはやりたい、嫌なことからは逃げる、といった意思表示につながります。

小さい頃から、親によって「そういうバカなことを言うんじゃない」などとただ押し潰されるだけだと、大人になっても言いたいことが言えず、泣き寝入りするだけになります。

すると、いつしか周りの顔色ばかりうかがうようになり、失敗が怖くて挑戦できなくなり、結果、成功するためのスキルも磨かれず、自分の核となる感情が何なのか、自分は何がしたいのかまでもがわからなくなってしまいます。

本音の感情は本能そのものですから、身体感覚とも密接に連動します。

そのため、本音の感情を押し殺していると、人によっては、拒食症のように飢餓状態でも空腹を感じられない、過食症のように食べすぎるほど食べても満腹にならない、過労で倒れるかたのようにいくら行動しても健全に疲労を感じられない、逆にその反動でいつまでも慢性的な疲労・倦怠感や痛みが抜けない、リストカットで快感を感じるといった感覚異常までもが起こるのです。

「怒っている人は、困っている人」


もうおわかりだと思いますが、そんな子どもの問題行動を解決するため助けになるのは、親が子どもの本音の感情をしっかり聴いてあげることです。これは小さい子どもも、大人になった子どもも同じです。年齢は単なる数字でしかありません。


『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』(著:最上悠/マキノ出版)

小さい頃に文字を習えなかった大人が、「いい年して」と言われようが「いろは」から学ぶしかないように、心の課題も、未成年期に健全に育たなかった大人は、子どもと同じレベルから始めるしかありません。いくら見てくれだけが大きくなっても、メンタリティの本質は小さな子どもと変わらないからです。それほど親の影響力は大きいのです。

ただ、未成年と違い、大人の本人は、「いい年して、年老いた親に自分はいつまでこんな子どものようなことを言っているのだろう」という罪悪感にも苛(さいな)まれているので、この葛藤による苦悩が未成年以上に感じるつらさをふくらませていることは忘れてはいけません。

「怒っている人は、困っている人」

これは、心理学の世界でしばしば言われることです。心の病や行き詰まりを抱えた人が怒るのは、本当は怒りたいからではなく、その背後に不安、寂しい、悲しいといった本音の感情(一次感情)があるからです。

それがつらすぎるからなんとかしたいけど、つらすぎて向き合えないために、本音に蓋をして悪あがきしたり回避したりする。それがどんどん蓄積してふくらみあふれ出したものが、怒りや衝動行為なのです。

必要なのは「聴く耳」と「見極める目」


これは、夫婦ゲンカも同じです。奥さんが旦那さんに向かって怒鳴るのは、怒鳴りたいからではなく、自分の話をきちんと誠実に聴いてくれなかったり、気持ちを理解してくれなかったりするのが、不安だったり、悲しかったり、寂しかったりするからではないでしょうか。

「ちゃんと、私の話を聴いてよ」と言ったとき、相手から「また、同じ話か?」「いっぱい話しているじゃないか」「何度言えば気がすむんだ」と反論されることも多いのではないでしょうか。

それに対して「そっちが、一番大事なところを理解してくれないから、何度も同じ話をする羽目になっているのに」と言えば、「その言いぐさはなんだ!」となり夫婦ゲンカが始まるのではないでしょうか。

子どもの暴言や問題行動も全く一緒です。そんなとき大事なのは、怒りや衝動という「うわべ」の感情(二次感情)や関連する問題行動(二次反応)を真に受けて反論するのではなく、それより深いところにある「本音」の感情(一次感情)を感じることです。そして、その際に大事なのは「聞く」と「聴く」の違いを理解したうえで、「聴く」ということにほかなりません。


「『聞く』と『聴く』の違い」(『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』より)

我が子が自分の感情を深く感じる力がないならば、その習得のためには、親が子どもの話をしっかり「聴く耳」と、子どもの様子を「見極める目」を持たなくてはならないのです。

優れたセラピストでも親以上の成果は出せない


こう言うと、「親でなくてもよいのではないか?」と言う声も聞こえますが、そこには二つ反論があります。一つは、年齢を重ねた行き詰まる大人に対して、親以上に真剣にそんなことを無償でやってくれる人など世の中には存在しないということ。

もう一つは、さらに重要な点として、どんなに優れた専門職のセラピストでも、親子で抱えている根源的な課題に関しては、親以上の効果は出せないということです。

もちろん、どうしても親の協力が得られなければ、次善の策としてセラピストが関わるやり方はありますが、得てして非常にお金も時間もかかり難しいうえ、成功したとしても、親に受け止めてもらえるほどのハッピーエンドには到達しません。所詮セラピストにできるのは、うまくいったとしてもセカンドベストとしての救いや癒やしの提供までです。

そもそも制度上の問題もありますが、私が自分の力不足を棚に上げて言わせてもらえば、そんな素晴らしい精神科医やカウンセラーに出会うことは我が国では非常に困難ではないでしょうか。私の周囲を見てもそう感じざるを得ません。

だから私は、あえてファーストチョイスとして、親の重要性を強調してきたつもりです。

子どもは、親がわかってくれずに感じてきた「寂しい、悲しいという気持ち」を、親に「そうなのね」と心の底から聴いてもらえて安心できれば、長年ため込んできた澱(おり)のようなものは消えていきます。

その極上の快感を覚えた子どもには、自分の本音の気持ちを大切にして生きる、つまり自分らしく生きたいという気持ちが芽生えます。そして、このままではいけないと自然に感じ、将来に向けての建設的な行動が始まります。それこそ他人からの押し付けではない、本当の意味での自立が始まるのです。

※本稿は、『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』(マキノ出版)の一部を再編集したものです。

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