プレゼントは懸賞の再利用、義父母の家では肉とトロだけを狙う義妹。実母の骨も墓代の節約でテレビ台の上に

10月18日(月)12時10分 婦人公論.jp


イラスト:カワムラナツミ

無駄な出費は誰もが抑えたいもの。しかし倹約が行き過ぎると、身近な人々からの信頼を失いかねません。滋賀県に住む畑中朋子さん(仮名・33歳)の義理の妹は、懸賞マニアなだけでなく、徹底した合理主義のようで…

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義理の両親の家では肉ばかりを狙う


義妹(夫の弟の妻)は懸賞マニアである。決してお金に困っているわけではない。彼女の父は有名企業で高い役職に就いていたし、彼女も義弟も揃って公務員だ。だから、これは彼女の性分なのだろう。雑誌の読者プレゼントにせっせと応募し、いろいろなものをゲットしているようだ。

そして自分の気に入らないプレゼントが当たると、誰かの誕生日や記念の贈り物として再利用。ありあわせのリボンや包装紙でラッピングしてあるのがなんとも貧乏臭く、自分で買ったものではないのがバレバレである。

しかも、勝手に親族中の名前を使って応募しているようだ。私のところに心当たりのない商品が届いた直後、義妹からLINEで「当選商品のセット、今度会うとき持ってきてくれますか?」と連絡があったこともある。

デパートのコスメカウンターで、サンプルをどっさりともらってきては自慢をすることも。何も買わずにサンプルだけもらって帰るというのは、相当勇気のいることだ。私など、売り場のビューティー・アドバイザーに一分の隙もない笑みを向けられると、ついその圧力に負けて、買うつもりのなかったものまで買ってしまう。単なる小心者かもしれないが、そのくらいが普通の感覚ではないだろうか。

肉とトロばかり狙う義妹


ある日、夫の実家ですき焼きの鍋を囲んでいた。すると義妹は、目を爛々と光らせて肉ばかりを狙っている。少しでも高い食材をとらなければ、損をするとでもいうように。今どきは、義父母のほうが嫁に気を使うというが、わが家でも例外ではない。義理の両親は、豆腐とネギと糸こんにゃくばかり。

そういえば以前、手巻き寿司をしたときも、義妹がトロばかり取るので、義父母はかっぱ巻きを食べていた。さらに義妹は、食後に出された個包装のクッキーや饅頭を平然と自分のカバンに押し込み、菓子盆をからにする。これは毎度のことなので、もはや誰も驚かない。

幼い頃、祖母に連れられて親戚の家へ行ったとき、私も同じようにしたことがある。出されたチョコレートがあまりにおいしく、祖母とその家の主の目を盗み、ポケットに詰め込めるだけ詰め込んだのだ。そして帰りがけ、それがポケットからこぼれて大変気まずい思いをした。親戚のおばさんは笑って、許すどころか余計にお菓子をくれる。しかし祖母は、その場では何も言わなかったが、帰り道に私を厳しくった。

「朋子。チョコレートを得た代わりに、何を失ったかわかりますか」。そして「タダより高いものはない」とも言った。出されたものはその場で楽しむものであり、持ち帰るのがいかに卑しいことか、と。

私の地域には「食わさんとく」という方言がある。これは、家で十分に食べさせないため、よそでガツガツする子どものことを指す。義妹こそ、「食わさんとく」ではないか。

亡くなった実母にもお金は使いたくない


私と義妹は、ほぼ同時期に結婚した。結婚して間もない頃、義母が着物と帯を譲りたいと、私たち嫁2人を家に呼んだことがある。大島紬の着物や西陣織の帯など、高価な品を並べ、どれでも好きなものをひとつずつ選びなさいという。

義妹はそのときも、自分の好みではなく、並べられたなかで一番高いものを選ぼうと必死だった。義母がそれぞれの品の思い出を、懐かしそうに語っていても上の空。あとで「あの子、ネットオークションとかで売っちゃうんじゃないかしら」と義母は肩をすくめていた。

義母から、こんな話も聞いた。義妹の母は、3年ほど前に亡くなった。しかし、義妹は四十九日をとうに過ぎても納骨せず、お骨をリビングのテレビ棚に無造作に置いているというのだ。

亡き人に未練があってとか、墓がどこもいっぱいで予約待ちとか、あるいは「手元供養」だというのなら、まだ救いようがある。けれど、義妹は、「墓代もバカにならない。死んだ後にお金をかけても仕方がないですから」と言ったそう。身も蓋もない。

同じ理由で、ご母堂の葬式もせず、病院から火葬場へ直行する「直葬」という形をとったらしい。信心深い義母は、「きちんと納骨しないと、成仏できないわよ」と嘆く。

私も寂しい気持ちになった。義妹に対し、哀れみすら感じる。彼女のように考えていては、誕生日や還暦などのお祝いも無意味だし、初詣や縁起を担ぐ行事のすべてが否定されてしまう。突き詰めれば、生きていること自体、何の意味があるのかという空虚な気持ちに行き着くのではないだろうか。

行き過ぎた合理主義というか、実利主義が災いし、義妹は親戚と没交渉になってしまっているらしい。しかも彼女は、歯の治療や運転免許の取得など、お金のかかることは、意図的に結婚後へとずれ込ませた、と得意げに語ったこともある。私の両親は彼女とは正反対の考え方で、婚家に負担がかかるといけないからと、治療や免許取得などはすべて、結婚前に済ませるようにと言っていた。それが誠意だと思っているのだ。

今ならはっきりとわかる。金銭というのは結局、人と人とをつなぐものなのだ。義妹は「友だちができないのが悩みだ」と言っていた。一事が万事この調子では、当然だろう。

自分のなかに、せこい気持ちが湧き上がったとき、私は祖母の言葉を思い出す。「チョコレートを得た代わりに、何を失ったかわかりますか」。義妹は、一時のちょっとした得と引き換えに失っているものの大きさを、きっと知らないのだろう。

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