横尾忠則「耳が遠くなり、目もよく見えなくなって初めて〈アートが始まった〉」

10月19日(火)12時53分 婦人公論.jp


横尾忠則さん(撮影:木村直軌)

世界的に活躍している美術家、横尾忠則さん。今年は、集大成となる大規模な個展も開催された。幼少の頃の絵の思い出から最新の創作活動まで、芸術と向き合い続ける心境を語ってくれた(構成=篠藤ゆり 撮影=木村直軌)

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70歳の時に「隠居宣言」をしたけれど


僕は早起きで、今日も朝5時に起きて、8時頃アトリエに来ました。毎日、ほぼ1日中、アトリエで過ごしています。終日、絵を描くこともあるけれど、ほとんどは描きかけの絵に囲まれて、なんとなくぼんやりしています。言葉や概念を頭にぎゅうぎゅうに詰め込むタイプの人もいていいんですが、僕の場合、創作するためには頭をからっぽにすることが不可欠です。

70歳の時に「隠居宣言」をしましたが、これからはやりたいことをやり、嫌なことはしないという、自分に対する宣言でした。おかげで時間を有効に使えるようになったけど、やりたいことが多いので結果的に忙しくなった(笑)。でも、趣味で忙しいので嫌だという気持ちはありません。

6、7年前から難聴になり、だんだん悪くなっているので、今ではほとんど耳が聞こえません。目もよく見えないんです。でも肉体的ハンディを自然体にすればまったく問題ないです。

瀬戸内寂聴さんが「耳が聞こえなくなったら作品が変わるわよ」というから、「ベートーヴェンじゃあるまいし、そんなバカなことはない」と言っていたんです。ところが実際、絵が変わっていきました。

聞こえないと、言葉が曖昧になり、アウトラインがぼやけてくる。世界全体が朦朧としてくるんです。横山大観の作品のなかに「朦朧体」という技法があるけれど、あれは頭で考えたもの。でも僕の場合は「肉体がやらせてくれる朦朧体」だから、線が自然にぼやける(笑)。それが楽しいというか、自分の作風を根底から変えてくれました。


東京都現代美術館で開かれている展覧会『GENKYO 横尾忠則』(現在は会期終了)では150号サイズの大きな自画像にも取り組んだ

モネも白内障を患ってから「睡蓮」を描いた


今、展覧会『GENKYO 横尾忠則』が東京都現代美術館で開かれていて(現在は会期終了)、600点以上の作品が展示されています。最後の展示室にへたくそな絵が並んでいますが、耳が遠くなり、腱鞘炎で手が動かなくなってから描いた最新作も。

今回は、150号サイズの大きな自画像にも取り組みました。大仏さんみたいな大きな自画像を描いてみたらどうなるんだろうと思って。これは1日で描きあげた。実際は2時間くらい(笑)。手が痛くて細密描写ができないので、大きなハケで殴り描き。そもそも自画像なんて、時間をかけて舌なめずりしながら描くようなものではない。一刻も早く描いている行為から逃れたいという不思議な感覚です。だからあっという間にできました。

僕は絵を描き始めた頃、テーマやテクニック、様式にがんじがらめになっていました。その状態が何十年続いたかなぁ。ところが次第に身体が衰えてきてハンディが増えるにつれ、そういう技術に従うことができなくなった。自分ではそうなって初めて、「アートが始まった」という感覚があります。

目や耳に支障が出るにつれて、絵画から自由になっていく感じですね。画家のクロード・モネも白内障を患ってから、「睡蓮」という傑作を描いた。老いが人生をよい方向に導いてくれることもあるんです。病気や肉体の衰えに抵抗するからしんどくなる。若いと思って昔と同じやり方をしようとすると、失敗に終わってしまう。受け入れて折り合いをつければ、新しい生き方ができるんじゃないかな。

三島由紀夫さんとの出会いと別れ


創作の出発は5歳の時。その頃描いた宮本武蔵の絵も展示しています。それから数えると、80年分展示されていることになるのかな。間もなく一生が終わると思うけど、改めて自分の作品を見て、「短い一生だなぁ」という感じがしますね。

自分のやるべきことは、5歳の処女作にすべて集約されているようにも感じます。そのあとの作品は、進歩しているのではなく、変化あるのみです。人間というのは、そんなに進歩するものではないんでしょうね。そもそも何千年も前の人と今の人間は、そう変わらない。文明が進歩しているから自分も進歩しているように思っているけれど、そんなことはないですね。

グラフィックの分野で仕事を始めたのは1960年代です。唐十郎さんの「状況劇場」や、寺山修司さんの「天井桟敷」のポスターを描いていました。1銭ももらえないけど(笑)、夢中でしたね。かえって思う存分、やりたいことができた気がします。

当時は、若者が初めて自分の生活のなかにカルチャーを取り入れた時期でもあり、結果的にわれわれがそれを提供することになった。時代とのコラボレーションという感じでした。今の若い人たちは、あの時代の空気を、ポスターを通して感じてくれるみたいです。

三島由紀夫さんと出会ったのは30歳くらいの頃で、交友期間は亡くなるまでの5年弱くらい。この出会いが、その後の僕の作品にいろいろな影響を与えた気もします。三島さんと出会っていなかったら、今の僕はいないのかもしれません。

最後に話したのは、亡くなる3日前です。普通に話していた人が、突然、あんな形で世界から消えてしまったわけですから、ものすごく大きな衝撃を受けました。

ピカソ展の間に、突然、「絵を描こう!」と


三島さんは、いつも「生」のなかで「死」の問題を純粋に捉えていた方だと思うのです。晩年はそれこそ毎日、切腹するような気持ちで生きておられたのではないかと思います。毎日が切腹。そして、70年11月25日が本番だった。

ものを創造する人間にとっては、毎日が地獄です。器用な人は絵や文章を上手に書くかもしれないけど、追い詰められた生き方をしないと芸術は生まれない。三島さんが切腹した時、そう突き付けられた気がしました。僕も毎日ダンテの「神曲」を生きているつもりです。

大きな転機が訪れたのは、40代です。それまで自分は生涯、グラフィックデザイナーで行くと思っていたんですよ。ところが80年、ニューヨーク近代美術館で行われたピカソ展を見ている間に、突然、「絵を描こう!」と思ったんです。「描きたいな」ではなく、「描かなきゃいけない」と、霊感のような強いものを感じました。美術館に入る時はグラフィックデザイナーだったのに、出る時には画家になっていた。そういうことが人生にはあるんですね。半ば宿命的なもので、その運命に従っただけ、という気がします。

画家宣言をした当初は、誰も僕をアーティストとして認めてくれませんでした。美術界では、画家はひとつのスタイルを追求し、それを深めていくのが本来の在り方だとされていたからです。でも僕の場合、100点描いたら100点違うものができてしまうので、そういう意味では画家失格です。だから相当叩かれました。

作風が変わるのは、思想的に変化しているわけではなく、僕自身の生理現象がそのまま表れているからです。性格的に飽きっぽいので、なにかひとつやると、すぐに別のものに目移りする。そうやってどんどん飽きていく多様性が、そのまま僕のスタイルになってしまったんじゃないかな。その繰り返しのなかに暗中模索があるのかなと思っています。

50年後、世界中の人々がマスク姿になるとは


昨年、新型コロナウイルスの世界的な流行が始まると、国内外の美術館やギャラリーが閉じてしまいました。あらゆる発表の場を失って、さてどうしようか、と。そこで僕は毎日、過去に描いた絵画などのヴィジュアルに、マスクや口腔のイメージをコラージュし、「With Corona(Without Corona)」としてSNSで世界に向けて発表することにしました。人類にとって未曽有の状況のなか、「日常が異常」になったことに向き合って、この連作アートを続けています。

そもそもマスクというと、69年に「舌を出した大きな口」を描いたマスク作品があります。当時、僕自身がそのマスクを装着したポートレートを石元泰博さんに撮影してもらい、雑誌『太陽』に掲載になった。それから50年後、世界中の人々がマスク姿になるとは想像もしませんでした。


『横尾忠則 創作の秘宝日記』横尾忠則著(文藝春秋)。
カバーにマスク姿の横尾さんが

芸術には時々こういう不思議なことが起きるのですね。創造の根源には、未来の時間を吸い上げるエネルギーのようなものがあって、作品が無意識に未来を予感することがある。作者が予感しているのではなく、作品自体が予知をし、それが何十年後かに現れる。そういうことも含めて、芸術というのは神秘的なメディアだと思います。

オノ・ヨーコさんがアトリエに来てタマの絵を見て


もともと自分のためだけに描いて、発表するつもりのなかった作品もあります。15年飼っていた猫、タマが死んだ日の朝、死体を見ながら2枚の絵を描きました。それをきっかけに、僕が撮っていたタマの写真を参考にして、2、3年かけて91点の絵を描いたんです。絵を描くと、タマと交流できる。そのために描いていたので、自分ではアート作品とは思っていませんでした。

ところがオノ・ヨーコさんがアトリエに来てタマの絵を見て、「頭で考えたり、売るための作品ではなく、純粋にその対象を思って、愛を描いている。これこそアートだ」と言ってくれて。展覧会でもタマへのレクイエム(鎮魂歌)とした展示コーナーでうるうるしたという人が多いので、僕も驚いています。

今までを振り返ると、なにか自分のなかのとても強烈な体験が絵として現れている。それは自然と絵に現れるわけで、いちいち頭で考えて意味づけた絵ではない。僕であって僕でないというか、自分のなかにいる、僕の知らない他人が描いているような気もします。

人間が完成した形でこの世に生まれてくるのだったら、何も生きていく必要はないんです。未完成で生まれてくるから、努力したり、足掻きもする。僕も未完成の魂で生まれて、あくせく絵を描いてきたわけだけど、これからも変化し続けながら、たぶん未完のまま死んでいくのでしょうね。それでいいんだと思います。

コロナ下ではアトリエに人が訪れる機会も失われ、僕は寝ているか、絵を描くかしかなかった。それは孤独な時間でした。でも、その孤独のおかげで、いちばん働いた若い頃よりもたくさん絵を描いたかもしれない。こうして自分のなかの他人と遊んでいると、退屈なんてまるでしないんです。

「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」展示風景、東京都現代美術館、2021年 撮影:山本倫子

※『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』は、横尾さんの芸術活動の全貌を俯瞰できる大規模展覧会。「越境するグラフィック」「滝のインスタレーション」「Y字路にて」「タマへのレクイエム」などのテーマで構成。東京都現代美術館にて、10月17日まで(現在は会期終了)

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