「人間は『意味の壁』をつくってしまって、見たいようにしか見ない」美術家・杉本博司インタビュー

10月20日(土)11時0分 文春オンライン

 お出かけに最良なこの季節、少し足を伸ばしてみるなら熱海がいい。


 駅から海とは反対側へ。山の中腹にあるMOA美術館がお目当てである。


 現在催されている展示は、「信長とクアトロ・ラガッツィ 桃山の夢と幻」と、「杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ」の2本立てだ。



重文 洋人奏楽図屏風 桃山時代 16世紀 MOA 美術館蔵


熱海で桃山時代の名品に囲まれる


「信長とクアトロ・ラガッツィ 桃山の夢と幻」というタイトルの、「信長」は織田信長だし、彼が生きた時代が「桃山」であるのはわかる。


 では「クアトロ・ラガッツィ」とは? 信長のいた時代、1582年にローマ教皇のもとへ派遣された4人の少年使節のこと。彼らのたどった生涯とその時代を活写した西洋美術史家・若桑みどりの同名著書にちなんだ名付けだ。


 彼ら天正少年使節にまつわる史料や当時のキリシタン美術・工芸、それに《織田信長自筆感状》をはじめ信長ゆかりの文物で展示が構成されている。



「杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ」のほうは、天正少年使節をテーマに美術家・杉本博司がつくり上げた作品を展観できる。


 杉本博司といえば、近年では建築設計や能・浄瑠璃の演出まで手がけているものの、基本的には精緻な技術を用いて生み出される銀塩写真が世界中で高い評価を得てきたアーティスト。《ジオラマ》《海景》《ポートレート》など、透徹したコンセプトと、観る側の目も心も根こそぎ奪う画面の美しさを有した作品群で広く知られる。


 歴史に学び、始原のイメージを現前化させることをたびたび試みてきた杉本博司が、天正少年使節をテーマに据えたのはなぜだったか。本人に話を聞けた。直接の声を交えて、経緯を見てみよう。



イタリアで、時を超えて、少年使節と出会ってしまった


 杉本博司の作品に、《劇場》と題されたシリーズがある。


 映画を写真に撮ることを試みたものだ。劇場にカメラを据え、映画の上映開始とともにシャッターを開き、終わると同時に閉じる。露光時間は上映時間とぴったり同じ。スクリーン上の映像が放つ光を、カメラは作品一本分丸々吸い上げる。結果、スクリーン部分にはなんら像が残らず、白銀一色になってしまう。



 2015年のこと。杉本博司はこの劇場シリーズを撮影するためヨーロッパ各地を訪れていた。イタリア・ヴェネト地方のヴィチェンツァには16世紀の建築で、ヨーロッパのオペラ劇場の最古の姿を今に留めるテアトロ・オリンピコがある。内部が無数のギリシャ風彫像で飾られ、ロビーの天井周りにはフレスコ画が施されるという破格の壮麗さ。


 撮影に赴くと劇場支配人に、ある壁面に注目するよう促された。そこには、日本からの使節が立ち寄り歓待された場面が描かれていた。天正遣欧少年使節である。


「期せずして私は、イタリアで彼らと出会ってしまったわけです。こうなると俄然興味が湧いてきて、天正遣欧少年使節のイタリアでの足どりを調べてみた。すると、さらに驚くこととなりました。


 彼らはリボルノ、ピサ、フローレンス、シエナを経てローマ、その後アッシジからベニスへ向かっています。私はこれまでにローマのパンテオンも、ピサの斜塔も、シエナの大聖堂も撮影したことがあります。かの少年たちが見たであろうものの多くを、偶然にも私はこの目で見てきたのです。


 そのことに気づいたとき、私には彼らの声が聞こえた気がしました。


『私たちが見たこのヨーロッパの風景を、今一度あなたにも見てもらいたい』と」


イタリアはどこでも食事がうまいとの定評は嘘


 はじまりは、偶然に導かれての少年たちとの出会い。そのあとは、意図的に彼らの足跡を追う撮影行を繰り返すこととなった。ローマのパンテオン、ラツィオ州の城館ヴィラ・ファルネーゼの螺旋階段室、フィレンツェの大聖堂。同じくフィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂にあり、初期ルネッサンスの名品として知られる「天国の門」。



「彼らの足跡を追いかけるのはなかなかたいへんで、意図的にたどりはじめて3、4年はかかりました。彼らがいかにすごい旅をしていたかよくわかりました。こんなことでもなければまず行かない土地へまで足を運びました。観光客のいないイタリアというのはおもしろいものでしたが、イタリアはどこでも食事がうまいとの定評は嘘だとわかりましたね。正直ひどいところもたくさんありましたから(笑)」


 天正遣欧少年使節は、ヨーロッパを実地に見た最初の日本人となった。異文明の中に身を置くことになった彼らの驚きと興奮を追体験したいとの一心で、プロジェクトを進めた。


「私にとっても、いかに自分が日本人であるかを思い知るような旅になっていきましたね。私自身は22歳で米国へ渡り、長らくそのまま暮らすことになったので、自分を少年使節と重ね合わせるところもありました」


 改めて日本を見出していくというのは、日本固有のモチーフを多く撮影し、古美術の蒐集に耽溺し、神仏習合思想の本地垂迹を深く探求する杉本博司さんにとって、ずっと取り組んできたことでもあるのでは?


「そうですね、目的意識を持って学問としてまとめようというわけではありませんが、数寄者としてずっとやってきたことです。私は学問的な理論だけでは満足できない現物主義者なんです。モノそのものがあれば、そこにはつくった人や描いた人がいることを感じ取れる。モノはずっと見ていると、魂のようなものがじわりと伝わってくるものです」



古美術と自作を並べ、歴史を血肉化する


 MOA美術館のふたつの展覧会を通覧すれば、まずは《唐物肩衝茶入 銘 初花》など、他でめったにお目にかかれない信長時代の「名物」の数々がたっぷり観られる。そのあとに杉本作品の世にも美しいプリントが続く。



 まさに眼福でうれしいかぎりだが、ふと思う。天下の名物と自作を同時に人に観てもらうというのは、いわば「歴史」と真っ向勝負をするようなもの。


 平然とそんなことをしてしまう胆力に驚くと同時に、歴史的名品と並ぶことに畏怖の念は湧かないものなのか。または、自分の作品がどう見えてしまうのか、負けてしまうのではないかといった怖さはない?


「いえ、特にそういうことを思ったりはしません。むしろいっしょに並ぶことで、自分の作品が古美術から得る恩恵も多いのでありがたい。古い名品の持つパワーを自作に取り込み、それをまた還元していくという循環運動を起こしたい。そうしてこそ、歴史が血肉化していくのだと考えています。


千利休とデュシャンに共通する「見立て」のおもしろさ


 時代を超えた取り合わせの妙も実現させてみたくなりますしね。アートには、いや生活にはと言ってもいいでしょうが、やっぱり遊び心がないといけません。立派な美術館などはアカデミズムの牙城として価値を固定化させていかねばならないので、生真面目に時代順の展示などをする。それはそれでいいのでしょうが、本来アートとは、時代によって見直され続けていかなければならないものだと思っています。



 つねに何がおもしろいか、新しいおもしろさはないかと見直していく。千利休が大成させたお茶の世界における『見立て』という言葉は、そういう姿勢を指すのです。


 現代アートを創始したとされるマルセル・デュシャンも、『レディ・メイド』と言って日用のものをアートに組み入れました。これは要するに見立てのおもしろさです。これまでになかった新しい価値をつけるわけですから。


 千利休とデュシャンは、生きた時代と場所こそ違えど、メンタリティや精神性はみごと一致していますね」


 利休からデュシャンという表現の流れの延長線上に、杉本博司もまたいるということだろうか?


「少なくとも彼らのひねくれた精神は受け継いでいます(笑)。アーティストなんてヘンな人じゃないとなれませんから、これはまあしかたないことでしょう」



杉本博司は、なぜ写真作品をつくるのか


 ここで不思議に思うのは、現物主義であるという杉本博司が1970年代に作品を発表しはじめて以来、ずっと写真を用いて創作を続けていること。なぜ写真なのだろうか。


「最初のきっかけとしては、自分がたまたま手にした技術を生かそうと考えたからに過ぎません。子どものころから手先が器用で、中学生時代からカメラをさわっていた。米国のアートスクールを出てニューヨークに住み制作をしようとしたとき、とくに深い考えもなく身につけていた写真の技術を使って現代美術をやろうと決めたのです。


 写真というメディアの持つ特性が性に合っていたともいえます。写真は、そこに写っていることが本当にあったことだと人に信じさせる不思議な力を持っています。証拠能力がひじょうに高い。それを逆手にとって、つくりものを真らしく見せる《ジオラマ》や《ポートレート》のシリーズを撮りはじめました」



 ニューヨークのアメリカ自然史博物館のジオラマを撮ったのが《ジオラマ》シリーズであり、マダム・タッソー蝋人形館の人物像にライティングを施し、あたかも実在する者のように撮ったのが《ポートレート》シリーズである。


《ジオラマ》や《ポートレート》は「意図的に作られた心霊写真」


 人が内面で思い描くビジョンに、はっきりとしたかたちを与えるのにも、写真は適しているという。


「イマジネーションによって頭の中に浮かんでくるイメージを、多くの表現者は絵に描いたり詩にしたりするわけですが、写真はもっと、そのイメージをありありと表現できる可能性があると感じています。


 頭の中にあるイメージを、いったん外界というスクリーンに投影してみる。そうして『これが自分の見たビジョンである』と人に知ってもらうため、写真に撮って留める。写真による作品化とはそういう作業です。



《劇場》シリーズでいえば、映画館の中に浮かび上がる映画1本分の白いスクリーンというのは、私の頭の中の想像では、すでによく見えている。でも、それを口頭で話すだけでは人にわかってもらえないので、実際に写真に撮ってみて『ほら、こうなるでしょう?』と示すために作品化する。


《ジオラマ》シリーズなんかもそう。つくりもの、すなわち死んでいるものが、ときに私の頭の中ではまるで生きているように見えることがある。それはどういう感覚であるかを人にはっきりと示すためには、ジオラマという死んだものを生き生きと撮って見せるしかないのです。


 よく聞かれます、なぜ《ジオラマ》や《ポートレート》が、あれほど生きたものとして写し取れるのかと。それは、私自身には生きているように見えているから。私に生きているように見えていなかったら、そうは撮れないですよ。そこにあるものとは違うものが見えている・写っているという意味では、これら私の作品を心霊写真と呼んでもらってもいいでしょう」


 なるほどこれらを「意図的につくられた心霊写真」であると捉えることもできるのだ。



リアリティの表層に惑わされてよく見えていないものを撮る


 ならば、目に見えないものを撮っているのが杉本博司作品である、そう定義していいだろうか。


「見えないものを撮っているというよりは、見えにくいものを見えるようにしている。それが私の写真ということになりましょうか。


 ふだんはリアリティの表層に惑わされてよく見えていないものが、世にはたくさんありますね。人間はすぐに『意味の壁』をつくってしまって、ものを自分の見たいようにしか見ない。目に映るがままに見ているということはまずないのです。


 さらには、みんなが共通して見ている共同幻想みたいなものも、根強くあります。それによって言語の体系や社会が成り立っているのですから、ある種必要なものではあるのでしょうが、そういう環境に浸っていると見えにくくなるものもまた多い。


 さまざまな要因で見えにくくなっているものを、写真で作品をつくることによって見えるようにしているわけです」


作品を説明する「論理」は往々にして捏造に近い


 言葉も「ありのまま見ること」の壁のひとつになっているというが、杉本博司には著書も多くあり、各作品のコンセプトはばっちり言葉でも説明されている。言葉とビジュアル作品の関係についてはどう見ているか。



「私が文章を書きはじめたのは50歳を過ぎてからですけれど、言葉にすることで気づくものは多いですよ。そもそもニューヨークなどでアーティストをやっていると、ちゃんと自分の作品について語らねばならないという説明責任みたいなものが付いて回ります。


 日本人同士だと『黙して語らず』というのでいけることもありましょうが、あちらではそういう態度は通用せず、論理的な武装をしないとだめということになる。


 ただそうした論理というのは、往々にして後付けだったりしますが。まず作品ができて、あとから言葉をひねり出す。まあ捏造に近いものです。それはそうですよ、ものをつくるときは直観に導かれてつくるのであって、最初に言葉があってつくるわけじゃありません。立てたコンセプトに沿って、理路整然とアートができていくわけなどないのです。


 直観とビジョンがまずは先に立つ。そこから制作を具体的に進めていくうえでは、言葉も利用価値の高い道具になっていくというところでしょうか」



(山内 宏泰)

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