松田美由紀「心筋梗塞を経て感じた家族の愛。人生を使い切って夫・松田優作のもとへ逝くと決めたから」

10月21日(木)12時35分 婦人公論.jp


「こうして何十年経っても皆さんに愛してもらえるなんて、やっぱり優作は本当にすごい人だなと思います。」(撮影:大河内禎)

10月20日、松田龍平さんがモーガン茉愛羅さんと結婚したというニュースが報道されました。母の松田美由紀さんは、28歳の時に夫・松田優作さんと死別後、女優として活躍しながら、ひとりで子どもたちを育て上げました。2021年、自身の還暦と優作さんの三十三回忌の節目を迎えますが、ここに至るまでたくさんの試練があったそうです(構成=水田静子 撮影=大河内禎)

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40歳、《卒母》だ、と解放感がありました


この10月に還暦を迎えます。自分が60代に突入するとは……。いよいよ人生の下り坂に向かう扉が開いてしまうのだと思うと、この数ヵ月、落ち込みました。実は私にとって50代も決してよいものではなかったので、これからもっとひどい状態になっていったらと、不安を感じていたのです。

節目という意味でいえば、11月に迎える夫・松田優作の三十三回忌もそうです。長い時間が経ちましたが、今も一緒に暮らしているような気さえします。

でもこうして何十年経っても皆さんに愛してもらえるなんて、やっぱり優作は本当にすごい人だなと思います。ファンの方もいまだに応援してくれていますし、それだけ強烈な存在感を持った俳優であり、男だったのです。

20歳で結婚し、最初の出産を経験しました。しかし、8年間暮らした夫と28歳で死別。深い悲しみの中にいながらも、まだ幼い3人の子どもを育てるために、必死でした。

私がしっかりしなくてはと、20年間はとにかく子育てに邁進し、40歳になった年に、長男(俳優の松田龍平さん)が家を出て、さらに次男と末の娘(俳優の松田翔太さん、アーティストの松田ゆう姫さん)が海外に留学。子育てがひと段落し、必死に背負ってきた肩の荷がおりた! 《卒母》だ、と解放感がありました。

50代、更年期に心も体もガタッときて


ところが50代に入ると、いわゆる更年期症状というものが始まって、心も体もガタッときたんです。それまでまわりの更年期の話を聞いてもどこか他人事で、かわいそうだな、ぐらいにしか思っていなかったのに、いざ自分にも症状が出始めたら、それはしんどくて。

そのうえ成人喘息を発症してしまって、ちょっとした気候の変化で、ゴホゴホと咳き込んでしまう。体調が悪くなると、精神的にも不安定になり、うつっぽいというか、どんどんネガティヴになっていきました。

私なんか誰にも必要とされない、このまま社会から取り残されていくんだ、親としても、女優としてももう用済みなんだ……と、次から次へと負の感情が湧いてくるんです。卒母だなんて喜んでいたけれど、その後、子どもたちが結婚したり、孫ができたり、嫁姑問題があったりと、本当の意味で親子関係が大きく変化していたのでしょう。

子どもたちは自分の人生で精いっぱい。急にズンッと痛むように、「私は今、ひとりなんだ」と、すべてにおいて自信を失っていきました。

母と優作の年齢を超えて


優作の死後、ひとりで子育てをする中で、何度も何度も大変な試練をくぐり抜けてきたはずなのに、自分がこんなにも弱いのかと……。あの時はつらかったですね。

そのしんどさから、何とか抜け出せたと感じたのは、57歳の時です。私にとって57というのは特別な年齢でした。母がその年齢で、がんのため亡くなりましたから。

母が最期に入院していたのは、父の故郷である福岡県です。私は看病のために、東京を離れて子どもたちと福岡に移住。毎日、母の病院まで、峠の山道を車で走っていました。運転中、こうしている間にも、お母さんが死んでしまうかもしれない……と、いつも不安で、自分を元気づけるために、ウルフルズの歌「バンザイ〜好きでよかった〜」を、繰り返し聴いていたことを覚えています。

それから何十年か経って、私も母と同じ年になった時、不思議な出来事を経験しました。ある日、都内を運転していたら、いきなり、母の病院までの山道の光景が映像みたいに浮かんだんです。まるで時が戻って、今、実際にそこを運転しているかのような感覚でした。

その時、「あんた、しっかりしなさい! どんな時も乗り越えてきたじゃないの!」って、母の声が確かに聞こえたんです。ハッとしました。そうだ、へたってちゃいけない、頑張らなくてどうするんだって、強く背中を押された気がしたんです。

優作が亡くなった年齢で見た夢


思い返せば、優作が亡くなった年齢の40歳に自分がなった時にも似た経験をしていました。その朝、普段はめったに見ない夢を見たんです。海でひとりボートを漕いでいて、そこにかぶさるように大波が静止している。でも突然、波が逆流して、目の前に真っ青な大海原が広がった。私は水平線へ向かって、必死でオールをかいて進み出しました。

とても象徴的な夢だったと思います。優作が逝ってからずっと、ひたすら子育てに必死で、自分の人生が始まっていない感覚でした。でもあの夢を見た時、「自分の人生が始まった!」と思えた。「よくぞひとりで頑張ってきた」と、優作が誉めてくれた気がして、ひとりでワンワン泣きました。

まるで天から降ってきたような二つの出来事は、苦しかった精神を確実にデトックスしてくれたと思います。愛した二人の年齢を超えた、40歳と57歳は、まちがいなく私の人生のターニング・ポイントでした。

そう考えると人生って、いずれすべての帳尻が合うようにできているような気がします。いろいろなことを整理しなくてはいけない時期が、必ずやって来る。つらさとか、悲しみといった自分の感情の整理もそうです。大好きだった母の死も、いつかは乗り越えなくてはならなかった。

でも優作のことだけは……今でも難しいままですね。優作から受けた強い愛は、子ども以外にないですから。以前よりは喪失感から抜け出せた気もしますが……結局は一生、続くのでしょう。

命の危機を感じた心筋梗塞


帳尻合わせということでいえば、同じく57歳の時に患った、心筋梗塞もそうだったと思います。まさか自分の身に起こるとは思ってもいなかったけれど、さまざまな責任からくるストレスが長い時間を経て病気という形で出てくるのだと痛感したんです。《健康貯金》という言葉がありますけど、本当ですね。お金は貯められても、健康は目に見えないものだから、意識的に大切にして生きないと、ツケが回ってくる。

自宅で倒れ、すぐに救急搬送してもらえたから助かりましたが、もしかしたら命があっけなく終わってしまっていたかもしれない……。あの時、子どもたちは皆、急いで駆けつけて、緊急手術の前も入院中も、ずっと付き添ってくれました。

40歳で一度は子どもたちと物理的に離れて、卒母したつもりだった私ですが、精神的にようやく子離れできたのは、心筋梗塞で倒れる半年ほど前のこと。子どものためならなんでもしたい! という気持ちを抑え、見守るモードに切り替えました。

だからこそ、それぞれ自立して暮らしている子どもたちが病室に集まり、励ましてくれたことがうれしかったのです。離れていても、思い合っている。家族の愛を感じました。

今も、子どもたちとはいい関係を築けていると思います。でも、家族といえど、適度な距離を保つ。子どもを信用し尊重し、依存し合わないことって大切なのではないでしょうか。

私たち親子は職業も事務所も一緒なので、「家庭」と「仕事」の境界を曖昧にしないということも心がけています。私は仕事となると違う人に変身して、母の顔ではなくなる。「はい、わかりました」などと、自然と敬語で話します。それはあの子たちの仕事に向かう考えや姿勢を、尊敬しているから。それに、遺伝子的には子どもは両親それぞれのいいところを持って生まれてくるので、両親よりも優れた生き物だとか。ま、経験は私のほうが上ですけどね。(笑)

引退を考えたこともあるけれど


私は女優ですが、若い頃からやりたいことだらけ。写真家、短編映画の監督、アート・ディレクター、フリーペーパーの編集長と、いろいろな表現に挑戦してきました。そんなに手を広げないで絞ったら、と言われることもありますが、できない。湧きあがってくるものは止められない性分だから。(笑)

自分の才能には、自分が一番気がつけるはず。それを見つけられるかどうかだと思います。だから、私はいまだに自分の才能を探しているんです。

最近では、音楽活動に力を入れています。歌い手として、どう音楽で表現したらいいのか悩んだこともありましたが、20代のミュージシャンが「美由紀さんはもっと自由な人だから、自由にやればいい」と言ってくれて。よし! と全編アドリブのライブに挑戦しました。

10月、還暦を迎える誕生日にライブをやるのですが、そこでもシャンソンやジャズ、朗読を織り交ぜて、ジャンルレスな新しい世界を表現します。私がこれまでの人生で培った、私にしかできない歌を届けたいと思っています。それにこのライブには姉で女優の熊谷真実ちゃんがゲストに。初共演も楽しみです。

今、一番挑戦したいのは、長編映画を撮ること。母の物語を描きたいんです。戦後の東京・杉並区で洋品店をやっていたのですが、同じ商店街で暮らしていたねじめ正一さんが、以前、母をモデルにした小説『熊谷突撃商店』を書いてくださっています。明るくてエネルギッシュで、情の深かった母。脚本も書き始めました。

最初、60代に入る不安を口にしましたが、お話ししているうちに気分が上向いてきて、「なんだ、やる気がみなぎっているじゃん」とわかりました。仕事だけでなく、次世代のためにも、環境問題やSDGsへの関心を常に持って、貢献していきたいし……。ほら、私の話、聞いているだけで、めまぐるしいでしょう。(笑)

仕事柄、老いていく姿をさらして社会とつながっているのはイヤだと思い、引退を考えたこともありました。でも、ありのままを見せるのも大事なこと。私の持つ感覚や経験値を伝えることで、誰かの役に立つかもしれないと思い始めました。子どもたちからは「仕事をやめて、ゆっくりしてもいいんじゃない」と言われたりもしますけど、無理かも!(笑)

喜びも悲しみも抱えながら、自分の命が少しでも人の役に立てばという意識で、人生を使い切って優作のもとへ逝く。そう強く心に決めています。

婦人公論.jp

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