「今日からおまえの神だ。」と言うほど圧倒的に遠い《師弟関係》 〜中山可穂「銀橋」に見る名場面

10月21日(木)15時40分 婦人公論.jp

人をひきつける文章とは? 誰でも手軽に情報発信できる時代だからこそ、「より良い発信をする技法」への需要が高まっています。文筆家の三宅香帆さんは、人々の心を打つ文章を書く鍵は小説の「名場面」の分析にあるといいます。ヒット作『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』の著者の連載。第13回は「師弟関係」の名場面について……

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第12回「《恋人同士》の会話 〜金原ひとみ「アンソーシャル ディスタンス」に見る名場面」はこちら

成長を描くのに欠かせない「師匠」の存在


師弟とは、いちばん遠い背中のことを言うのだ、と物語を読むとしばしば思う。

修行あるところに師弟あり。バトルものの少年漫画でも、音楽の才能を描いた少女漫画でも、大学の思い出を綴ったエッセイでも、ジャンルは何であっても「修行」を描くとき、そこには師匠がいることが多い。人間のタテ方向の成長には、目指す先に師がいることが必要になるからだ。師弟の物語は、存外、多い。

小説だって例外ではない。たとえば夏目漱石の『こころ』だってある意味、師弟小説だ。「先生」と「僕」の物語だけど、先生は僕にとって師である。なぜその関係が『こころ』において重要なものになるかといえば、これが人間の成長についての物語だからである。

はっきりそう打ち出していなかったとしても、意外と師弟の関係は、そこらじゅうに散らばっている。

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今回紹介する「師弟」の物語は、中山可穂の『銀橋』。

実在する宝塚歌劇団を舞台にした小説である。『男役』『女役』から続くシリーズの第三弾だが、基本的に一巻完結の作品なので、本書だけを読んでも楽しむことができる。

『銀橋』で描かれる宝塚の組織は、上級生や下級生の上下関係がしっかりしている。この物語は、彼女たちが舞台役者という芸事を追求していくさまを見せるからこそ、師弟関係がしっかりと描かれている。芸事という正解のない世界のなかで、自分の追う背中をそれぞれ見つける様子が、『銀橋』という小説のなかには、これでもかと詰め込まれているのだ。


『銀橋』中山可穂・著、角川文庫

トップスターになった男役とまだまだ未熟な下級生


女たちの師は、ある意味、身近な先輩である。年齢でいうと、離れていても十歳くらいの違いでしかない。

たとえば先ほど挙げた『こころ』で描かれたような先生と僕の年齢程は、離れていない。『スター・ウォーズ』にしろ『ドラゴンボール』にしろ、師匠というとかなり年上のイメージが強いかもしれない。

しかし『銀橋』に登場する師匠は、そこまで歳の離れていない先輩だ。——そんなとき、どうやってその師弟関係を描くのか? 次に紹介するのは、『銀橋』の主人公のひとり、男役トップスターの花瀬レオ(通称レオン)が、下級生達に檄を飛ばす場面だ。ポイントは、師匠と弟子の、遠さ、である。

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「あわじくん、まずはきみを一人前の男役として鍛え上げる。私の一挙手一投足をストーカーのごとくロックオンしろ!」
「はいっ!」
「芸とは模倣なり。舐めるように私を見ろ。私に恋をして私のようになりたいと思ってすべてを盗め。愛だけが人を成長させる。みんなそうして男役を磨いてきたんだ。私が今日からおまえの神だ。わかったか?」
「はい、わかりました!」
 真面目で研究熱心なあわじくんは同期のみずかからレオン情報を漏らさず収集していた。好きな食べ物は何か。ウインクの利き眼はどちらか。行きつけのマッサージ店はどこか。どこの美容院にかよっているか。好きなお洋服のブランドはどこか。最も影響を受けた先輩はどなたか。
(『銀橋』p126-127、中山可穂、角川文庫)


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「今日からおまえの神だ。」と言うほどの、圧倒的な距離の遠さ。はたしてこの世で神と人間くらい遠い存在がいるだろうか。

前述したとおり、レオンはトップスターになった男役だ。それに対して、あわじくん(これもあだ名である)は、まだまだ未熟な下級生として登場する。

レオンの台詞も、あわじくんのありかたも、ふたりの間にある遠さを読者にわからせる。
この場面は、物語のなかにおいては、レオンがあわじくんに「今日からきみの師は私だ」と宣言する場面だ。しかし同時に、ふたりの間にある遠い距離を、読者に示す、という効果ももたらしている。

「一番近くにいるけど遠い背中なのよね」


もしかしたら、レオンに神だとまで言わせなくても、宝塚の世界に詳しい人なら、ふたりの間にある距離を一瞬で理解するのかもしれない。トップスターと一劇団員の間にあるその距離を。

しかしこれは小説なので、宝塚歌劇団のことをよく知らない人も読むだろう。「同じ劇団内であっても、ふたりの間には明確に遠い距離があって、そしてこの時点からふたりは師弟になったのだ」と瞬時にわかってもらわなくてはいけない。そのために作者はレオンにこの台詞を言わせたのだと思う。

師弟関係に年齢は関係ない。立場すら関係ないかもしれない。師弟だと決まったら、その瞬間から、ふたりの間に距離はひらくのだ。というか「距離がひらいているもの」という前提のもとに、弟子は師を神だと思って真似し始めるのだと思う。その姿勢こそが、レオンの言う通り、芸の道を精進させる。自分はまだまだだ、もっと成長しないと、と弟子は思うからだ。

師弟関係の本当のところを描いた、名場面だと思う。

実際、この場面の後で、あわじが同期のみずかにレオンについて質問したとき、みずかはこう答える。

「でもあわじぃ、レオンさんの肝心なことは私何も教えてあげられないや。一番近くにいるけど遠い背中なのよね」と。

みずかはあわじの同期として入団したにもかかわらず、トップ娘役に抜擢され、レオンの相手役を務めている。物理的に近くにいたとしても、現実的な立場がたとえ変わらないとしても、それでも、「一番遠い背中」なのだ。

そう認識する人物のことを、人は師と呼ぶのである。

こんなふうに『銀橋』には、芸事や成長の道についての台詞がたくさん書き込まれている。宝塚歌劇団という組織を舞台としながら、そこに登場する女性たちの何かを極めようとするさまが仔細に描かれるのだ。

最後に、さきほど引用した台詞の前に、レオンが下級生達に語った言葉を紹介して終わろう。自分たちの「弟子」に向かって、自分自身の教えを伝えるシーンだ。

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「よいか諸君、男役とはこの世に実在しない理想の男性像である。男役は裏切らない。男役は色褪せない。男役は決して乙女心を踏みにじらない。世の女性たちに束の間つらい現実を忘れさせ、夢を見ていただき、萌えを与えて帰っていただく。萌えあればこそ人はまた一週間、お仕事や子育てをがんばれる。我々宝塚歌劇団が百年間も潰れずに繁栄してきたのは、萌えが文化だと認識してその提供に全力をかけてきたからだ。日々のささやかな暮らしに潤いとときめきを与えるもの、それこそが萌えなのだ。我々はみな、誰かのご贔屓になって愛でられなければならない。世のご婦人方に胸キュンを与えるためだけに男役は存在する。スターはオペラ越しに殺してナンボ、その積み重ねが男役芸となり、我々の歩いた道が男役道となる。舞台とは我々の生命力そのものだ。キザればキザるほど生きる力が湧いてくる。萌えれば萌えるほど人生は楽しくなる。我々とお客様は、銀橋をまたいで同じ生きる喜びを共有し、ひとつにつながっているんだ!」
(『銀橋』p126、中山可穂、角川文庫)


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エンターテインメントや舞台の世界を描いた作品は数あれど、こんなふうに本質をずばりと言い得てくれる小説には、信頼しか生まれない。「なるほどなあ」と登場人物の台詞に納得するとき、私たちはキャラクターだけでなくその小説のことすら、好きになってしまうのだろう。

※次回の更新は、11月4日(木)の予定です

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