沢田研二“ジュリー武勇伝” 駅員に頭突き、酒気帯び運転...ドタキャン劇は2004年にも

10月22日(月)9時0分 AbemaTIMES

 歌手の沢田研二(70)が17日、さいたまスーパーアリーナで公演予定だったコンサートを開演1時間前に急きょ中止にした件で、各界からさまざまな意見が寄せられた。沢田は21日、大阪狭山市文化会館で、騒動後初の公演を行い、ファンに直接説明した。


 コンサート当日、会場の張り紙に記載された“契約上の問題”という一文について、18日に横浜市内の自宅近くで取材に応じた沢田は「動員に関する契約上の問題です」と説明。「原因は、僕自身にさいたまスーパーアリーナでライブをやる実力がなかったということが一番だろうと思っています」と話した。

 沢田はリハーサル中に、観客が座れないよう客席がつぶされていることに気づいたという。沢田が集客状況を確認したところ「僕が聞いているのは9000。(実際に集まったのは)7000」と予定よりも少ないことが判明。自身で中止を決断した。


 芸能界からもさまざまな声があがっている。デヴィ夫人は「私だったらお客さんが一人でも出ますけどね」とコメント。ロック歌手の内田裕也は9カ月ぶりに自身のTwitterを更新し、「ファンの皆さん、応援よろしく! 沢田、ガンバレ! Rock’n Roll! 内田裕也」と沢田に向けたエールと見られるツイートを投稿した。

 地上波のテレビ番組の報道でも“沢田研二(ジュリー)一色”になったが、AbemaTV『Abema的ニュースショー』に出演したプロインタビュアー・吉田豪は「スーパースターに常識を問うのは……ってよく言われますけど、YOSHIKIさんの遅刻を怒るようなものなのでは? ジュリーさんはもともとこういう人なんですよ」とコメント。続けて「デヴィ夫人の10人くらいしかいないトークショーは観たことがあります。ちゃんとやっていましたよ」とデヴィ夫人のショーに参加した過去を振り返った。


 芸能界で初めてカラーコンタクトを装着した人物としても知られている“ジュリー”。ある意味、80年代の先駆者とも言えるが、そこには輝かしい歴史があった。

 沢田は1967年、ザ・タイガースのローディー兼ボーカリストとしてデビュー。デビュー前には内田裕也からも声をかけられていた。デビューすると、唯一無二の中性的な容姿で絶大な人気に。


 1971年にソロに転向すると、シングルの総売り上げは1200万枚以上に(※昭和の歌手売り上げランキングとしては1位)。代表曲に「危険なふたり」「追憶」「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」「サムライ」などがある。

 1978年の人気絶頂期ではテレビ出演700本以上、取材は約300本、地方公演は100日という忙しさだった。さらに、1980年、男性歌手としては史上初のオールヌード写真集を発売。以降、歌手だけでなく俳優としても映画・舞台とさまざまな活動をしてきた。


 そんな沢田だけに、残してきた“武勇伝”も数多く存在する。1975年の「頭突き事件」では、東京駅でファンの出迎えを受けた沢田に、駅員が「ミーハーはくだらないな」と言ったことでトラブルに発展。沢田は「くだらないとは何事だ」と、駅員の両肩を掴んで頭突きを一発。駅員は鼻血を出したが、起訴はされなかった。

 1976年の「いもジュリー事件」では、大阪公演の後に同じ新幹線に乗っていた20代前半の一般人が「いもジュリー」とからかった。その一般人を待ち受けていた沢田が「さっきなんと言ったか」と咎め、顔面にパンチをしたという。


 その後1988年に車で事故を起こし、けが人はいなかったが、調べると酒気帯び運転だったことが明らかに。2004年の「水戸公演ドタキャン事件」では、今回のさいたまスーパーアリーナでの“ドタキャン”と同じ「動員数が少ない」という理由で、当日の公演1時間前に中止した。


 沢田の所属事務所は、今回のさいたまスーパーアリーナのコンサート中止にあたり、代替公演を行う方向で調整していくという。


(『Abema的ニュースショー』より)

(※次回は11月4日11時30分から放送)


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