ブレイディみかこ「ロックダウン終了後、美容師のお兄さんが疲れ切った顔で」〈転がる珠玉のように〉

10月22日(金)13時0分 婦人公論.jp

イギリス在住のブレイディみかこさんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「転がる珠玉のように」。今回は「ある雑談」。三度目のロックダウンがようやく終了し、今年初めて美容院へ行くと、いつもの美容師のお兄さんは疲れ切っていたーー。(絵=平松麻)

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美容師のお兄さんが疲れ切った顔をして


今年初めて美容院に行った。三度目のロックダウンがようやく終了したので、何ヵ月も伸びっぱなしで収拾がつかなくなった髪をゴムで縛り美容院に行くと、いつもの美容師のお兄さんが疲れ切った顔をして待っていた。

「めっちゃ忙しい。ずっと家にいて鬱になりそうだった時期とのギャップが凄すぎる」

鏡の前に座ると、彼はそう言ってため息をつく。

「ああ、それわかる。わたしも今回はマジでつらかった。鬱の兆候あったもん」

「これで最後にしてもらわないと、僕ら、もうもたないよね」

「ほんとにそうだよ。わたしたち、死なないために生きてるわけじゃないもん」

「どのお客さんも、今回ばかりはもう二度と嫌だって言ってる。またやったとしても、もう誰も従わないんじゃない?」

「みんなメンタルやられちゃうよね。休校中、息子の学校からもメンタルヘルスのZoomセミナーのお知らせが何通も来た」

「摂食障害とか増えてるんだってね」

「そう。家にいるとつい食べちゃうでしょ。それで体重を気にして無理に吐いたりして摂食障害になる子が増えているみたい」

美容師は真顔になって鏡の中のわたしの目を見て言った。

「大人だって大変だよ。うちのお客さんでも、パリッとダンディだった人が、ロックダウン明けに髪を切りに来たんだけど、ペットボトルにワインが入ってて……」

「ええっ。それ、持ってきたの?」

「うん。彼、劇場関係者なんだよ。あの業界はずっと仕事ができないし、そのうえ去年、父親が亡くなったって言ってたから」

「それはつらい……」

「店が再開して以来、人が死んだ話をよく聞くんだよね。親族や知人が亡くなったっていうお客さんが、不思議なほど多い。コロナじゃなくて、別の理由で亡くなってるんだけど」

「……」

話がどんどん暗くなっていくので話題を変えようと言ってみた。


絵:平松麻

「引っ越したお客さんも多いんだ」


「でもさ、こうやって美容師と客がマスクしている写真とか、数十年後には歴史の一ページとして『こんな時代もあったんだ』と語られているのかもね」

美容師はコームでわたしの前髪をとかしながら答える。

「でも、これから頻繁にこういうパンデミックが起きるという説もあるじゃん」

「ああ、そんなことを言う学者もいるよね」

「もうコロナ前の生活が戻ってくると思うのは甘いかも」

「そうだね。働き方とかも変わりそう」

「そうそう。人が死んだ話もよく聞くけど、引っ越したお客さんも多いんだ。っていうか、自分の国に帰っちゃったんだけど」

「え?」

「国の間を移動するのが難しくなったから、家族と同じ国に住んでいたほうがいいと思ったって。老いた親の身に何かあっても、飛行機の便数は減ってるわ、2週間自主隔離させられるわじゃ、身動きとれないでしょ。フィンランド人とか米国人とか、僕のお客さんはインターナショナルだったんだけど、国に帰った人が多い。それぞれ自分の国からリモートで同じ仕事を続けるんだって」

「いまはそれができるからね」

「ロンドンから田舎に引っ越している人が多いって言うけど、国境の外からリモートで働くって決めた人も多いみたい」

皮肉なものだと思った。EU離脱の是非を問う国民投票が行われたときには、多くの移民たちが人間の移動の自由を制限することに反対した。が、こうなってみると自分の国に帰る人が増えている。コロナ禍は、働くためにどこかに移動する時代を終わらせるのかもしれない。

人間が移動する理由が『働くため』じゃなくなったら


「けどさ、実際に誰かと会うって、大事じゃない? こうやっていまみたいに雑談する中から生まれることもあるし」

とわたしが言うと、彼は涼しい顔で言った。

「Zoomで雑談すればいいじゃん」

「そりゃそうなんだけど……」

わたしは口ごもり、少し考えてから言った。

「人間が移動する理由が『働くため』じゃなくなったら、次は『家族のため』だなんて、結局、人は義務のために移動するのかな」

「そうじゃないと思うよ」

わたしの前髪のバランスを鏡でチェックしながら美容師が言った。

「これからは、みんな自分が本当に好きな場所に住むようになるんだ。というか、自分が本当に好きな人がいる場所」

いきなり照れた顔になって彼は鏡の中で微笑した。彼は、ポルトガル人の同性パートナーとの結婚式がコロナで2回も延期になっている。

「Zoomでウエディングだってできるじゃん」

意地悪く言ってやったら、速攻で彼は言った。

「それはダメだよ」

そのきっぱりした声の調子に笑いながら、初夏の真っ青な空にピンクや白の風船が揺れている光景を思い描いた。サード・タイム・ラッキーという言葉もある。

彼らの結婚式に何を着て行こう。

婦人公論.jp

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