桜木紫乃「人生楽しいことだらけです」《中央公論文芸賞・贈呈式》

10月23日(金)8時0分 婦人公論.jp


鮮やかな和服姿で式に臨む桜木紫乃さん

第15回「中央公論文芸賞」受賞作品は、浅田次郎、鹿島茂、林真理子、村山由佳(50音順)の四氏による厳正な選考の結果、桜木紫乃さんの『家族じまい』(集英社)に決定しました。10月14日、都内で行われた贈呈式の様子と、『婦人公論』10月27日号に掲載された受賞のことば・選評を掲載します。

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第15回「中央公論文芸賞」受賞作
『家族じまい』(集英社)桜木紫乃
正賞── 賞状
副賞── 100万円、ミキモトオリジナルジュエリー

10月14日(水)東京會舘にて、第56回谷崎潤一郎賞と第15回中央公論文芸賞(中央公論新社主催)の贈呈式が行われました。谷崎潤一郎賞は、磯崎(崎はたつざき)憲一郎さんの『日本蒙昧前史』(文藝春秋)、中央公論文芸賞は、桜木紫乃さんの『家族じまい』(集英社)が受賞。


感染症予防を考慮し規模を縮小して行われたこともあり、会場はなごやかな雰囲気に。選考委員を代表し、谷崎賞は川上弘美さん、中央公論文芸賞は鹿島茂さんによる講評が代読され、賞状と副賞が二人に贈られました。

副賞のミキモトオリジナルジュエリーはミキモトの協賛を受け、1962年の第一回「女流文学賞」から贈呈されている歴史ある賞品。その後、「婦人公論文芸賞」を経て今日の「中央公論文芸賞」に至るまで、50年以上にわたって受賞のシンボルとなってきました。2009年からは谷崎賞の副賞としても、贈られています。今回、磯崎さんにはピンブローチが、桜木さんには指輪がそれぞれ贈呈され、壇上でさっそく身に着けた桜木さんは、最高の笑顔を見せていました。
贈呈式で挨拶に立った桜木さんは次のように受賞の喜びを語りました。

「賞を目指して書いているというわけではなかったので、報せを聞いたときはとても驚きました。そして7年前に直木賞をいただいたときは一滴も涙を流さずに乗り切ったのですが、今回は報せを聞いて、またさきほど鹿島先生の選評を伺って、こんなに泣いてばかりいるのか……なにか面白いことのひとつもやってやろうと思って来たのに、本当に悔しいです。(笑)

『家族じまい』というタイトルを考えたのは『小説すばる』の担当者で、今、桜木にこれを書かせなければと思った彼女の選択は間違いではなかったし、なぜこんな苦しいものを書かねばならなかったのか、それはたぶん今だからだったんだろうなと、鹿島先生の選評を聞いて改めて思いました。

私にとっての家族じまいはいつだったろうかと考えると、どうやら小説を書き始めたときであったような気がします。『雪虫』というオール読物新人賞に送った短編小説から、私はずっと地方の家族というものを書き続けてまいりました。そして担当が機を見て投げた球『家族じまい』で、またこうして高い席にあげていただいて大変感謝しております。これからも北海道の片隅で淡々と小説を書いてまいります。今日は本当にありがとうございました」

贈呈式の選評、受賞者のスピーチはこちらで公開されています。

《受賞のことば》

「人生楽しいことだらけです」桜木紫乃


いつもなにかしら血縁とそうではないものの間にある、いわく言いがたい関わりを書いてきた気がする。若いころは男女のあいだにある空気を言語化するのが好きだった。50代半ばになって、親の老いと自分の老いが等間隔に視界に入ってくると、興味の先も少し老いた。

そう言いつつも、別段親との関係に悩みを抱えている気はしない。そのことは「家族じまい」と名付けた一冊に、いくらかでも書けたと思う。

ただ、悩みはないが問題はある。いつまで老親をふたりで過ごさせてあげられるか問題、父が手放そうとしない運転免許証問題、姉と妹のあいだにある親への考え方の違い問題など。解決に時間がかかっている理由は確執などという大それたものではなく、それぞれが自分の家庭を持ち、別々の事情を抱えているという一点に尽きる。家族の問題に関しては、悪い人というのはいないのだろう。時を経て各家庭に散った事情のみが、問題解決を遅らせている。

背開きで骨を見せ、自分のど真ん中を書いたのが『家族じまい』だった。内側にある材料を、ありったけの加工をして調理したつもりでいる。結果、己を掘り下げる作業が続いたけれど、振り返るとその時間はとても楽しかった。職業小説家が原稿書きを「楽しむ」とは何ごとか、と叱られるかもしれないが、正直なことを言うと本当に楽しかったのだ。幼いころからの疑問がひとつひとつ解けてゆくのだから、楽しくないわけがない。

なぜあれほどに父は娘を殴ったのか、ギャンブルをやめられなかったのか、なぜ母は宗教にはまったのか、姉と妹の家族観がこれほど違うのはなぜなのか。書くほどに目の前がひらけ、私の裡に在る子供心を納得させる。小説は私にとって、仮説なのだろう。仮説を立て家族の謎を解き、自分の抱えた環境を煮込む作業は、虚構を書く私に与えられた果実のようだった。

削いで研いでゆく過程でようやくちいさな光を見つけた。

人間は弱い、ひたすら弱い。

実家と婚家の親が四人とも存命のなかで介護前夜のお話を書いたのだった。ひとりでも欠ければ、新しい感情を手に入れてしまう。それは、小説を書かねば自分の弱さと闘えないことを気づかせる作業でもあった。小説家としてひとつの表現方法を得ることはとても幸福なことだけれど、親が喜ぶような仕事では決してないだろう。勝手に仮説を立てて分析される実家の面々もたまったものではない。家族の話を嬉々として書く人間性を半分疑いつつ、半分自慢したい。敢えて言うなら「書く」ことで得られる後ろめたさが、私という書き手を支えている。私は小説を書き血縁を食い散らし、それを糧に生きている。

デビューのころから、小説を書くことは反社会的な行為なのだからそこを忘れないように、と言われ続けてきた。殺人事件も犯人捜しも書いてきたが、家族を書いているときが最も、反社会的行為を自覚できた。

改めて思ったのは、私の書く家族の話には「家庭」はあっても「家系」がないということだった。屋号も本家も分家も家系図も、身内の上下関係も無縁で育った北海道の女にとって、自分が働いて得る以外の肩書きは興味の対象外らしい。この国が大切にしてきたはずの「家系」を持たない小説家は、この先もただただ「人」を書くしかないのだろう。

36歳のとき、男子を産まねば嫁に非ず、という環境の中で書いた短編で新人賞をいただいた。48歳のとき、自分の育ったラブホテルという場所を舞台にした短編集で、小説を書いているひととして認識してもらった。そして55歳、いまいるところを真ん中に据えて書いたもので、身に余る評価をいただいた。

人生楽しいことだらけです。

ありがとうございます。


副賞のミキモトオリジナルジュエリーのリングを身に着けた桜木紫乃さん


『家族じまい』(桜木紫乃:著/集英社)

【選評】


「地味と滋味」 浅田次郎


地味な作風である。
しかし滋味がある。
以上、というわけにもいかぬから、蛇足ながら多少の解説を加える。本作にかかわらず桜木紫乃氏の作品がおしなべて地味に感じられるのは、ストーリーのダイナミズムを欠くからであろう。よって歴史小説やミステリーで非日常のドラマを堪能している多くの読者にとっては、いささか食い足りぬ。
だが一方では、氏の作品に接して、小説という表現にしかありえぬ面白さに、開眼した方も多いと思われる。人生はおおむね劇的に展開せず、緩慢な日常の中で、科学技術の発達とはさほど関係なく進行するからである。
氏の作風はまず、そうした平凡だがのっぴきならぬ日常を舞台としているところに、特長がある。すなわち、読者にとって親和性のある現実である。
作者は視点者の心理を繊細かつ端的に描く。文章は丁寧で過不足がない。登場人物それぞれの人生と生活を正確に彫琢してゆく。
さて、こうなるとまことに地味な日常小説にとどまってしまうところだが、第四章に老夫婦の船旅と女性サックス奏者の視点を配して、閉塞感に窓を開いた。地味な小説が、おいしくて栄養に富み、深く豊かな味わいを得た。こうした勘どころは、作者の天稟であろう。
清潔で静謐な一巻を読みおえて、この作家は日本文学の正統をつないでいると思った。

「核家族の中にある問題」 鹿島茂


一昔前までの人類学では、家族というものは自然であり、普遍的だとされていました。ところが、近年の家族人類学では、家族はかなり人工的なものではないかというような考えに変わってきました。つまり、それぞれの成員が無理しなければ維持出来ないものであり、その「無理する」という部分に環境的要因や文化的要因から来る特性が現れるのだと見なされるようになったのです。
ところで、桜木紫乃さんの『家族じまい』の舞台となっている北海道は、家族にかんしては、家父長制の縛りが一番弱い核家族が中心になっています。問題は北陸や北関東などと比べて家族のストレスが最も少ないはずの北海道から『家族じまい』という小説が現れたことだと思います。つまり『家族じまい』が提起しているのは、本来なら自由なはずの核家族の中に、逆に現代日本の深刻な問題がすべて凝縮されており、それが核家族の要石である女性に重くのしかかっているということなのです。この意味で、一見すると非常に地味なこの小説こそ、日本という国の抱えた病巣に最も果敢にメスを入れた勇気ある作品とみなすことができるのです。
ロンド形式の『家族じまい』のそれぞれの短編では、平凡きわまりない主人公の目を通して描かれる日常のディテールがこのうえなく緊張感に満ちており、もし、日本名作短編集が編まれるとしたら、どれが入ってもおかしくない出来栄えのものです。
桜木紫乃さんは、小説家としての審級を一つ上げたばかりか、もしかすると代表作を書いたのかもしれません。

「あざやかな手腕」 林真理子


「桜木さん、すごく腕を上げられたなぁ……」
思わずつぶやいていた。
満場一致の受賞である。圧倒的な迫力だ。
このテの小説は、最近いくらでもある。年老いたり、呆けたりする親の介護をめぐっての家族の物語だ。しかし“このテ”にしなかったところが、桜木さんのすごさである。
姉妹それぞれの描き方が素晴らしい。どちらもしっかりと家庭を営んでいるようで、それぞれに心の闇を抱えている。特に次女の、ゆっくりとアルコールに溺れていく描写には息を呑んだ。まるで自分の喉もアルコールを欲していくように渇いていく。
そうかと思うと、桜木さんは家族とは全く関係ない女性を登場させる。船上でサックスを吹く演奏家と、この家族とがどう結ばれていくのか最初はわからなかったのであるが、ああ、なるほどと思う出会いがあった。
そして最後に、桜木さんは強烈な人物を我々の前に見せる。呆けた母親の姉は、長年温泉旅館で仲居をつとめ、八十を過ぎてもかくしゃくと一人で生きている。まわりからは理想の老後と言われている彼女の物語が、この小説を見事に締めくくった。
老いていくことの哀しさ、家族を持つことの運不運を、この女性が示してくれるのだ。複数のそれぞれ違う女性が出てきて、最後はジグソーパズルのようにぴったりとはまった。その手腕は実にあざやかだった。

「嫉妬しながら白旗を」 村山由佳


人は、老いる。人生の何から逃げようとも、その運命だけは免れようがない。
自らの老いに焦れ、現実を受け容れられずに苦しむ親たちと、両親の衰えを知りつつももてあます娘や息子たち。誰にだって自分の生活や事情がある以上、感謝の気持ちと鬱陶しさが同居することは当然あり得る。
タイトルが『家族じまい』ときて連作短編集となれば、一家族の構成員がそれぞれの目に映るものを順繰りに語ってゆくのだろうと思いこんで読み始めたのだが、はやばやと裏切られた。予想の斜め上をゆく人物の視点から語られることで、物語世界が縮こまらずに外へとひらける。と同時に、家族も、他人も、所詮は同じ程度の浅い縁であるのだと知らされたかのようで、ふっと気が楽になったりもする。
昨今流行りの「泣ける!」であるとか「大どんでん返し!」などといった、わかりやすい惹句がおよそ付けにくい類いの小説が好きだ。この作品は、〈地味〉が〈滋味〉にも通じていて、とくに最終話の登美子の章など、いったいどうしてこんなものが書けたのかと、著者に半ば嫉妬しながら白旗を揚げるしかなかった。
そうして読後は、好い小説を読ませてもらった時にしか味わえない多幸感にたっぷりと包まれるのだ。キレイゴトなど何ひとつ無いのに、救いが無いわけではない、というあたりが桜木さんの真骨頂だと思う。
もとより大好きな作家の受賞が、これほど嬉しいものとは知らなかった。

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