「デリヘル大好き〜SNAIL RAMPの作り方・28」タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』

10月24日(木)12時0分 耳マン

1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!


これは前回からの続き、1997年4月のことだ。米田(AKIO)をヘルプに迎え名古屋ダイアモンドホールでライブを1本やったあと、SNAIL RAMPはいきなりツアーに出た。普通、ヘルプのメンバーを入れたなら地元で2〜3回ライブを演って、そいつを慣れさせてからのツアーなんだろうが、俺たちにそんな時間的余裕はなかったし、俺はいまだに「どうにかなるっしょ」という考えに常に支配されている人間なので、その当時も「不安に思う」という選択肢すら感じなかった。

そのツアーは、アメリカから来たFALLING SICKNESSというバンドの日本ツアーで国内を7〜8か所ほど回ったのかなぁ。彼らはまさにSTREET PUNKSで、いい奴らだったけどハメを外して大騒ぎすることもあった。ベースのザックは女の子が大好きで、うちらの女友達にも平気で手を出そうとしてるし、ドラムのエンジェルは見た目がイカついのにめちゃくちゃ優しいし、ボーカルのゲイブは刑務所帰りとのことだったけど、リハ後から本番までの空き時間に遊びにも行かず、ライブハウスの入り口に座り込んで何かアルコールを飲みながらただ本を読んでいた。しかもアメリカの「公共の場(道路など)での飲酒禁止」という法律(drink in public)を逃れるためのクセがついているのだろう、紙袋に隠しながら飲んでいた。それを「うわ、リアルだな」との思いで見つめていたのを覚えている。

このツアー、ファイナルが仙台だった気がするがその夜もなかなかだった。当時の仙台・国分町(繁華街)はデリヘルの激戦地区だったらしく、名刺大のデリヘルチラシが階段の段差ひとつひとつに貼られているその様は、東京から来た俺たちには異様に見えた。その様子はアメリカから来た彼らにもインパクトがあったようで、子どもがプロスポーツ選手のカードを集めるようにデリヘルチラシを集め、最終的には「坊主めくりでもやんのかな?」ってくらいの分厚い束にしていた。

そしてホテルに戻ってくつろいでいた夜中、ホテルのドアをノックされて出てみるとFALLING SICKNESSのメンバーがいた。「アキラ、ここに電話してくれ」と例のデリヘルチラシを差し出してきた。「おいおい、日本楽しんでんな(笑)」と思いつつも、彼らの部屋まで行き、吟味したと思われるデリヘルの店に電話をした。30分かからないで女の子が来るとのことだった。

電話を切ったあとに「値段は60分で1万5000円だってさ。お金あるよね?」とメンバーに聞くと、「問題ない。4人で割るから大丈夫だ」と言い出した。「はぁ? 多分、それダメだよ。ひとりの女の子にひとりの男だよ。もし4Pをって言うなら、最初に言って追加料金を払わないといけないんだと思う。それトラブルになるよ」と言う俺に、ベースのザックは言った。

「大丈夫アキラ! 4Pじゃないよ! 交代でするんだ」

ザック……何でお前は胸を張ってそんなことが言えるんだ……。俺は衝撃だった。いくら風俗童貞の俺でも、それがNGなコトは察しがつく。それはダメなんだよと理解させようとしたが、俺の拙い英語では彼らを納得させることができず、その内に女の子が来てしまった。(次ページへ)

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耳マン

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