ロシア革命100年 声優・上坂すみれ「ソ連大好き」インタビュー#2 ソ連崩壊の年に生まれて

11月3日(金)11時0分 文春オンライン

ソ連大好き声優・上坂すみれさんに聞く「ロシア革命100年」インタビュー。3回連続ロングインタビューの2回目は初めて訪れたサハリンのお話から“ソ連崩壊の年に生まれたという運命”についてまで。ウラー!

(全3回の2回目  #1 、 #3 も公開中)






受験しながら、ロシアは広くて知らないことがまだまだあるなあって


——大学は上智大学外国語学部ロシア語学科に進まれました。とにかく、ソ連が好きだからここに進学したかった、という感じですか?


上坂 高校3年生になっても春先まで全然進学先が決まっていなかったんです。そんななか、ソ連のことばかり調べて、授業もろくに聞いていなかった私を見かねた担任の先生が「ロシア語学科があるし、ここは公募推薦もしているし」って教えてくださったんです。上智大学はすごく入試が難しくて、特に世界史なんか、とんでもない難しさなんです。ところが、公募推薦だと1.2倍ということなので、これはもしかしたら入れるんじゃないか、と。それで、受験したんです。


——ロシア語が受験科目なわけではないんですよね?


上坂 ロシア語は出ませんが、ロシアに関する問題が何十問か出ました。小論文もあって、これもロシアに関するテーマ。2次試験は面接でした。


——小論文は何を書いたんですか?


上坂 なんだったっけなあ……。すっかり忘れてしまいましたが、頑張って書いたことは覚えています。ロシアに関する何十問もの問題が難しくて、ロシアは広くて知らないことがまだまだあるなあって、思いました。


——在学中に、学業優秀であると大学から表彰をされたそうですね。


上坂 声優のお仕事を本格的に始める前ですから、大学3年生のことだと思います。毎日、真面目にやっていたらいただけたというだけで、特に何かすごいことをしたわけではないんですけど。よく、首席卒業と間違われるんですが、全く違います。それはもう、丁重に訂正させていただきます(笑)。





最後の論文は「労働者・農民赤軍」について


——ちなみに卒論のテーマは?


上坂 それが書けなかったんです。外国語学部は任意提出なので、卒業の条件ではないのですが、4年生になると声優のお仕事も忙しくなってしまって、ついに論をまとめることはありませんでした。最後に書いた論文は3年生の時のゼミ論で、革命前後の労働者・農民赤軍が生まれた経緯と、それがどのように大きくなっていきつつあったのか、みたいなわりとピンポイントのテーマで書いたものでした。


——かなり重厚なテーマですね。


上坂 そうですか? わりとライトだと思うのですが。


——まさにロシア革命について論をものされた、ということですが、革命から100年。上坂さんは、この100年という時間をどのように捉えていますか。


上坂 そうですね……。私は活動の中でもソ連時代の文化を借用したり、影響を受けてやっています。そのこと自体を考えると、ソ連というもの、ソ連文化というものが「表現手段」として受け入れられるようになったのかな、という実感はあるんですね。文化として、消化されるようになったというか。それは、同時にロシア革命によって生まれた「ソビエト連邦」というものが、歴史化されたということでもあるんじゃないかと思います。さっき、亀山郁夫先生と沼野充義先生の対談本を読んでいたら、亀山先生が「ロシアの歴史は二進法である」という言葉がありまして。


——二進法ですか。


上坂 はい。0か1かなんだということですよね。「確かになぁ」って思いました。ロシア革命は皇帝ニコライ2世さえもが殺された暴力革命でもあったわけですけど、ロシアの歴史って、微動だにしない穏やかな時代か、激しい暴力が荒れ狂う時代かの、2つの極端な動きの中で進んでいっている気がします。ロシアという国は大きい国ですから、それくらいのエネルギーが必要なのかもしれませんが、中国の文化大革命などとも違う性質を感じます。まず日本では起こりようのないダイナミズム。






ゴルバチョフ大統領辞任の約1週間前に生まれたという運命


——上坂さんはソ連が崩壊した91年にお生まれになりました。


上坂 はい、ちょうど12月です。


——何か、運命のようなものは感じますか。ソ連との縁というか。


上坂 感じます。私は1991年12月19日生まれ、ゴルバチョフが大統領を辞任してソ連が崩壊した12月25日の約1週間前の日なんです。なので、私はもしかしたら、いかにしてソ連が滅んでいったのか、その記憶を語り部のように後世に伝えていく役割を担わされた人間なんじゃないかって。ソ連最後の科学者に、記憶チップみたいなものをどこかに埋め込まれているのかもしれない。もうそろそろ、いろいろ思い出してもいい頃なんですけどね(笑)。


——今年、サハリンを初訪問されたそうですが、それも記憶を蘇らせるための一環だったんでしょうか。


上坂 ははは。いえ、イベントに招待されて行きました。今年3月のことです。



ゴルバチョフ(左)、上坂さんが手にしているのはブレジネフ


サハリンで「艦これ」に出会いました


——稚内からフェリーで移動されて。


上坂 それがなんと、羽田から直行便が出てまして。てっきり船旅かと思っていたので、飛行機で行けるとはびっくりしました。


——それは知りませんでした。サハリンはどのあたりに行かれたんですか?


上坂 ユジノサハリンスクです。ショッピングモールで毎年、日本文化を紹介するイベントがありまして、私も参加させていただきました。日本からも何人か遊びに来てくださったんですが、みなさん未踏の地ですから、現地まで何十キロも歩くことになった方がいたり、飛行機を間違えてショーが始まる前に帰らなければならなくなる人がいたり。サハリンの洗礼を受けていました。チェーホフさえもが驚いた地だからなあ、と改めて思ったりしました(笑)。





——チェーホフの『サハリン島』を読んでから行ったんですね。すごい。


上坂 いえ、大学のときに読んでいたのですが、まさか訪問する機会に恵まれようとは思いませんでした。『サハリン島』の時代には流刑囚の島として認知されていたわけで、チェーホフも「みんな可哀想」みたいに言ってましたが、今はとても栄えていて、気持ちのいい場所でした。お住まいになっている日本人の方々にもお会いできました。その日本人会の方々がみなさん陽気で、ケーキを作っておもてなしくださったんですが、そのケーキに私が声優を担当している「艦これ」の吹雪が描いてあったんです。サハリンで「艦これ」に出会うなんて、思い出になりました。



モスクワで買った『セーラームーン』の海賊版


——料理はいかがでしたか?


上坂 お肉とか、日本とそれほど味付けが変わらなくてなじみやすいですし、ボルシチも日本でいただくものとほとんど変わらない味。ワインもウォッカも美味しかったです。


——ウォッカ、召し上がるんですね。


上坂 でも、サハリンでは飲みすぎて二日酔いになりました。冷凍庫に入れるとウォッカは凍らずにトロッとした状態になって、あの状態が一番美味しいですね。常温だと、喉が辛くなってしまいますから。





——ロシアはサハリン以外にどこに行かれたことがありますか?


上坂 モスクワとサンクトペテルブルクです。どちらもイベントのお仕事で、モスクワは現地の方が主催している「J-FEST」というイベントに参加して、ロシアのみなさんと交流をしました。コスプレショーを見たり、トークショーをしたりしました。日本のアニメを見て日本語を勉強しようと思った、という同世代の方がけっこういました。


——声優になりたい、という人はいませんでしたか?


上坂 中には声優になりたいと熱心におっしゃる方もいましたが、日本のように声優ファンがいませんし、そもそも声優という概念が薄いんだと思います。大学生のときにモスクワで買った『セーラームーン』のDVDを持っているんですけど、再生したら、ひたすらひとりのおじさんが、セーラー戦士全員の声をあてていて、びっくりしたんです(笑)。これ、売っちゃダメだよ、というレベルの雑すぎる作りで……。海賊版の実態がよくわかりました。


——それはひどすぎる……。


上坂 ロシアの人はどんな気持ちでそれを観ているんだろう。日本版と見比べて脳内で補完しているんですかね。忍耐強い民族だから、平気で観てるのかなあ……。





◆ソ連大好きインタビュー、ラストは上坂さんがフルシチョフとプーチンを語る!

#3 私のフルシチョフ  http://bunshun.jp/articles/-/4791


写真=鈴木七絵/文藝春秋



うえさか・すみれ/1991年神奈川県生まれ。上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。在学中の2012年1月にTVアニメ『パパのいうことを聞きなさい!』で声優として本格的にデビュー。2013年『七つの海よりキミの海』でアーティストデビュー。“共産趣味”の他にも、昭和歌謡、プロレスなど幅広い趣味を持つ。




(「文春オンライン」編集部)

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