遠藤憲一が語る芝居人生 三池崇史監督に掴みかかった過去も

11月4日(月)16時0分 NEWSポストセブン

努力を重ねて今の地位を確立した遠藤憲一

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「遅咲きの名優」と言われることが多い、俳優・遠藤憲一(58)。今ではテレビにCMに、そしてナレーションなどに引っ張りだこだ。「有名になるとかより、ひとりの表現者であり続けたい」──そう語る彼は、なぜ俳優の道を志し、今の自身の活躍をどう考えているのか。この10月に発売された、表現者31人に迫ったインタビュー集『硬派の肖像』に収録された遠藤の声を抜粋してお届けする。


 * * *

「俺でいいんですかね」


 強面の顔がゆるんで、照れるように遠藤憲一は言った。「こういうお洒落な雑誌に呼んでもらえるのって、慣れてなくて」


 気づけばこの数年、話題のドラマや映画のそこかしこにこの人はいる。多忙で同時期に二本の撮影をしている状態が常であるといい、依頼される役柄も多様。あるときはクールな刑事、あるときは亡き母を思慕する中年男、あるときは著名な塾講師、あるときは人情味あふれる父親……と演じ分け、独特な強い印象を投げかける。


「いやもう、必死なだけです。仕事がまったくない時代があったんで、仕事をもらえるというだけですごくうれしいんですよ」


 その幅の広さから、「器用な役者」だといわれることも多いが、本人は「まったく逆です。とてつもなく不器用で」と、声に力を込めた。


「だから一個、一個の作品がオーディションだと思ってるんです。若いころ、受けては落ちてを繰り返してたからいつも不安だった。年がら年中、傷ついてたもんだから、ヘンに悪いほうにとるようになっちゃったのかもしれないね。その癖が今も抜けなくて、もしもこの一作で失敗したらあとがない、油断したらだめになるといつも思っていて……」


 人気俳優といわれてもいまだ自覚がなく、「俺ってちっちぇえなと思う」と言った。


「臆病だな、これでいいんだろうか、とかしょっちゅう思ってるんです。だから下準備をきっちりしていかないと落ち着かなくて、台本をもらうと完璧に覚えます。真っ先にやるのはね、漢字を調べること。自分、高校1年を2学期の初めで中退してるんで、中卒なんです。ツッパリだったんですよ。難しい漢字が読めないんですね。昔、とんちんかんな読み方して、ゲラゲラ笑われたことがあってすっごく恥かいたので、二度とごめんだと思って」


 せりふの覚えも得意ではないようだ。


「何度も繰り返して努力して覚えるしかないんです。いっぱいいっぱいだけど、手を抜くことを覚えたくない」



 俳優の道は、電車の中吊りで「タレント募集」の広告を見てふと興味をもち、応募したことから始まった。


「高校をやめてからは、アルバイト三昧でしてね。といってもちょっと嫌なことがあるとすぐやめちゃいまして、こらえ性がないんです。やめ癖がついちゃって目標もないし、むちゃくちゃ怠惰な時代でした。そんなときなんです、広告見たのは。17歳だったかな」


 このころのことで、いちばんに思い出すのは父親に殴られた日だという。


「ガスの配管工をしてたんですが『親父だって、たいした仕事してないじゃないか』って言ったもんだから、ボコボコにされました。ふだんは穏やかな人なんですけど」


 親の心配はわかっていたが、人生がうまく回らず、たえず苛立っていた時期だった。いつも何かに飢えていた。


 養成所に入ってまもなく「人間を演じることの面白さ」を肌で知って、初めて心が高揚する。「俳優しかない」。新宿の家賃3万5千円の古アパートを借りて奮闘を始めたが、注目を浴びる40代までは下積みの葛藤が続いた。


「あるところでは個性がないと言われ、あるところでは強すぎると言われてましてね、いったい何なんだよって」


 20歳で、仲代達矢の主宰する『無名塾』に700人中の5人として合格するが、その栄光を10日で蹴っている。「規則正しい時間の中で皆と長く過ごす、そういう強制的なのがすごい苦手なんで。今なら耐えられますけど」。



 そんな自身をまた嫌悪して、新宿の路地裏で飲んだくれもした。だが「自分のやり方は曲げられなくて」、岩場にぶつかるような日々が過ぎていった。「ぐだぐだでしたけど、ほかに逃げ場がなかったし、役者にしがみつくしかなかったから」。目を引く個性がありながら、しかし認められることが少なかった遠藤は、やがて「大きく芝居を開眼させられた」という作品に出会う。『天国から来た男たち』(2001年)だ。40歳になっていた。


「仕事したくてしょうがなかった三池崇史監督に、ある店で偶然会って、酔った勢いで『俺を使え!』って掴みかかったんです。翌日、何てことしちゃったんだと青くなったんですけど、まさかの依頼をしてくれまして」


 フィリピンの刑務所を借りての、過酷なロケだった。


「『そこでウンコして』から始まりましたから(笑)。それまでの自分の芝居が、いかに型どおりで呪縛されたものだったか思い知らされました。三池さんは魂の底のいちばん大切なものを一個、一個、引き出すもののつくり方。ああ、約束ごとなんて何もない、思いつくままにやっていいんだと、どれだけ開放してもらったかしれません」


 この業界での生き方までも自由にしてもらったと言い、その後の活躍には目を見張るものがあった。2011年の『てっぱん』(NHK連続テレビ小説)での、一徹で人情味のあふれる父親役では、どこか暴力的な匂いのする遠藤がこれまでにない顔を見せて、女性ファンが急増したといわれる。素に近かったのかもしれない。


「素朴な両親の影響も、あるかもしれません。ふたりがすごいと思うのは、人に対しての偏見といった意識、どういう育ちでどういう肩書があってとか、そういうものがまったくなかった。それは自分の中にも、ものの見事にない。よかったと思ってます」



 暮らしぶりが上向いた今でも、新宿の下町風情の残る界隈に住み続ける。50代に入った今、男としても脂が乗り、渋さが滲み出るようになった。


「有名になるとかより、ひとりの表現者であり続けたいんですよ。あの作品はよかった、いい役者だといわれるのが、いちばんうれしいことなんで。それにはまず残る役者でいなければって思う。同世代の旬な役者たちの中にいつもいたい、そう思ってます」


【プロフィール】えんどう・けんいち/1961年、東京都生まれ。1983年『壬生の恋歌』(NHK)でデビュー。その後、数々のテレビ・ドラマの脇役として活躍し、2009年『湯けむりスナイパー』(テレビ東京)で主演、好評を博した。映画でも『その男、凶暴につき』『月はどっちに出ている』ほか、多数の作品に出演。CMやナレーターとして、テレビのドキュメンタリーや映画の日本語吹替版などでも活躍をみせている。近作にNHK大河ドラマ『西郷どん』(2018年)、三池崇史監督・宮藤官九郎脚本の映画『土竜の唄 香港狂騒曲』(2016年)などがある。


◆インタビュー・文/水田静子、撮影/KEI OGATA ※初出:雑誌『Precious』2013年7月号

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