「Kanon」や「CLANNAD」「Angel Beats!」など…「泣きゲー」からアニメ原作まで、美少女IPを仕掛け続けた28年! ビジュアルアーツのユニークなブランド戦略と経営思想を馬場隆博社長に聞いてみた

11月5日(火)11時33分 電ファミニコゲーマー

 美少女ゲーム30年の歴史の中で、“ヒット作”と呼ばれる作品というのは少なくない。しかし、そのゲームがムーブメントを作り、さらに一つのジャンルを確立する大きなきっかけになった作品というのは決して多くないのも事実だ。

 そんな美少女ゲーム業界に「泣きゲー」というジャンルがある。感動的でドラマ性の高いシナリオを持ち、プレイヤーが思わず涙を流してしまう──そんな美少女ゲームジャンルだ。そして、この「泣きゲー」が確固たるジャンルとして確立するのに大きな影響を与えたのが、美少女ゲームブランドKeyの『Kanon』『AIR』であることは、美少女ゲームファンなら異論のないところだろう。

(画像はKanon|Key Official HomePageより)
(画像はAIR|Key Official HomePageより)

 そんなKeyをはじめ、スタジオメビウス、SAGA PLANETSにtone work’s──近年ではアニメ制作からソシャゲまで、数々のヒットコンテンツをリリースし続けている株式会社ビジュアルアーツで、1991年に設立されてから28年間、ずっとリーダーとして采配を振るっているのが、同社社長の馬場隆博氏だ。

 美少女ゲーム業界参入当初はシナリオライターとプログラマーとしてゲーム制作の最前線にいた馬場氏だったが、1992年から美少女ゲーム会社としては初の試みとなるフランチャイズ制を敷くことで経営に専念。
 数多くのゲームブランドとPCゲーム作品、アニメなどを世に送り出すことで、美少女コンテンツ市場の盛り上がりに大きく貢献してきた。PCゲーム市場が不調をきたした2010年代以降にも数々のヒット作をリリースしており、ビジュアルアーツとパートナーブランド作品は、つねにファンの注目を集め続けている。

 このように、独自で斬新な経営アイデアで美少女ゲーム業界をリードしてきた馬場社長だからこそ見えている美少女ゲームの30年というものがあるはず。美少女ゲーム隆盛の平成年間をどのように駆け抜け、そして今後の展望をどのように考えているのか。
 平成美少女ゲーム史を振り返るうえでも重要人物の一人である馬場社長に、じっくりお話を伺った。

取材・書き手/今俊郎、黛宏和
監修・聞き手/TAITAI


馬場隆博氏

はじめに

──9月8日に開催されたビジュアルアーツの美少女ゲームブランド「tone work’s」のライブイベント「FULL MOON PARTY」は大盛況でしたね。

馬場隆博氏(以下、馬場):
 ありがとうございます。いままでビジュアルアーツといえば「Key」だったんですけど、「tone work’s」もずいぶん育ってきて、ファンも増えてきたことから、最近はそういうイベントやらサービスに力を入れているんですよ。「tone work’s」の連中もみんな育ってきてて、僕が任せっきりでも立派にやってくれるようになってきたしね。

──ゲーム作品でも昨年はKeyの『Summer Pocket』、そして今年はtone work’sの『月の彼方で逢いましょう』とヒット作も続いていますし、令和のビジュアルアーツに期待するファンは多いと思いますよ。

(画像はSummer Pockets -サマーポケッツ- (サマポケ) オフィシャルサイト | Key Official HomePageより)
(画像はtone work’s official websiteより)

馬場:
 まあね。サマポケは萌えゲーアワードの大賞もらったし(笑)。けど、それだけじゃぜんぜん喰えない(笑)。ネットとかグローバル化とか、そういうの、頭わるいからよくわかんないし。てかさあ、なんで僕なんかにインタビューするの? 読者はもっとイケてる若い経営者の話を訊きたいんじゃないの?
 Keyはいろいろあって新しい話ができないし、PCゲームは業界全体が縮小気味で人気のサガプラはパートナー離脱、結局、昔話しかできない今のビジュアルアーツなんか、ぜんぜん面白くないよ。

美少女ゲームをビジネスととらえて業界参入

──それでは、まずは馬場社長のこれまでについて、お話をお聞きしたいと思います。馬場社長はどのようにしてPCゲームに興味を持たれたのでしょう?

馬場:
 いきなり昔話かよ(笑)。もうなんども語ってるので、聞き飽きた人もいるんじゃないかな。……ふぅ、仕方ない。あきらめて真面目にしゃべるか。
 まあ、言ってみれば純粋にビジネスとしてですね。自分が独立して何の仕事をしようか?と事業の柱を考えたとき、僕は何も持っていなかったんです。お金もない。そこで無限に増殖できるものを自分で作って、それを1個1万円で売って1億円稼ごう、と考えたんですね。ではそういうものはないか?と探した時にPCゲームに行きついた。

──それでは、そもそもPCゲームへの関心というのは……。

馬場:
 まったくなかったよ。もちろん1960年代生まれの普通のテレビっ子ですから当時もアニメは見ていましたけど、とくにアニメやゲームだけが大好きだったというわけではないんです。

──ということは、独立されるまでもゲーム関係のお仕事をされていたわけではないんですか?

馬場:
 僕は電気系、映像系、音響系の商品を取り扱う、いわゆる電材商社にいました。そこで映像系・音響系を主に扱う部署を自分で立ち上げたんです(笑)。
 当時、商業施設で天井からモニターを吊るして映像を流したり、モニターを積み重ねて大型ビジョンを作ったりという映像演出や表現が流行っていたんですよ。それを「ビジュアルアート」というんですけど、僕はその企画・制作をやりたかったんです。

──自分で部署を立ち上げてしまうっていうのはすごいですね。

馬場:
 カッコいい仕事をやりたかったんですよ。それで「映像系の企画をやる部署を作ります!」って立ち上げたんですが、入社4年で営業所長というのは、未だにその会社の記録だそうで(笑)。

──それがどうしてエロゲーに辿り着いたのでしょう?

馬場:
 まあ、落ち着きなさい(笑)。
 ちょうどそんなことを考えている頃に、アダルト系のDMが届いたんですよ。大人のおもちゃとか精力剤とかの。それを「なんじゃこりゃ!?」って言いながら、つい見入っている自分に驚いたんですね。普通のDMなんか見ずに捨てますでしょ? いやあ、エロは強いな。やるならエロだな、と。
 そんな時に、友人のUYE!【※】にエロゲーの存在を教えてもらって、これだ!と思って買いに行ったわけです。ほら、無限に増殖出来て、1万円を1万個売れそうでしょ?
 それまではエロゲーなんて全く知らなかったから、日本橋のお店にズラーっと並んでいるのを見て、「こんな世界があったんか」と驚きました。

※UYE!
元ビジュアルアーツ社員。後にビジュアルアーツのフランチャイズブランド「13cm」「130cm」などを立ち上げる。

──その時買ったタイトルは?

馬場:
 『天使たちの午後』(JAST)と『沙織 -美少女達の館-』(フェアリーテイル)ですね。後にわいせつ物として検挙され、ソフ倫設立のきっかけになった両タイトル(笑)。この話をすると「社長、引きが強い!」「見る目がある!」って言われます。

(画像はTenshitachi no Gogo Screenshots for PC-88 – MobyGamesより。Screenshot via Mobygames)

──確かに(笑)。

馬場:
 で、その2本を研究して、プログラムとシナリオを自分で担当してエロゲーを作ったんです。もともとプログラムはできたし、シナリオも書けるだろうな、と。「他人にできるなら、自分にもできる」というのがモットーなんです(笑)。音楽はUYE!がやってくれました。

──その記念すべき1本目は、どのようなゲームだったのですか?

馬場:
 『しぇいく!しぇいく!』(ボンびいボンボン!)。シナリオをたくさん書くのが嫌だったからクイズゲームにして、他のゲームでやっていないことをやりたくて、着信専用の電話回線を5本くらいひいて、そこに電話して流れる音声を聞きながらエロアニメを見られるというゲームを作りました。

──かなり新しい、攻めたゲームですね。

馬場:
 攻めてないよ。脱衣麻雀とかを作る方がよっぽど難しい。
 ただ、その当時のクイズゲームって「何千問収録!」みたいな問題数の多さを競う風潮があったんだけど、そんなに問題を用意するのは大変だから、回答率じゃなく連続正解すればゲームが進むようにしたんです。そうすれば300問くらいですむので。
 とにかく1本目は、自分のできる範囲でゲームを作ろう、ということだったんです。

──セールスはどうだったのですか?

馬場:
 ゲーム自体は売れました。
 でも、そのタイミングにさっき言った「沙織・天使たちの午後事件」(沙織事件)【※】が起きるわけですよ。それで『しぇいく!しぇいく!』も販売を中止して、ほとぼりが冷めるまで塩漬けせざるを得なくなった。
 で、急遽ぜんぜんエロくない『うるま』というタイトルを出して、ようやくほとぼりが冷めたころに『しゃいくしぇいく 1・2 完璧版』『ヌーク 〜あばかれた陰謀〜』を発売した。この『ヌーク』は売れましたよ。

(画像はNooch: Abakareta Inbō for PC-98 (1992) – MobyGamesより。Screenshot via Mobygames)

 だって業界みんなが腰が引けてエロゲー作ってなかったから。僕は事件の内容を調べて検挙がわいせつ物というくくりだと知ったから。これなら大丈夫だと自信があったんです。
 でも、あんまり作るのが大変なので、そこで自分でゲームを作るのをやめたんです。

※沙織事件
1991年(平成3年)にアダルトゲーム『沙織 -美少女達の館-』を開発・発売したフェアリーテールが摘発された事件。

ゲーム制作の最前線から経営に転身。導入したフランチャイズ制

──え!? そんなに早く!? なぜですか?

馬場:
 正確には次の『美少女ハンターずっこんX』を出して、ですね。
 その当時でも、ゲームソフト1本作るのに10カ月くらいかかっていたわけですよ。その時点で自分のビジネス人生をあと30年と考えて、作れるソフトは30本くらい。それも途切れることなく作り続けてですからね。
 これではあまりにも効率が悪いし、30年後に振り返ったときに机の上に乗るくらいのソフトがすべてというのを考えると、バカバカしくなってしまった。それで考えたのがフランチャイズ化だったんです。

(画像はBishōjo Hunter ZX for PC-98 (1993) – MobyGamesより。Screenshot via Mobygames)

──今のビジュアルアーツのビジネススタイルですね。

馬場:
 その当時、同じようなアドベンチャーゲームなのに、各メーカーがタイトルごとに同じようなプログラムを作り、「プログラマーがいなくなりました」と言っては困り、というのを繰り返していたんですね。
 ならば共通のアドベンチャーゲームエンジンを作り、各メーカーはそれに絵とシナリオを乗せてもらい、我々がセールスと在庫管理、サポートを一元管理すればビジネスになると考えたんです。

──なるほど。

馬場:
 それと同じ時期にUYE!が会社を辞めて独立すると言い出したわけです。それで今後どうしていくのか、という相談に乗っているうちに、このフランチャイズ化というのが現実味を帯びていったんですね。

──一緒にやってきた仲間が辞めるというのはマイナスのイメージが強いですが、そこから新しいものが生まれてきたわけですね。

馬場:
 その頃の美少女ゲーム業界というのは、辞める人間をいじめていたんです。流通に「取引するな」とか妨害したり。
 でも、僕はそれをくだらないと思った。なぜかというと、当時エロゲーメーカーだけで40社くらいあって、それ以外でもエンターテインメント系の会社は無数にあるわけです。もともとそこと戦っていかなければいけない状況で、さらに辞めた仲間と喧嘩するなんてナンセンスですよ。
 だったら逆に、できるだけ協調した方がいい。

 それで「ここは手助けできる」「ここは協力していこう」と話し合っているうちに、「これなら日本中のエロゲーメーカーとも同じことができるんじゃない?」と。
 現在でもビジュアルアーツを辞めていった人間をサポートしたり協力し合ったりしているわけですが、その転機となったのがUYE!で、アーヴォリオというブランドを立ち上げました。これが後の13cmになるわけですね。

──それ以降もたくさんのブランドがビジュアルアーツとフランチャイズ契約をしていきましたが、馬場社長から、もしくはビジュアルアーツから営業をかけていったということは……。

馬場:
 ない……あんまり(笑)。というのも、当時の市場規模が100億円。最盛期でも400億円しかなかったわけですよ。そこで強力な営業体制を敷いたとしても、ローソンにはなれない。
 だから基本的にこちらから声をかけるのは、独立する社員にだけ。でも、いつの世もお金の匂いがするところには、向こうから声をかけてくるわけですよ(笑)。それでブランドが増えていきました。
 結果的にその後の20年で1000タイトルくらいリリースしました。最盛期には20〜30くらいのブランドがフランチャイズとなって、毎月のように新作ゲームを発売していました。

──そのフランチャイズ化を進める中で、馬場社長ご自身はクリエイティブな仕事をしてみたいという欲求は……。

馬場:
 ない!(笑)
 これはKeyの出現が契機になるわけだけど、それまでの美少女ゲームというのは、作品ではなくソフトウェア、あくまで工業製品だったわけです。ですから、自分がエロゲーに作品性を込めるなんて思いもよりませんでした。

馬場社長の美少女ゲーム感を変えた『Kanon』の衝撃

──他社タイトルの中でも、そこをあまり意識した作品はありませんでしたか?

馬場:
 『同級生』(elf)【※1】『ToHeart』(Leaf)【※2】というタイトルで作品性の萌芽のようなものはありましたけど、それは少し専門的な話になります。
 たとえば『同級生』は、それまで「場所」に紐づいていたシナリオを「キャラクター」に紐づけた作品として画期的でした。キャラクターにシナリオを紐づけることで、より人物を掘り下げることができるようになったんです。これは衝撃的でしたね。

──具体的には、どういうことでしょう。

馬場:
 それまでのエロゲーは、場所という概念にシナリオが入っていて、どこかの場所に行くと、そこに女の子が登場してシナリオが進むわけです。
 でも『同級生』は個々のキャラクターにシナリオが収められていて、どの場所で会っても同じシナリオになる。その結果、キャラクターは場所という縛りから解放されて自由に世界を移動できることになった。これはかなり人間に近い。もちろんキャラクターを立てることにもなった。

──それまでのエロゲーとは違ってたわけですね。

馬場:
 それ以前のエロゲーでキャラが立っていたのは主人公だけで、主人公が移動した先でイベントが起きて、女の子が出てきてエッチする。
 でも『同級生』では主人公が、ヒロインがどこに登場するか考えながら追いかけていくわけでしょ。これはそれまでのアドベンチャーとは異なる、新しいゲーム──キャラクターゲームですよね。それの行き着く先が、萌えゲーだったわけです。
 たとえばウチの『Kanon』【※】では選択肢を選ぶことで好感度が変わり、ヒロインそれぞれのストーリーを楽しむことができる。作品全体はあゆというヒロインの存在で一つに包まれているんですけど、過酷な運命を背負った少女をテーマにした試練と成就、という重厚で泣ける物語はヒロインそれぞれに用意されているんです。
 そういうところに向かっていったきっかけになった作品が『同級生』であったと言えるんじゃないでしょうかね。

※Kanon
Keyが1作目に制作した恋愛アドベンチャーゲーム。キャラクター性、ドラマ性の高さで多くのファンの支持を集め大ヒット。特に感動的なストーリーは高評価となり、後の「泣きゲー」ムーブメントのきっかけとなった。

──そこから作品としての美少女ゲームになっていくわけですね。

馬場:
 キャラクターをシナリオでより掘り下げていくことで、作品性が生まれてきたということでしょうね。例えば『同級生』はその萌芽ではあっても、物語はあくまでエロゲーの装置にすぎず、各ヒロインに付随するシナリオはそこまで多くはないわけです。
 でも『Kanon』じゃエロと物語の主従が完全に逆転しちゃった。ヒロインひとりあたりのストーリーが本2冊分くらいあって、それぞれがファンタジーやホラーといった切れ味のいい違いと、明確なオチがついていながら、全体をひとつの世界観でまとめるという美少女ゲームの作法が生まれた。これは今も続いています。

──その意味では、Keyが1999年にデビューして『Kanon』をリリースしたというのは、美少女ゲームの歴史の中でも非常に大きなエポックだったと思います。そんなKeyのデビューに馬場社長は関わられているのですが、最初はどのようなブランドと見られていましたか?

馬場:
 もともと原画家の樋上いたる【※1】はビジュアルアーツの社員だったんですけど、辞めてTacticsさんでゲームを作っていたんです。
 そんな樋上いたるから、「チーム全員でTacticsを辞めたので、丸ごと入れてほしい」と言ってきたわけです。それで「いいよ」となったときに麻枝准【※2】がやってきて、「雇ってくれるなら条件がある」と言ってきたわけです(笑)。

※1 樋上いたる
ゲーム原画家、イラストレーター。TacticsやKeyなどで美少女ゲームの原画を担当し、数々のヒット作を手掛ける。

※2 麻枝准
Key所属のゲームシナリオライター、脚本家、作詞家、作曲家、音楽プロデューサーとして活躍するマルチクリエイター。

──それはなかなか……。

馬場:
 今でもなんですが、当時から熱いヤツだったんです(笑)。
 で、最初に僕の方から「引き抜きじゃないし、そう思われるのは嫌だから、給料は上げないよ」と言ったら、「それはどうでもいいんです」と。で、どんな条件かを聞いたら、「自分たちの好きなものを作らせてください」「このチームをバラさないでください」と。それで「OK」と。

──ビジュアルアーツに来る前はTacticsで『ONE 〜輝く季節へ〜』という人気作品を送り出していたチームでしたが、この作品を馬場さんはどのように評価されていたんですか?

(画像はNEXTON製品情報『ONE〜輝く季節へ〜フルボイスバージョン』より)

馬場:
 単に知らなかった。『ONE 〜輝く季節へ〜』の人気とか、発売直後に僕には聞こえてこなかったんですよ。
 爆発的に人気が出たのではなく、ジワジワ〜っと人気が盛り上がった作品だったじゃないですか。しかも盛り上がってきたときには、もうビジュアルアーツに来ていましたし。

──そうだったんですね。

馬場:
 だから普通にエロゲーの1本という認識だったんですが、当時は「この絵でエロゲーとして成立するのか?」と思いましたね。してなかったんですけどね(笑)。

──確かに、エロという部分での評価は高くありませんでした。

馬場:
 だから僕も『Kanon』で勉強した。うちのスタッフも『Kanon』で勉強しました。
 当初は「あいつらなんか作っているけど、本当に売れるんかな?」みたいに思っていました。その頃Keyは別の場所でゲーム制作を進めていたので、実際にどんな風に制作していたのか、こっちはまったくわかっていなかったわけですから(笑)。

──それは確かに不安もあったでしょうね。

馬場:
 不安というか、「何を作っているのかな?」と。それが変わったのがデバッグした時です。制作はKeyでも、デバッグはビジュアルアーツのクオリティーでやらなければならない。
 というのも、彼らの話を聞くとデバッグが適当なんです。「そんなんでバグなくせるんか?」と聞くと「なくせませんけど、それが深いって言われます」とか、わけのわからないことを言ってる(笑)。
 これじゃいかんと、「フローチャートを用意して、●月〇日までにゲームを持ってこい」と指示して、全社でデバッグを始めたら、その時に空気が変わった。
 「あれ? これ面白いぞ」と。それで「これは本気で売り出さなければいけない!」となったんです。

──その要因が、先ほどお話された「作品性」なのでしょうか。

馬場:
 それまでも「恋愛ゲーム」というジャンルはあったのですが、『Kanon』は、確かにモニターの向こうの女の子たちに恋愛感情のようなものを抱けたんです。そこにはキャラクターを愛するようになるシナリオがあるわけですが、日常の会話などを繰り返していくことで女の子を好きになっていく。それって実際の恋愛と一緒だな、と。
 会話するときに、返ってくる言葉を予想しながら話すじゃないですか。その時に、相手がちょっと想像と違うことを返してくる。それがいい感じなんですよね。
 そこで「あ、この子、ええ子やな」って思える。それをなんども繰り返すことで、どんどん好きになっていく。そうして関係が深くなっていったときに試練があって、解決があって、そこに泣けるスイッチが用意されているとだーっと泣けてしまうんです。
 そういう物語の組み上げ方を久弥直樹【※】や麻枝はやろうとしていた。その中で『Kanon』が出来上がったわけです。
 そのKeyのゲーム作りというものを、僕はまるで分析官のように分解して、それ以降のゲーム作りに生かそうと思ったんです。

※久弥直樹
シナリオライター、小説家。Keyの創立メンバーの一人として『Kanon』の企画原案とシナリオを担当した。

──馬場さんの中でも、『Kanon』という作品で美少女ゲームへの認識が変化したということでしょうか?

馬場:
 そうですね。ガラッと変わりました。それまでのエロゲー、たとえば『雫』や『To Heart』にも、いいストーリーはありました。
 でも、あくまで「エロゲーの中で」なんです。そこを超えるものでないのであれば、よりエロいゲームを作った方がいいと思っていました。でも『Kanon』はその価値観を逆転させてしまった。物語とエロの主従が逆転どころか、エロをテイストの一部にしてしまった。

(画像は雫 -しずく-|Leafより)

 だって『Kanon』のエロなんて、正直どうでもいいレベルですよ(笑)。だからもう、これはエロゲーじゃないなって。じゃあ何かって考えたら、ファンタジーなんですよ。
 特に麻枝の作るものはファンタジー色が強い。だってヒロインが狐の化身でっせ?(笑)

──確かに『Kanon』をプレイすると、それまでのエロゲーとはまったく違うものを提示されているような印象がありました。

馬場:
 そうでしょう。そしてそれは、麻枝だけでもできなかったし、久弥だけでもできなかった。久弥の描く女の子は魅力的だけど引き出しが少ない。麻枝はその引き出しが多彩なんです。二人が融合し、お互い刺激し合うことで生まれたのが『Kanon』であり、Keyというブランドの魅力なんですね。
 『Kanon』1作で久弥はKeyから去るわけですが、彼が残したものは大きかったですね。その後に麻枝と僕らが目指したKeyらしさというのは、まさに久弥が残したもので、過酷な運命を持つ少女と、主人公のその少女への想いや瑞々しい憧れ、日常を通した恋愛感情があって、その果てに試練があって解決する、という物語なんです。

──そしてKeyは『Kanon』で「泣きゲー」というジャンルを確立しました。

馬場:
 当時、泣かすためのスイッチにはどんなものがあるんだろう?と、いろいろ考えました。ただ切ない設定や物語を作るだけではなく、スイッチになるたったひとことのセリフだったり、タイミングよく流れてくる音楽だったり。

──そんな中で、馬場社長は、どういったレベルでクリエイティブに介入されていくのでしょう?

馬場:
 僕の場合は、まずは企画の段階で関与して、それがよければ進めさせて、ダメなら介入します。制作に入ったら、まずはやらせてみますね。

──企画段階で、馬場さんが一番重要視するポイントはどこなのでしょう?

馬場:
 いろいろありますよ。絵であり、タイトルであり。でも、一番大事なのは認識ですね。「何を作ろうとしているか」という認識。『Kanon』以降、様々な方向性のタイトルが生まれてきて、「ストーリー系」「萌え系」「凌辱系」といろいろある中で、どんな作品を作るのかというのがブレちゃダメなんです。
 逆にそれがブレなければ、様々なジャンルのゲームを出しても問題ない。ビジュアルアーツとしても『Kanon』を出した翌月には『絶望 -青い果実の散花-』を発売していますしね(笑)。


馬場隆博流ブランディングは「クリエイターとブランドを前に出せ!」

──Keyに限らず様々なブランドを世に送り出してきているわけですが、ブランディングについての馬場さんのお考えもお聞かせください。

馬場:
 一つはクリエイターを立てることですね。
 『Kanon』の頃の美少女ゲーム業界の悩みとして、結果を出したスタッフが独立してしまうというのがあったんです。なぜなら会社にいると結局は一社員で、上の言うことを断れないし、好きなものを作れない。
 それにくらべて、フリーになると、やりたいことにチャレンジできるし、一気に先生扱い、気に入らない仕事は断れる。マネージメント能力ある人はどう考えてもそのほうがいい。

──確かにそうですね。

馬場:
 なので『Kanon』のあたりから、弊社では積極的にクリエイターを前に出すようにしました。つまり社員でありながら、一クリエイターとして周囲に名前を覚えてもらえるようにする。同時に一定レベル以上の社員は、仕事を選ぶことができるようにしました。
 つまり社員のセレブ化ですね。こうすることで、結果を出したクリエイターに、自分の好きなものを作ってもらえるような体制にしたんです。

──確かにKeyは早くから各クリエイターの名前が前に出ていた印象があります。

馬場:
 でも、一番名前を出したがらないのもKeyのスタッフだったんですよ(笑)。
 で、まあ、次の段階として、クリエイターを立てた後はブランドを立てる方向に進めたいですから、ビジュアルアーツという名前を出さないようにしました。
 パッケージに、チラシやポスター、さらには雑誌での掲載でも、一切ビジュアルアーツという表記をしないように、と。Keyやスタジオメビウス、サガプラネッツなどはそれで成功しましたね。

──ファンとしても、ブランドが前に出ることで、より応援する気持ちが強くなりそうですね。

馬場:
 そうでしょう。それで当初はとても感謝されたんですが、最近は逆に「ビジュアルアーツの名前を出しちゃだめですか?」って言われることも増えたんですよ。もちろん理由を説明して、やめてもらっているんですけど、新しいブランドさんなんかはビジュアルアーツの名前を出すことで大手感を出したいらしいんですよね。
 ゲームを起動すると、自社ブランドのロゴの前にビジュアルアーツのロゴを出したい、とか。時代も変わったなあと思いましたわ(笑)。

──帰属意識のようなものもあるのでしょうか? ビジュアルアーツの仲間だ!とか(笑)。

馬場:
 そんなのと無縁のアウトローみたいなのが集まってエロゲーを作っていると思っていたんですけどねえ(爆笑)。まあ、そういう人ばかりだと面白いけど世間的には風当りが強くて困ったこともありました。
 だって『Kanon』のコンシューマー版でキャラに声を入れることになったんですけど、声優事務所さんの対応なんかは今とは比べ物にならなかったですよ。以前も今も、アダルト産業への認識は厳しいものがある。
 その意味では、たくさんの関係者のたゆまぬ努力があって、美少女ゲームというものがブランディングされてきたとも言えますね。

──これまでブランディングしていく中で印象に残っているブランドはありますか?

馬場:
 そりゃたくさんありますよ。CRAFTWORKとか(笑)。ただ、今の美少女ゲームの厳しさを見れば、ブランディングに成功したところしか残っていないのは明らかじゃないですか。そこでここが印象的だったと言っても、切ないだけですよ(笑)。

──そうかもしれませんね。

馬場:
 そういう意味で言うと、僕のブランディング手法は一周まわってもう古い。
 今は経営的に成立する仕組みを考えたら、なにより社員の幸福を優先し、そのあとでクリエイターを役員とか経営陣に据え、それから前に出すことをしなきゃならない。簡単じゃなくなってます。

 作品でもそうですが、個性よりも完成度、個人よりチームワークですね。なのでブランディングはそれら大勢のチームをまとめる求心力やユーザーから見たコンテンツカラーとして位置づける必要がある。
 これはネットによる情報流動性が主な理由ですが、逆に言うとだからこそ、数少なくなってしまった麻枝准のようなクリエイターは希少価値があるし、平板な工業製品にならないよう、ブランディングはより重要になった、とも言えるんです。

──そんなブランディングとしてはゲームブランドだけでなく、音楽制作チームのI’veのブランディングというのも馬場さんのお仕事として大きかったと思います。そもそもI’ve【※】との出会いはどのようなものだったのでしょう?

※I’ve
北海道札幌市に本拠地を置く音楽制作プロダクション。美少女ゲーム音楽も数多く手がけている。Key作品の音作りにも参加し、その作品世界を盛り上げる楽曲を提供している。

馬場:
 また昔ばなしか(笑)。フランチャイズを始めたときに「ゲームを作りたいんです」「北海道です」と連絡があったので、札幌に行ったんです。
 ところがこれがひどいゲームで、立ち上げた途端に「はいはい、こりゃダメですね」という感じだったんです。ところが音楽はいいモノを作っていた。当時のエロゲー音楽はまだレベルが低かったんです。その中で彼らの音楽は、すでに一般の音楽業界のレベルに達していたんですね。

──それを聴かれて、いける!と判断されたんですね。

馬場:
 いや、実はCDをもらったんだけど、聴いていなかった(笑)。ただ、UYE!に渡しておいて、ある日、「こないだ渡したCD、どうやった?」と聞いたら、「よかった」というわけですよ。
 UYE!は音楽についてあまり褒めないヤツで、そいつが「よかった」と言うなら、じゃあ聴いてみようかな、と。そしたらこれがいいんですよ。ならばと『Kanon』の主題歌を任せてみたら「イケてるやん!」って曲ができてきたんですね。

──あのサウンドがOPから聞こえたときの感動はすごかったですよね。

馬場:
 そうそう。それならほかの楽曲も聴かせてもらうことになったら、ブルーゲイルさんとか北海道のエロゲーメーカーに、けっこういい曲を提供しているんですよ。でも、みんな秘蔵音楽外注みたいな扱いにして名前がぜんぜん出てこないから、音楽制作チームとしての知名度がない。
 
「これじゃダメだから、ブランディングは任せろ」ってことで、I’veという名前とロゴを作って、パッケージに貼ってもらおうよ、と。さらに楽曲の著作権は譲渡せず、I’veが留保する契約書を作り、楽曲が一定数たまったらCD化して販売する、というビジネスモデルを作ったんです。そのCDが大ヒットして一世を風靡しました。

──そうなるとI’veに関してはブランディングだけでなく、完全にプロデュースした感じなんですね。

馬場:
 いやいや、それだけじゃなく、I’veも頑張ってくれましたから。
 そして『Kanon』の主題歌以降、「ゲーム主題歌でもこういう音楽業界とそん色ない物が作れるんだ」「OPムービーがあればゲームを宣伝できるんだ」ということが知れ渡り、I’veにもたくさん発注が来て、その後に同じようなクオリティーの主題歌を作れる音楽チームがあらわれ、今でも美少女ゲームには主題歌やOPムービーというものが当然のように作られているわけです。

──その美少女ゲームから始まった主題歌やOPのクオリティーというのは、今のTVアニメにも大きな影響を与えているように思えます。

馬場:
 クオリティーとしては、そうかもしれませんね。ただ、僕のOPムービーについての着想は『To Heart』ですよ。あれを見て「このクオリティーを上げていけば、大きな武器になるな」って感じましたから。

──音楽でいえば、大会場を使用してのライブイベントというのも、ビジュアルアーツが業界内に先駆けて仕掛けた企画と言えます。これは、どういった狙いからなのでしょう?

馬場:
 最初はI’veがやりたいと言ったからです。ただ、最初は500〜600人規模の会場でKOTOKOライブをやりたい、ということでした。
 それでやらせてみたのですが、実際に見ていると、自分ならもっと大きな会場でできるな、と。それでライブ企画はもちろん、グッズ販売やライブの演出などを自分でやっていくうちに、監督もやるようになったわけです。

──実際に武道館ライブなどを成功させていますし、会場内の盛り上がりは本当にすごいレベルでした。行けるという手ごたえは、どこで感じられたんですか?

馬場:
 それこそ2005年の『I’ve in BUDOKAN 2005 〜Open the Birth Gate〜』で武道館公演を成功させたときですよ。
 もちろん「いけるんやないかな」という見込みはありましたが、その一方で武道館という大箱ですから「どうなるやら」という想いもありました。でも、当日のお客さんの盛り上がり方を見て、「このジャンルの音楽、いけるぜ」と確信しましたね。

──当日までは確信は持てていなかったというのは驚きです。

馬場:
 僕は事業家なので、いろんなことに手を出すんです。
 その中で残るものと消えていくものがあるわけで、結果としていいものが残っていくわけです。だからチャンス、きっかけは逃さない。「これ、やりませんか?」という話があれば、できるだけ前向きに取り組んでいくという姿勢は、他の社長さんたちと同じように持っています。

直接ファンと交流できる──イベントの最前線にいる理由

──イベントと言えばコミケ。毎年冬に参加されていますが、実は参加自体はそこまで早くないんですよね。

馬場:
 2002年ですね。そもそも企業ブースも初期にはなかったですよね。できた理由はコミケット準備会さんの戦略ですよね。
 企業の二次版権で盛り上がっている同人を快く思っていない企業もいる中で、ならば巻き込んでしまおう、と。ビジュアルアーツは最初静観していたんですが、そこにうまく乗っていったのがLeafさんで、「ゆりかもめの駅まで二往復の列を作った」とか伝説を生んだ。僕はそれの真似をしただけです。

──とはいえ、あれだけの人気ブースで、社長自ら列整理をするというのは、なかなかできないことだと思います。

馬場:
 僕は何事も自分の目で見て判断する主義。だからコミケにも自分で行き、お客さんの顔を見る。そうする中で、「コミケは参加する価値があるな」と判断できるんです。

──確かに直接ファンと接するというのは価値があることだと思います。

馬場:
 実はビジュアルアーツとして大会場型イベントに最初に参加したのはコミケではなく、『Kanon』発売の3カ月後くらいに開催された大阪OMMビルでの企業イベントなんです。
 その時に待機列が会場を2周して、持っていったサントラCDが10分で完売したんです。その時にイベントでグッズを販売するというのは成立するんだな、と判断したんです。それでコミケも出てみよう、と。
 ただ、うちはKeyだけで出展するわけにはいかない。ビジュアルアーツとしての出展方法──大きなブースを借りて、各ブランドのグッズを用意して販売するという方法を調整するのに1年かかりました。

──先ほども伺いましたが、コミケでは毎年ファンの方と直接お話をされていますよね。

馬場:
 コミケはもちろんですけど、KSLライブのような場所でも、できるだけお客さんと交流するようにはしています。実際にお客さんの顔を見て、話をする。そのことで得られること、学べることは多いんです。
 日本橋や秋葉原でゲームを買ってくれている人の声を流通会社を通して耳にしても、本音は聞こえてこない。ネットやツイッターも本音のようでじつは過激な悪口しか目立たない。でも現実はその中間にある。

 そんな中で、どんな人が自分のお客さんかわからないのはマズいって考えていたときにOMMビルでのイベントがあった。コミケにも参加することになった。そこでお客さんと触れ合うことで、どんなことを考えているのか知ることができる。これは大きいんですよ。だから今でも続けているんです。

──具体的に、どういったことを聞くのでしょうか?

馬場:
 お客さんの興味を持っていることですね。「あの作品は、いつでるんですか」とか「この作品のこのCGがよかったです」とか。ゲームの感想とか、作っている側が意識していなかったことを言ってもらえたりもするわけです。
 視聴率調査のように何人かの意見をかいつまんで聞いていると、全体像が見えてくるじゃないですか。だからイベントで話を聞くことは大事だなって思います。

──それはアンケートはがきとかネットアンケートのような定量調査では得られない情報なんでしょうか。

馬場:
 アタマのいいひとは、そうするんじゃないかな。定量調査で情報を得て、ビジネスに上手に反映させる。でも、僕はばかだからそれだと魂が揺さぶられない。言葉の持つ熱さを感じることで、「ああ、これはやってあげなきゃな」って思うこともあるわけですよ。
 で、民間企業だから社長がどう思うかによって会社は変わるし、社員も変わっていく。それがあるから、イベントスタッフは必ず社員を連れて行くんです。業者に頼んだらなんにも残らない。

──直接お客さんの顔を見る機会を作るわけですね。

馬場:
 うちみたいな会社は、感情的な人間が多いんですよ。「こんな数字が出ているよ」と見せてもピンとこない。そもそも僕がピンとこない(笑)。でも、コミケで長時間並んでいるのに、目をキラキラさせながらグッズを買っていってくれるファンを見れば、やはり何かを感じるんですよ。

「読む」のではなく「会う」「聞く」で情報収集

──お話を伺っていると、「人と会う」ことをとても大切にされているように思えます。

馬場:
 そうですね。調べることがあっても、詳しい人と何人か会って話を聞くことの方が、自分が得るものは多いかもしれませんね。
 これが面白いもので、趣味で調べごとをするときってネットとか本が早いんですよ。でも、ビジネスのことや「社長業とは何か」みたいなことって、少しならネットや本にもありますが、結局本当にほしい情報は書いていないんです。いろんな人と話したほうが、大切なことを知ることができます。

──確かに誰かについての情報を得ようと思った時、その人が書いた本を読むより、直接お会いしてインタビューしたほうが、より理解が深まることが多いですね。これはなぜだと思いますか?

馬場:
 本から得たモノでは魂に届かないのですかね?その人の表情、一緒にいる時間、伝わってくる熱量……そういうニュアンスのようなものが伝わってこないからかもしれません。
 それと、やはり本やネットだとかけることと書けないことがあるじゃないですか。でも、しゃべっていると、つい書けないことを言ったりしますよね(笑)。

──そういう、情報に詳しい人は、どのように探されているんですか?

馬場:
 そこもやっぱり「人に聞く」ですね。たとえばソシャゲーを調べなければいけない時には、「ソシャゲーってどこで調べればいいの?」って聞いていく。

──その意味では、馬場社長がツイッターに積極的に取り組まれているのも、情報集めという意味があるのでしょうか?

馬場:
 え?ツイッターに力を入れていたのは、ずいぶん前までですよ。最近は『情熱大陸』見ての感想ツイートくらい(笑)。
 まあね、ネットはもはや本音の世界ではないんですよ。公共性が出てきてしまったから、建前の世界になっている。社長とか芸能人なんて、もうなにもネットで本音は言えない。だからどうしても熱が入らないんです。

──そんな中で馬場さんは、どういったところでひとの本音を触れ合うようにしているのでしょう。

馬場:
 ツイッターだと、僕は最近いかにやんわりと本音を伝えるか頑張ってます。きついことを、ちゃんとオブラートに包んで、でもしっかり読めば伝わるようにする。同じように、他の人の書き込みにも、なんとか本音をくみとろうとします。
 あとは……LINEですね。できるだけ多くの人、面白そうな人といろいろやり取りをするようにしています。ただ、情報を得たいからと言ってやたら同じことを大人数にばらまくのは嫌われるので、気をつけていますが。

──LINEは本音が出ますか?

馬場:
 他のツールよりも人間関係が出ますよね。僕、ネットでは自分の発信に縛りをつけているんですよ。「皮肉と当てこすりは禁止」……もちろんLINEでも同じです。LINEはスクリーンショットをいつ公開されても恥ずかしくないようなやり取りをしないと(笑)。

──お話を伺っていると、馬場社長がニュアンスというものも含めて、様々な人から情報を集めて、ビジネスチャンスを得て、判断されているということが伝わってきます。

馬場:
 僕はばかなので(笑)。ビッグデータってなんですか状態。しかも、僕は情報をもらっても、すぐに回答を出せないんですよ。いくつかの情報が頭の中にストックされていって、何かのテーマを考えているときに、そのストックされた情報が繋がって、「こうすればいいんじゃない?」というのがやっと出てくる。ええ、まさにポコンと出てくる感じ。
 問題意識は常に持っているんで、それがあるときに、ふと出てくる。結局ひらめきみたいなもので、あまり論理的に結論を出しているわけじゃないんですよね。

「IP(原作版権)」を創り「ムーブメント」をおこす会社に──令和のビジュアルアーツ

──今後のビジュアルアーツについてもお話を伺っていきたいと思いますが、18禁ゲームから始まったビジュアルアーツが一般ゲーム作品をリリースし、ソーシャルゲームやアニメ原作など、様々なジャンルに進出しています。今後の展開として、どのような方向を目指されているのでしょう?

馬場:
 まずひとつ言えるのが、「パッケージのPCエロゲーは、ビジネスとしてもう終わり」ということ。なので、それ以外を考えるのは当然ですよね。私が今やろうと考えているのは、IP、つまり知的財産としての原作版権を作るということですね。

──それは『Angel Beats!』【※】のような展開ということでしょうか?

※Angel Beats!……P.A.WORKS制作による日本のオリジナルテレビアニメ作品。2010年4月2日から 6月25日まで放映された。原作をビジュアルアーツ、脚本に麻枝准が参加している。
(画像はAngel Beats!-1st beat-より)

馬場:
 私にとって『Angel Beats!』はエポックな出来事だったんです。それまでは『Kanon』にしても『AIR』にしても『CLANNAD』にしても、ゲームを作って、それを原作としてアニメ化しました。
 ところが『Angel Beats!』は麻枝准にシナリオをやってほしいというオファーがアニプレックスさんからあって、麻枝も受けたい、と言う。となれば、これを前向きなビジネスにしていくにはどうしたらいいか……そこで思いついたのが「『Angel Beats!』というゲームはある!」という認識を持つことでした。

(画像はCLANNAD|Key Official HomePageより)

──『Angel Beats!』のPCゲームはアニメの後でしたよね。

馬場:
 はい。しかしアニメ原作を創るというのは大変な作業です。単にシナリオだけでなくて、キャラクターや世界観をつくり、声優さんを決めて、主題歌もつくる。それはもはやゲームをつくるのと何ら変わらない作業ですから、単にシナリオやキャラデザを頼まれた、という認識では問題があるだろうと思ったわけです。
 そこで僕らの頭の中に、麻枝准の頭の中に「『Angel Beats!』という原作ゲームはあるものと前提して、契約書を作ってください」、とお願いしました。つまり原作としての『Angel Beats!』を麻枝がつくり、その原作権はビジュアルアーツが持つ、ということですね。
 なので、「アニメ『Angel Beats!』も、原作『Angel Beats!』の版権許諾作品です」となるわけですね。

──なるほど、原作権をビジュアルアーツが持つ契約ということですね。

馬場:
 そうそう。物語という原作がまずあって、そこからキャラクターやシナリオ、音楽が生まれ、アニメ作品になっていく。
 もちろんアニメに際しては監督さんがいて、アニメ演出というすごい経験と才能でもってアニメ作品にしていくわけですけど、原作だって重要な起点じゃないかと思うんです。そこがしっかりしないと二期三期でブレたりもするし、作品としての最終到達点みたいなものをめざせなくなる。コンテンツが無数にある今だからこそ、原作をしっかり創るという概念があってもいい。
 だから「原作:ビジュアルアーツ」という契約にしてくれ、という話でまとめました。

──新しい契約形態ですし、ビジネスモデルでもありますね。ただ、アニプレックス側としては、IPを持てないというのはリスクを伴う契約だと思いますが、どこにメリットを感じられたのでしょう。

馬場:
 そこはアニプレさんの度量のおかげとしか(笑)。ただもちろんアニメとしての版権、IPはアニプレさんのものですよ。うちはあくまで原作とシナリオと音楽だけですから。
 怖いのは作ったコンテンツの評価ですよね。「ビジュアルアーツがめちゃくちゃわがままな契約を言ってきて、腹立つこともあったけど、出来上がったものは売れたよねえ」「音楽もめちゃくちゃ売れたよねえ」ってならないことには成立しない(笑)。そのために、僕らも頑張っていい原作を作らなければいけないわけですけどね。

 ただ、それはこれまで原作となったゲームを作るのと一緒です。世界観やキャラクター、物語や音楽は麻枝らクリエイターが作るわけですし、全体としてチームビジュアルアーツが責任を持つわけですからね。

──ネットTVやゲームなどでも同様なのですが、最近は出資元ではなくデベロッパー側に権利が残るような契約でないと成立しないケースが増えています。これは世の中の流れなのでしょうか?

馬場:
 そうだと思いますね。出資者や制作会社は過去をふりかえらずどんどん次の作品をつくる。一方開発会社はゆっくり何年もかけてコンテンツを展開発展させていく、というのはそれぞれの会社の性格上正しいような気がしますよ。
 アニメ制作会社は売れるアニメをつくり、僕らはその版権で二次創作したりグッズなどを展開する。もちろん、この過程でアニメ製作委員会にも利益はちゃんと還元する。で、お互いWin-Winになれる。
 
原作会社が権利を有効に活用することで、アニメ会社もゲームメーカーも、みんなが利益を最大化させる。全部を自分だけでやろうとするのは、結構大変ですよ。

──例えば今後『Angel Beats!』のアニメを様々な形態で配信しようとも、その権利はアニプレックスにある?

馬場:
 当然そうですよ(笑)。アニメ『Angel Beats!』はアニプレックスさんと監督、そして製作委員会のものですから。

パッケージゲームへのこだわりも、原作者であり続けるために

──そういう新たな取り組みを行なわれていながら、と言うのも変ですが、昨年『Summer Pockets』というゲームをパッケージ商品としてリリースされました。これは昨年のPCゲームを代表するヒット作となったのですが、なぜパッケージ発売にこだわったのでしょう?

馬場:
 それはもう、PCゲームというビジュアルノベルでしか味わえない感動があるからですよ。

──具体的には、どういうことなんでしょう?

馬場:
 キミがいまさら聞く!?(爆笑)

──いやいや、馬場さんのお話を初めて見聞きする人もいるわけですから(笑)。

馬場:
 自分がその世界の中に本当に存在して、女の子と会って会話している感じ。つまりは感情移入。でも、これはビジュアルノベルで感動した経験のある人にしか、わからないものかもしれませんね。

──わかります!

馬場:
 自分が世界の主役になっていると実感できるメディアってゲームしかないんですよ。だからいまだにPCゲームのファンがいるわけです……買っているかどうかは、わからんけどね(笑)。
 自分が世界の中を動き回って女の子と出会って会話をする。関係性を作った女の子と試練を一緒に乗り越えて感動する。アニメでも小説でも、この体験はできないんですよ。PCゲームにだけ、それがあるんです。これが僕が『Kanon』で学んだことでしたけどね。

──『Kanon』での気づきが、19年後の『Summer Pockets』まで続いているんですね。

馬場:
 もちろん『Kanon』の前から気づいているスタッフはいました。熱く語っていましたけど、僕は当時、ぽかーんと聞いていただけ(笑)。でも『Kanon』で「これのことか!」って。
 話を戻しますが、「僕らはなんで集まってチームとして作品作りをしているか」と言えば、チームでしか作れないものを作っているから、なんですね。シナリオライター、イラストレーター、プログラマー、音楽家と、様々な個性が集まってものづくりをしている。

 これを続けていくには、求心力が必要で、その求心力は何かといえば、やはりゲーム作品なんです。だからPCゲームは終わりなんだけど、僕らは作り続けなければならない。そうして作ったものが求心力になるから、「あそこに原作を任せよう」ということにもなるんです。

──ビジュアルアーツの核には、やはりPCゲームが必要なんですね。

馬場:
 今は売れないけどね。だから修行みたいなものなんですよ。みんなで集まって、苦しい思いをしてPCゲームを作る。もう少しかかるね、PCゲームがなくても求心力を持てるようになるまでに。多分あと数年かかる。

──馬場さんとしては、PCゲームというフォーマットからは離れたいと思っているんですか?

馬場:
 自社でPCゲーム以外も作っていますよ。PCゲーム最大の問題点は「長すぎる」ということです。もはや40時間もかけてゲームをプレイすることを、世の中は許してくれない。40時間かかるから表現できるものもあるんだけど……。
 そこは紆余曲折、試行錯誤ですね。アニメという形がいいのか、もう少しビジュアルノベルで頑張るのか。

──例えば馬場さんが求められてきた「感動のスイッチ」「泣きのスイッチ」というものなんですが、スマホゲームなどに移行するのかな?とも思いましたが、そうはなっていない現状がありますよね。

馬場:
 スマホの画面じゃ、何十時間も読めない。だからどうしてもPCや据え置きゲーム機になるんです。実はNintendo Switchに期待したんですけど、あっちも携帯ゲームの方に舵を切りましたしね。

──Steamでの海外展開などはどうなのでしょう?

馬場:
 Steamではよく売れています。皆さんが思っているより、桁が多いでしょうね。
 ただ、嗜好品としては、クラシック音楽みたいなもんなんですよ。ファンを選ぶ。好きなのは全ユーザーの2%くらい、とか。だからそれだけでビジネスを成立させるのは難しい時代になっているんです。もちろん、それを理解した上で、可能な限りグローバル化を目指してはいきます。

 実際に美少女ゲーム業界でうまく回っているところは、それ以外にも基盤を持てているところでしょう。ビジュアルアーツもゲーム制作・販売だけでなく、グッズの制作・販売や音楽ライブイベントなど、いろいろ手掛けていますから。そこは時代の流れでもありますよね。

──そのような時代の流れですが、令和のビジュアルアーツの展望をお聞かせください。

馬場:
 「あらゆるメディアで原作を持つ」というところでしょうね。
 もちろんPCゲームやソーシャルゲームといったジャンルでは、原作だけでなくゲーム制作を行なっていきます。しかし、最も得意とする原作という部分で、様々なメディアに提供していくことになるでしょう。原作というのは世界観、シナリオ、キャラクター、音楽などすべてをパッケージしたものですね。

──バラバラではうまくいかないですか?

馬場:
 その場合、まとめる人──アニメの場合なら監督ですね、その人の力量次第になります。ただ、やはり一人の人間が作れるものには限界があるんです。ディズニーを見ていても、そうですよね。だからチームで、よりクオリティーの高い原作を作っていく。今後はそういう時代になっていくと思います。
 ひとりの才能が生み出すクリエイティブというのは尊いです。尊いですが、量産はできない。

──とはいえ、ビジュアルアーツも28年間続く中で、強いチームを作れるだけの個性が集まってきている。その強さというのはありますよね。

馬場:
 そうですね。一番大事なのは「何を作るべきか」という価値観の共有。
 たとえば一流のクリエイターを日本中から集めてくればいいものが作れるのかといえば、そんなことはないでしょ? 作品を作るためにだれが責任をもってまとめていくか。
 それを個人だけに任せると、多大な消耗という結果になってしまうから、そこを会社が請け負っていくということですね。そのために必要なのが、会社としての価値観の共有なんです。

──馬場さん個人として、今後やってみたいことはありますか?

馬場:
 まあ、個人としても、いい原作が作れればってことかなあ。
 あとは次世代の育成ですね。今やっているところ。ただまあ、難しいですよ。帝王学──社長しかしてはいけない考え方ってあるんですけど、それができるか。
 それとメンタルね。孤独に強いこと。話をしていると、メンタルの強い弱いはすぐわかる。強そうなことを言っていても、自分に言い訳が出るんですよ。「誰が何と言おうと、自分は自分の考えで行きます」とか、そういう考え方をする時点ですでにメンタルが弱い。本当に強い奴はそんな考え方もせず、「当然でしょ」みたいな感じだよね(笑)。

──難しそうですね。

馬場:
 まあ、そのあたりはいいじゃない(笑)。
 とりあえず令和のビジュアルアーツは、素晴らしい原作を作り、それを出来るだけ多くの、できれば世界中のユーザーに、愛されるコンテンツとして頒布していきます。期待していてください。

──はい。次の作品をお待ちしています。(了)


ビジュアルアーツ公式サイトはこちら

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取材・書き手
今俊郎
1998年、美少女ゲーム業界新聞「PC NEWS」編集部へ。以降、経営者やシナリオライター、原画家、声優、シンガーなどなど美少女ゲーム関係者のインタビューをとりつづけて20年以上。現在は美少女ゲーム紹介ウェブ番組『電脳妄想開発室』の企画・制作も担当。
Twitter:@kontoshi
取材・書き手
黛宏和
株式会社パラダイムに1994年から所属し、美少女ゲーム情報誌や原画集の製作に参加。美少女ゲームのノベライズレーベル「パラダイムノベルス」(1996年創刊)にも初期から関わる。現在は「ぷちぱら文庫」「ぷちぱら文庫 Creative」「オトナ文庫」「キングノベルス」を担当しつつ、過去の人気作品の電子書籍化も積極的に進めている。
Twitter:@zumimayu
監修・聞き手
TAITAI
電ファミニコゲーマー編集長、およびニコニコニュース編集長。
元々は、ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長として、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、同サイトの設計、企画立案などサイトの運営全般に携わる。4Gamer時代は、対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」などの人気コーナーを担当。本サイトの方でも、主に「ゲームの企画書」など、いわゆる読み物系やインタビューものを担当している。
Twitter:@TAITAI999

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