「高倉健のすべてを知る男」“伝説のビームスOB”に会いに行った話

11月11日(月)18時30分 文春オンライン


発売とともに、業界内外を騒がしている異色の コラボ増刊「ビームス×週刊文春」 。ビームスと各界著名人の秘話を追った特集「大型ワイド ビームス人秘録」から高倉健のエピソードをご紹介!



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 かつてビームスには、高倉健が頼りにする販売員がいた——ビームス草創期を彩る伝説のひとつである。真偽のほどを確かめるべく、調査を開始。しばらくすると、ある人物が浮上する。登地勝志氏(64)。現役のスタイリストでもある。




鎌倉・光明寺に建立された健さんの墓碑と登地氏


「ビームスにいた時の話をということなので、当時と同じような格好で来ました。あの頃は原宿の一号店に、ビームスFも入っていて。私はFの販売員として、デザイナーズブランドから1981年に転職してきたんです」


 登地氏はにこやかに語る。髪はロマンスグレーのクルーカット。背が高く、スラリとした体格に、カーキのコットンスーツと黒のニットタイが映えていた。


 話に出た一号店とは、現在は「ビームス 原宿」と呼ばれる店のこと。明治通り沿いにあるこの場所が仕事場だった。当時の界隈は現在の喧騒とはほど遠く、洒落者がのんびり買い物を楽しむような余裕があった。


「今ほど道路事情も厳しくなかったので、店の前に車を駐めて、買い物をするお客さんも多かったんです。(高倉)健さんもそんなふうにフラリとお越しになりました。平均すると、月に1、2度ほどですかね」



「防寒を80着用意して欲しい」


 入社して間もなくは、上司が接客を担当。しばらく後に、それを引き継いだ。無類の映画好きだし、とくに健さんは学生時代からのファンであったが、無闇に映画のことを尋ねたりはしない。話すのはあくまで服のことだけだった。


「なぜでしょう。当時の店はそんな雰囲気があったんです。まずはしっかり服のことを話したい、というようなね。健さんはお洒落で、服にも詳しかったので、あれこれ説明する必要もありませんでしたけど。ただ会話の中では『あの映画ではこんな服を』というような話にもなりますから。そこで『この人は映画を見てくれてるんだ』とは、思ってもらえたのかもしれません」



 販売のプロとしての姿勢、あるいは心地よい距離感によるものか。いずれにしても、登地氏と健さんとの関係はその後、長く築かれていった。思い出はたくさんあるが、中でも記憶に残っているのは『ミスターベースボール』というハリウッド映画のロケでのこと。


「明治神宮球場でナイターの撮影をしていたんです。10月でしたが、急に寒くなり、健さんから電話がありました。『スタッフに贈りたいので、防寒を80着用意して欲しい』とね。クルーにはアメリカ人も多いので、大きなサイズが必要。店の在庫では足りないので、N-3Bという軍モノのコートを扱う商社に電話して、用意したことがありました。今じゃダメだろうけど、急いでいたので、商品部もとばしまして(笑)」


 なかなかできることではない。過分なトークやサービスはせず。されど求められれば直ちに応じる仕事人。なるほど、名優・高倉健も頼りにするわけである。過去にはこんな逸話も。


 映画『007』の公開後、登地氏はジャケットの下にホルスターを装着し、ワルサーPPK(ジェームズ・ボンドが使用していた拳銃)のモデルガンを携帯して出勤。そのまま接客したとか。


「好きですから。やりたくなってしまったんです」


 好きならば、真っ直ぐに行動する。それもいい意味で“不器用”ということかもしれない。




(田口 悟史/文春ムック 週刊文春が迫る、BEAMSの世界。)

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