死刑判決の筧千佐子被告 証拠となった通話のやり取り

11月15日(水)16時0分 NEWSポストセブン

筧被告には死刑判決が下された(写真:共同通信社)

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 次々に夫や恋人が死んでいく──逮捕された女は“後妻業”や“毒婦”と呼ばれ、ついに裁判では極刑を言い渡されたが、事件はいまだ多くの謎を残したままだ。一見して“関西のおしゃべり好きなオバちゃん”は、なぜ戦後史に残る殺人事件を起こしたのか。約3年前の事件発覚時から独自取材を重ねてきたノンフィクションライター・小野一光氏が、法廷で明かされた新事実とともに解き明かす。


 * * *

「すいません。私、耳が遠いんで、もっと大きな声で言ってください」


 そう言った後に起立した筧千佐子(70)に対し、裁判長は少し語気を強めて言い渡した。


「主文、被告人を死刑に処する」


 千佐子は証言台で前を見つめたまま、表情を変えることはなかった。


 6月26日の初公判から11月7日の判決まで135日間。のべ38回にわたって開かれた裁判員制度開始以来2番目に長い裁判は、こうして幕を閉じた。


 交際あるいは結婚した高齢男性に対して、青酸化合物を服用させたとして、3件の殺人と1件の強盗殺人未遂罪が争われた。被害者は京都府の筧勇夫さん(75)、大阪府の本田正徳さん(71)、兵庫県の末広利明さん(79)、兵庫県の日置稔さん(75)で、起訴された4事件のいずれも有罪と認定された。


 千佐子の周囲では、被害者の4人を含む10人以上の男性が、彼女と結婚や交際をしてから間もなく死亡。千佐子が故人の資産を相続していたことから、“後妻業”事件としてマスコミに大きく取り上げられた。


 法廷で千佐子の証言は二転三転した。犯行を認めたかと思えば、「私は老人性痴呆症で1週間前のことも思い出せない」と自身の証言に信憑性がないことを訴えるなど、大きく揺れ動く。


 それでも死刑判決となった背景にあるのは、青酸中毒で死亡した被害者たちに“毒を盛った”のが千佐子しかいないと思える数々の“状況証拠”だった。


 法廷では検察が入手した事件当時の千佐子の音声データが流された。その生々しいやりとりの様子は衝撃的なものだ。


 2013年12月28日の夜に筧さんが倒れた時、千佐子は始終落ち着いた声でこう119番通報していた。


「倒れているんです。冷たいんです。生ぬるいというか、あったかい。手で触ったんですけど、息をしていないように思います」


 消防本部の指令員がすぐに心臓マッサージを促すと、彼女は変わらずおっとりと返す。


「わたし的にはね、冷たいというんですか……」


 倒れた夫を心配する様子も焦った様子も窺えない。別の通話録音データも証拠として提出された。


 2012年3月9日、千佐子と会った後に本田さんがバイク運転中に倒れ死亡が確認されると、その約5時間後に彼女は開錠業者に電話をかけていた。筧さんが倒れた時とは対照的に、急かすように本田家の金庫を開けてほしいと依頼する声が残っていた。


「あのッ、超特急指定とかないんですかッ?」


 すでに営業時間外だったため、業者は翌日の午前8時以降に電話するよう答えると、待ちきれない様子で彼女は続ける。


「アバウトでいちばん早いのはいつ頃になります?」


 交際相手が亡くなってすぐの対応としては、不自然だと検察側は強調した。


 さらに法廷では、苛立った彼女が、年若い女性裁判員に食ってかかる姿を見せることもあった。9月26日に開かれた被告人質問でのことだ。裁判員から筧さんの遺族に対して申し訳ないとの気持ちはないかと問われた彼女は、こう返した。


「反省してない、してるの問題じゃないでしょ! そんな少女ドラマみたいなこと言わないですよ! 失礼です。あなたのお母さん、おばあさんの年ですよ。失礼です!」


 それは千佐子のプライドの高さと、内に秘めた烈しさを象徴するかのような苛立ちの言葉だった。

(文中一部敬称略)


●おの・いっこう/1966年福岡県北九州市生まれ。「戦場から風俗まで」をテーマに北九州監禁殺人事件、アフガニスタン内戦、東日本大震災などを取材し、週刊誌や月刊誌を中心に執筆。著作に『震災風俗嬢』(太田出版)、『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)などがある。


※週刊ポスト2017年11月24日号

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