「ただのおじさん」城島茂49歳に TOKIOのリーダーになった「意外な理由」とは

11月17日(日)11時0分 文春オンライン

 ここ数年、ジャニーズ事務所の世代交代が著しい。2016年のSMAPの解散に始まり、昨年から今年にかけては滝沢秀明が引退して関連会社の社長となり、さらにジャニーズ事務所の副社長にも就任。これと前後して今年1月には、嵐が来年末をもって活動休止すると発表した。先ごろ出場歌手が発表された今年の大晦日の紅白歌合戦では、ジャニーズ勢からは11回目の出場となる嵐(メンバーのうち櫻井翔が白組司会を務める)のほか、出場8回目の関ジャニ∞、3回目のHey!Say!JUMP、2回目のKing&Princeに加え、Kis-My-Ft2が初出場を決めた。関ジャニ∞はすでにベテランの風格が漂い、Hey!Say!JUMP、キンプリ、キスマイも、その地位を盤石のものとしつつあるようだ。


 そのなかにあって、今年でデビュー25周年を迎えたTOKIOは、昨年5月に山口達也が不祥事でグループを脱退して激震が走ったが、ここへ来てリーダーの城島茂が今年9月にグラビアアイドルの菊池梨沙との結婚を発表、来春には第1子が出産予定とも報告し、久々に明るい話題で注目された。きょう11月17日は城島の49歳の誕生日である。



49歳の誕生日を迎えたTOKIO城島茂 ©文藝春秋


光GENJIのバックダンサーから「城島茂バンド」結成まで


 1970年生まれの城島は、先にブレイクした光GENJIの諸星和己や佐藤寛之と同い年ということになる。千葉県生まれの奈良県育ち。1985年、テレビで見た少年隊に魅入られ、芸能界こそ進むべき道だと思い立ち、ジャニーズ事務所に履歴書を送った。当時のジャニー喜多川社長の面接を経て、翌年、高校1年で入所する。やがて光GENJIのバックダンサーグループとして結成された「平家派」に所属しながら、テレビにも出演し始めた。


 もっとも、肝心のダンスは苦手だった。その代わり、高校時代、同級生に誘われて文化祭でバンドを組んだときに必死に練習したおかげで、ギターは弾けた。ちょうどそのころ、ベースを弾けるという山口達也と出会い、2人で「城島茂バンド」を結成、光GENJIのバックを担当する。ただし、バックミュージシャンとしての仕事はあまりなかった。



リーダーになったのは最年長だから……ではない


 城島茂バンドは、彼が20歳になるかならないころに、外国でもすぐ日本のバンドとわかるようにと「TOKIO BAND」と改称、松岡昌宏がドラマーとして参加する。さらに城島とミュージカルで共演した国分太一がキーボードを操れるというので、当然のごとくバンドに誘った。最後に、まだ中学生だった長瀬智也が加わり、当初はタンバリン、のちにギターとボーカルを担当するようになる。この間、1990年にグループ名を現在のTOKIOに改め、1994年、シングル「LOVE YOU ONLY」をリリースし、CDデビューを果たした。


 城島はTOKIOのリーダーである。てっきり最年長だから自然とその任に就いたのかと思いきや、そうではないらしい。きっかけは、ロケバスのなかで弁当をめぐって争っていたところ、同乗していた少年隊の植草克秀から「君たち騒々しいぞ。リーダーは誰なんだ? ちゃんと仕切らなきゃダメじゃないか」と叱られたことだった。それから議論した結果、一番民主的な方法で指導者を選ぶことになる。その方法とは、じゃんけんだった。城島はグーを出して負けて、リーダーに選ばれる。その途端、怒られるのはもっぱら彼の役目になった。これではかなわないと、メンバーに日替わり制を提案するも一蹴される。あきらめて、逆に職務をまっとうしようと思い直すと、出演番組は録画してメンバーの表情やセリフ回し、動きをチェック、ステージ衣装や演奏の曲順、アレンジにも口を出した。まだ専属のマネージャーがいなかったこともあり、スタジオの予約や食事の手配もこなしたという(※1)。だが、その後、メンバーが成長し、自主的に動くようになると、城島がそこまでやる必要はなくなった。それでも「リーダー」は彼の代名詞として、ファンのあいだにも定着している。



「仮にも城島はアイドルTOKIOのリーダーですよ」反対した企画


 現在も続くTOKIOの人気番組『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ)は1995年、深夜枠で始まった(当初は頭の「ザ!」はつかなかった)。同年にはSMAPもやはり深夜番組の『SMAPのがんばりましょう』(フジテレビ)でメインを務め、これが翌年、月曜プライムタイムの『SMAP×SMAP』へと発展する。『SMAP×SMAP』が、トークにコントに音楽にと徹底的につくりこまれたバラエティ番組だったのに対し、『鉄腕!DASH!!』は当初よりTOKIOのメンバーがさまざまなことに挑む様子を追うドキュメンタリー形式をとった。放送2年目には、城島が番組の企画でクレーンの運転免許を取得している。2つの番組からは、グループおよび局のカラーの違いが見てとれて興味深い。なお、『鉄腕!DASH!!』が現在の日曜ゴールデンに移動したのは、1998年4月である。



 クレーンの免許を取るという企画が持ち上がったとき、城島は「仮にも城島はアイドルグループTOKIOのリーダーですよ!」と語気強く反対したという(※1)。しかし『鉄腕!DASH!!』を続けるうちに、体を張って何かに挑戦することこそTOKIOのスタイルだと、メンバーも世間も認めるようになった。2017年にメンバーそろってインタビューに応えた際には、畑や無人島を切り拓いたりといった番組での活動を踏まえ、松岡昌宏が《俺たち、アイドルはとっくに卒業してますから》と述べつつも、リーダーについては《あ、でも城島さんは永遠のアイドルです(笑)》と冗談めかして付け加えた(※2)。同じインタビューでは、長瀬智也も《「ザ!鉄腕!DASH!!」を見てると、リーダーなんか「ただのおじさん」に見えるときもあるんだけど(笑)、でもそれがすごい。そこまでさらけ出せるってなかなかじゃないですか》と城島の魅力に言及している(※2)。「ただのおじさん」にして「永遠のアイドル」。そんな存在は、城島茂以外にいないだろう。



「私もそんな親になるからね」10年以上前の思い


 城島は2003年より、ジャニーズ事務所の公式携帯サイト「Johnny's web」で「ココロの日曜日」という連載を持ち、毎週日曜、自らの人生経験を踏まえた筆書きによる詩を発表している。2011年には連載からテーマごとに詩を選んでまとめた『ココロの日曜日』全3冊を刊行した。同書を読むと、人生について語ってもけっして説教臭くならない、彼の優しさが伝わってくる。それでいて内容はときに深い。たとえば、「山を目指すキミへ」と題する2007年10月7日付の詩は、《頂に立ち 降り行く先が 真の旅》というものであった(※3)。アイドルとしてトップに立ちながらも、城島は「降り行く先」まで考えていることに驚かされる。


 2008年4月13日付の「歴史」と題する詩は、《あなた笑む その目の際に 私への無償の 愛を感じた 私もそんな 親に なるからね》と、現在の城島を予見するかのようだ(※4)。自分の親の笑顔を見ながら、自らもそうありたいという思いからつづったのだろう。50歳を前にして伴侶を得た彼は、まもなくそれを実現する日を迎えようとしている。たとえ多くを語らなくとも、農作業に汗を流し、グループのことを常に考える「永遠のアイドル」にして「ただのおじさん」の姿を見れば、生まれ来る子供もきっと何かしら学んで育っていくに違いない。


※1 城島茂『美男の国から』(マガジンハウス、2000年)

※2 『週刊朝日』2017年8月18・25日号

※3 城島茂『ココロの日曜日 がんばる人へ』(エム。シィオー。、2011年)

※4 城島茂『ココロの日曜日 愛について』(エム。シィオー。、2011年)



(近藤 正高)

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