松平健 勝新太郎の教えは「一つの役を五人で演じろ」

11月17日(木)7時0分 NEWSポストセブン

駆け出し時代の思い出を語る松平健

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 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、松平健が、駆け出しのころに勝新太郎の付き人をしていた当時の思い出を語った言葉からお届けする。


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 松平健は高校卒業を待たずに上京、劇団員を経て、1974年に時代劇スター・勝新太郎の付き人になる。当時の勝は自ら「勝プロダクション」を設立し、フジテレビで『座頭市物語』を製作する一方、芸能マネジメント業もしていた。


「映画の世界には憧れがありました。特に日活のアクション映画が好きでしたから、石原裕次郎さんのようになりたかった。


 それで、裕次郎さんの家を訪ねたんです。落語家になりたい人が師匠の門を叩くことの真似といいますか。でも、弟子入りは叶いませんでした。それで、ある劇団の養成所のオーディションを受けて合格しました。


 そこで人前で演じる楽しさを知りました。笑ってくれたりする、お客様の反応が面白くて。劇団を通じて時代劇のエキストラに出演するようになりましたが、アクションものに憧れていましたから、いつかはそっちに出たいと思っていたんです。


 時代劇の所作はその時に身につけています。劇団が若駒という殺陣のグループと関係があったので、殺陣を教えにきてくれていましたし、その時に『馬も覚えた方がいい』と言われて乗馬クラブにも通いました。日本舞踊も稽古の中にありましたね。


 劇団では年に二回自主公演があり、その脚本を『座頭市』を書かれた直居欽哉先生が書かれていた。主役を僕がやることになったんですが、そこで直居先生が勝プロのプロデューサーを連れてこられたんですよ。それで舞台が終わった時に『勝に会ってみないか』と言われまして。びっくりすると同時に嬉しかった。『今度はプロの世界で仕事をいただける』と思いましたから」


『座頭市物語』は大映京都撮影所で撮影していた。松平はそこで勝の仕事を間近に見て勉強することになる。当時の勝は役者だけでなく監督もしていた。


「勝先生にはフジテレビの控え室でお会いしました。僕をジッと見た後『お前、京都に来れるか』といきなり言われて。こちらとしては役をもらえると思っていました。でも、違った。


 京都に行ってみたら勝先生は撮影を中断してカメラテストをしてくれました。『カメラの前に立って、今から俺の言う芝居をやってみろ』と。その後は、『しばらく俺の側で現場を見てろ』と言われたので、そうしました。


 先生としては『俺やゲストの芝居を見て勉強しろ』という意図だったんだと思います。『引き出しの多い奴の勝ちだ。そのためには、いろんなものに興味をもって、いろんなものを見ておけ』と言われていましたから。


 ある時は、『一つの役を五人の役者で演じてみろ』と指示されたことがあります。『この役者が演じたら、この役はこうなる』というのを五人分。『お前の好きな歌手でもなんでもいい。その五人の中で気に入ったやつでやってみろ。芝居は、まずは真似からだ』ということでした。


 勝先生には半年付いていました。ホテルもとってくれまして。勉強にはなりましたが、でも結局は、役がもらえないんですよね。ですから、仕事がない。『どうなってるのかな』と思いながら毎日を過ごしていました」


●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。


◆撮影/藤岡雅樹


※週刊ポスト2016年11月25日号

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