『さくらももこさん ありがとうの会』で吉本ばなな「彼女はかけねなく天才でした」

11月17日(土)15時14分 Techinsight

実は『ちびまる子ちゃん』のシャツを着ている吉本ばななさん(画像は『吉本ばなな 2018年11月16日付オフィシャルブログ「さくらももこさんお別れの会(追悼文全文)と夜のライブと」』のスクリーンショット)

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8月15日に乳がんのため53歳で他界した漫画家・さくらももこさんを偲ぶ『さくらももこさん ありがとうの会』が11月16日、青山葬儀所で執り行われた。1000人以上が参列するなか、声優のTARAKOが「ありがとうの言葉」を読み上げ、桑田佳祐は『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ『100万年の幸せ!!』を歌唱した。

小説家の吉本ばななさんは「この文章をだれに向けて書くべきなのか、迷いました。ももちゃんにあてるのだろうか? と。でも、ももちゃんには私の気持ちはもうすっかり伝わっていると思います。だから遺された息子さん、ご家族の方たち、スタッフのみなさん、そしてももちゃんのファンのみなさんに向けて書くべきなのだと思い至りました」と前置きして、追悼文を読み上げた。

彼女はその夜、オフィシャルブログにて「追悼文全文」を公開している。さくらももこさんのデビュー作『ちびまる子ちゃん』は1986年8月に『りぼん』で連載が始まり、吉本ばななさんは1987年に第6回海燕新人文学賞を受賞した『キッチン』が『海燕』11月号に掲載され商業誌デビューする。

吉本さんは追悼文のなかで「私は小説家になったほんとうのスタートのところで、対談のお仕事でももちゃんに出会いました。年もほとんど同じで、日本中に注目されていたふたりは、すぐに仲良くなって毎週のように会うようになりました。手をつないで、あの恐ろしい自分たちのブームの嵐の中をかけぬけたのです」と当時を振りかえる。

疲れがたまると一緒に荻窪のスーパー銭湯へ通う仲で、荻窪から離れてしばらくは疎遠な時期もあったが、子どもが生まれてからまた会うようになったという。「夜中まで飲んだり、しゃべったり、絵を見せてもらったり、変わらず小学生同士のように過ごした」間柄だけに、誰よりもお互いのことを分かっていたのではないか。

そんな吉本さんが「ももちゃんの絵は、一見子どもの絵みたいなのであなどられがちですが、彼女はかけねなく天才でした」とさくらさんの才能について触れており、「ヨーロッパの香りがする独自の色彩感覚と、研ぎ澄まされた線」「彼女がカラー原稿を描くところを見ていると、確信を持って色をつけていて、まるで魔法のようでした」「ついさっきまでぐうたらしたりおしゃべりしたりゲラゲラ笑ったりしていた小猿みたいな彼女は、ペンを持つとすっと集中して、ほんとうに美しい大人の女性、絵の天才に変身するのです」という。

そして「最後の最後まで、彼女はどんどん絵がうまくなっていきました」「私は、その変身の瞬間を、もっともっと長い間見ることができると信じていました」と早すぎる死を惜しみつつ、さくらさんの人柄とともに「私たちは短い時間だったけど、あのすばらしい人と過ごせて、とても幸運だったのです。それだけはかけねないほんとうのことなのです。涙ではなく、笑顔で、彼女の偉大さを思い続けましょう」と結んでいる。

『ちびまる子ちゃん』や『コジコジ』などさくらももこさんの作品に癒され救われた人は多い。これからもその素晴らしさは作品とともに語り継がれることだろう。

画像は『吉本ばなな 2018年11月16日付オフィシャルブログ「さくらももこさんお別れの会(追悼文全文)と夜のライブと」』のスクリーンショット

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