誰もが想像できる場所だからこそ…《学校》の匂いを感じさせる描写 〜恩田陸「図書館の海」に見る名場面

11月18日(木)13時0分 婦人公論.jp

人をひきつける文章とは? 誰でも手軽に情報発信できる時代だからこそ、「より良い発信をする技法」への需要が高まっています。文筆家の三宅香帆さんは、人々の心を打つ文章を書く鍵は小説の「名場面」の分析にあるといいます。ヒット作『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』の著者の連載。第15回は「学校」の名場面について……

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第14回「血縁がなくとも《家族》を感じさせる描写 〜吉本ばなな「キッチン」に見る名場面」はこちら

小説に奥行きをもたらしているもの


小説の名場面について解説してきた本連載。これまで「関係性の変化」「さまざまな関係」、つまりは人間関係をどう描くか、というところについてあれこれ紹介し解説してきた。

物語は、人間関係の中で進むことが多い。主人公がいて、その周囲に人間がいて、その関係性が変化しつつ、物語が展開される。関係性の種類はたくさんあるし、物語のなかでどれくらい関係性が変化するのかも、物語によって異なるだろうけれど。

しかし一方で、「では主人公が今どういう状況にあるのか?」を語ることもまた、小説において大切な作業だと私は感じる。

人間関係や起こった出来事ではなく、主人公がいる場面設定の描写。それこそが小説に奥行きをもたらしているのでは!? ということだ。

なぜなら、小説には映像や絵が存在しないから。

映画や漫画ならば、主人公がどこにいるかを語るのは、主人公の背景である。学校のセットのなかで撮影されていれば学校の話だとわかる。会社の絵が描かれていれば、主人公は会社にいるんだとわかる。その背景がある程度きちんと描かれて、あるいは映っていれば、納得できる。

でも、小説の場合はちがう。

状況をわかってほしいなら、わざわざその描写を書き込まなくてはいけない。

常々思うのが、小説というものは「何を書いて」「何を書かないのか」、ものすごく作者の裁量が大きい媒体だということだ。映画なら背景は基本的に画面にうつる。でも小説は、わざわざ見せたい背景のみを文章で書く。見せたくない背景は書かなくていい。

ならば、主人公の状況を、小説たちはどう描いてきたか? 映画や漫画の「背景」に当たる部分を、はたして小説はどうやって綴ってきたのだろう? この連載ではそこを考えたいと思う。

というわけで! 今回からは「場所の描写」について書きたい。


『図書室の海』恩田陸・著、新潮文庫

「いい学校描写」からは切なさや懐かしさがこみあげてくる


今回ご紹介するのは、「学校」の描写だ。

学校。それは簡単なようで難しい場である。

学校といえばある程度共通認識が存在する。みんな自分のなかの学校のイメージがある。
そしてなにより、本当にたくさんの物語の舞台になる。

正直、「学校」以上に物語の舞台になっている場なんて存在しないのでは!? と思うほどだ。

だからこそ、学校でなにかしら起こる物語を読むとき、「いい学校描写」に出会うと、私はにっこりしてしまう。

自分がよく知っている場所だからこそ、ああ学校の匂いがちゃんとする小説っていいなあ、と思う。学校の、ノスタルジックでありつつ、それでいて手触りのある描写。それを読むとき、映画で単に学校の風景をうつされるだけでは感じない、なんともいえない切なさや懐かしさがこみあげてくるのだ。

実例を紹介しよう。恩田陸の『図書室の海』所収の短編集「図書室の海」に収められた一場面だ。

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 図書室は重い木の引き戸の向こうである。
 二階の外れ。ぽっかりと開けた空の向こうには、ケヤキの木のてっぺんがこんもりと広がっている。
 この高校は高台にある。古くは城跡だったというだけあって、遠くから見ると要塞に見えないこともない。しかし、校舎の内側からは、生徒の注意を散らさぬためなのか、外の景色がほとんど見えない。見えるのは空だけだ。
 夏はこの図書室が好きだ。校内には幾つかお気に入りの場所があるが、中でもここが一番好きだった。
 特に、戸を開けて入った瞬間の開放感が心地好い。特別教室特有の広さ、天井の高さ。
 ここは海に似ている。
 夏はいつもそういう錯覚を感じる。
 なぜか、この部屋に入ると、海原に出た船に乗っているような気分になるのだ。

 図書室と言えば読書というよりも勉強している生徒が目立つものだが、この高校の場合、別の場所に独立した自習室があるため、図書室は意外と空いている。
 重く大きな古い机と椅子。机にはあまりにも多くの文字が卒業生によって刻みこまれており、もはや判別不能である。
(「図書室の海」恩田陸、新潮文庫、p217-218)


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なぜ図書館を描くために場所の説明をしているのか


……図書室の匂いや、差し込んでくる光の加減まで伝わってくる情景描写だと思いませんかっ!?

この、感覚ごと連れて来るような描写は、やっぱり小説だからこそできることではないかなあ、と私は思う。

当然だが私は行ったことのない図書室なのに、なぜか懐かしさすら感じるような気がする。

まず、図書室の場所の説明から入っているのがいいなと思う。たとえば会社だったら、いつも勤務するフロアってほとんど一緒だったりするし、家なんかも場所は変わらない。でも、学校って、かなり「自分が移動する場所の多い」建物だと思うのだ。つまり、学年によっても教室の場所はちがうし、休み時間ごとに音楽室や図書室へ移動したり、放課後は部活のために体育館に行ったりする。学校はかなり移動するための場所だと思う。

だからこそ、主人公にとっては「そこに移動することが前提」である図書室の情景を描く時、その場所を説明する。「二階の外れ」と。

そして学生時代って、たしかに窓の外をよくぼーっと見ていることが多い。それこそ会社などと比べて、学校って窓が身近なのだ。だからこそ窓の外の景色について語る。

なにより秀逸なのが、「特に、戸を開けて入った瞬間の開放感が心地好い。特別教室特有の広さ、天井の高さ。ここは海に似ている」という文章だろう。図書室が海に似ているだなんて、そんな場所、学校にあったら嬉しいに決まっている。だけどその「海に似ている」という比喩だけじゃなくて、ちゃんと「特別教室特有の広さ、天井の高さ」とどういう空間か説明しているところがいい。

なんとなくイメージできる場所だからこそ


……ここまで解説してきて、お分かりになる方もいるかもしれないが。

この描写、すべて「主人公の高校生から見て気になるところ」によって語られるポイントが決まっているのである。

つまり、単に図書室の情景を描写しているわけではない。高校生目線で、なんとなく目にとまるところを選んで描写しているのだ。

単なる情景描写に見えて、徹底的に、語り手の目線は高校生にチューニングされている。

たとえば「重い木の引き戸」や「戸を開けて入った時の開放感」という記述は、実際に主人公が図書室に入っていく描写(たとえば「図書室に足を踏み入れた」など)がなくとも、主人公が図書室に入るときに感じることがわかるようになっている。

さらに図書室の場所や窓の外の風景、図書室の空間の記述は、ちゃんと高校生目線でどういうところが気になるか、おそらく考えられて書かれている。

だからこそ読者も、読んでいるうちにふわっと高校時代に戻ったような気になって、高校生目線で図書室にいっしょに入ることができるのだろう。

単に小説に必要だから、図書室を描写するのではない。きっともっと単調な図書室の風景を描くこともできた。だけどこの小説にとって図書室は特別な場所だから、ちゃんと主人公の目線にあわせて、図書室の空間そのものを描いた。

それは図書室という場が、単なる背景ではなく、主人公にとって手触りのある場所であるからだろう。

学校の風景を描くとき。学校というものが誰でも想像できる、なんとなくイメージできる場所だからこそ、主人公が学校の空間をどう感じているのか、なにに焦点を当てているのか、伝わってくる描写だと嬉しくなってしまう。なぜならそれは、なにより大切な、登場人物がここにちゃんと存在している、という説得力にも、繋がるからだろう。

※次回の更新は、12月2日(木)の予定です

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