加山雄三 若大将シリーズの悶絶死にかけ体験

11月22日(水)16時0分 NEWSポストセブン

人気シリーズでの“過酷エピソード”を披露

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 池田勇人内閣が所得倍増計画を掲げ高度経済成長に向けて踏み出した1961年、加山雄三主演映画“若大将”シリーズの第1作『大学の若大将』(杉江敏男監督)が公開された。


 老舗すき焼き屋のお坊ちゃんで、ルックス抜群。明朗快活な性格で、スポーツ万能、歌もうまいという若大将のキャラクターは、「加山雄三に等身大の役をやらせてみたい」という東宝・藤本真澄プロデューサーのアイデアで生まれた。


 1960年代はまだ珍しかったスキーやマリンスポーツ、バンド活動に海外旅行と、夢のような青春を謳歌する姿に、たちまち“若大将”ブームが巻き起こり、シリーズ7作目の『アルプスの若大将』(1966年)ではこの年の東宝の映画興行収入1位を樹立する。


 毎回、キャラクター設定が多少異なるものの、一貫して描かれているのは、恋に音楽、そしてスポーツに熱中する1960年代の若者のエネルギッシュな青春の日々だ。加山はこう振り返る。


「映画を観た人たちはみんな、あんなに楽しい大学生活が本当にあると信じていたみたいです。でも実際に大学に行ってみると面白くなくて、“若大将は嘘だ”って言われたりするくらいだったんです」(加山、以下「」内はすべて同じ)


 海外旅行が自由化される1年前の1963年には、ハワイで撮影が行なわれた。以後、スイス、イタリア、タヒチ、ブラジルなど、大規模な海外ロケが敢行されている。


 なかでも一番過酷だったのは、『ニュージーランドの若大将』(1969年)で、ニュージーランド最高峰マウント・クックの氷河を滑った時だった。スキーで国体に出場経験があるほど上級者の加山ですら足が震えたという。


「山頂まで飛行機とヘリコプターを乗り継いで登り、頂上から氷河の上を滑りました。これってクレバスじゃないか? と思って雪の上をストックで軽く突いたら雪の塊がボーンと下に落ちて、200mくらいの割れ目がぼっかりと現われた。落ちたら終わりだと思いながら、クレバスの上を割れ目に対して直角に滑りました。無茶ですよねぇ」


『南太平洋の若大将』(1967年)では、南国タヒチの海で水中撮影に挑んだ。


「水深40mで酸素ボンベを外してから水面に浮上していくシーンがあって、5m浮上するたびに胸が破裂しそうになるんです。水圧の変化で肺破裂の危険があったというのは後で知ったけれど、そんなことは誰も教えてくれないし初めての経験ですからね。とっさの判断でヤバいと思って空気を吐きながら上がった。人に言うとバカだなぁといわれるけど、怖かったですね」


“歌手・加山雄三”の地位を不動のものにしたのも若大将だった。


「映画の中で歌った曲はみんな売れちゃう。今考えてみたら、若大将っていう作品は、僕の音楽をヒットさせてくれたプロモーションビデオなんですよ(笑い)。映画で僕が作った音楽を流してくれるなんて、こんなに恵まれた話はないですよね」


『ハワイの若大将』(1963年)で若大将が歌った『DEDICATED』は、加山が学生時代に作った曲である。後日、『恋は紅いバラ』のタイトルでリリースされると25万枚を売り上げた。


「その頃はまだ電車で撮影所に通っていて、なぜか僕が乗っている車両だけ混むようになったんです。仕方ないので隣の車両に移ると、そこも混み出して。周りからは“人気が出てきたからだ”と言われました。人気ってそういうものなんだと思いました」


 その後も映画とともに、数々のヒット曲を世に送り出していく。1965年の『エレキの若大将』で歌った『君といつまでも』は350万枚という驚異的な売り上げを記録。その年、加山は日本レコード大賞の特別賞を受賞し、翌年、紅白歌合戦に初出場する。加山が「幸せだなぁ」と歌いながら人差し指で鼻を触る仕草は、若者の間で大流行した。


「若大将になるために生まれてきたのかな」としみじみ語る“現代の若大将”は、平成の世でも色褪せることなく人々を魅了してやまない。


■取材・文/戸田梨恵


※週刊ポスト2017年12月1日号

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