「タモリさんも僕も偉そうなのが嫌いだった」『24時間テレビ』生みの親が語る、番組が始まった頃

11月24日(日)17時0分 文春オンライン

 毎年億単位の寄付金を集めているにもかかわらず、厳しい批判にさらされている番組がある。チャリティー番組の『24時間テレビ』(日本テレビ)だ。


 以前から存在した、出演者に出演謝礼が支払われることに疑問を呈する言説に加え、近年では番組が、健常者を感動させたり、やる気を出させるために障害者を利用する「感動ポルノ」にあたるとする言説も増えている。


 私、ダブル手帳は1993年生まれの脳性麻痺・発達障害当事者だ。アニメファンであることや、就活における自身の経験から、メディアにおける障害者の描かれ方について興味を持ってきた。


 言うまでもなく、障害者が普段のテレビ放送に登場することは、ごくごく少ない。『24時間テレビ』は年に1度、障害者の存在がテレビで大きく取り上げられる機会である上に、いまだ15〜19%の視聴率を誇る人気番組でもある。


 この番組を生み出した人は、一体どういった考えを持って、番組を企画したのか。今の『24時間テレビ』をどう見ているのか。そして、番組に寄せられている批判に、どう答えるのか。そういったことが気になり、『24時間テレビ』発案者の都築忠彦氏(84)に取材のお願いをしたところ、快く引き受けていただいた。



都築忠彦氏


 都築氏は1935年生まれ、愛知県出身。東京大学経済学部卒業後、1961年に日本テレビに入社した。入社後は、『11PM』の社会派企画「巨泉の考えるシリーズ」を手がけたことで注目を集め、『24時間テレビ』降板後は日本テレビのグループ会社のNTVヨーロッパを立ち上げた。


 前編では、『24時間テレビ』誕生までの経緯を聞いた。(全3回/1回目)


◆◆◆


『24時間テレビ』の前に『11PM』があった


——本日は『24時間テレビ』のことについて伺いたいと考えています。そもそもは、深夜番組『11PM』のプロデューサーだった都築さんが、番組の内容から着想を得て、社内で提案したのが始まりだったと聞いています。


都築忠彦氏(以下、都築)そうなんですよ。『11PM』って、どんな番組だったか知っていますか。


——私が生まれる前に放送が終了したので、リアルタイムでは見ていなくて。


都築 深夜帯にやる情報番組だったんですよ。女性のヌードシーンなど、お色気要素もあったので、当時は「俗悪番組」なんて叩かれていたんだけれども、深夜帯の番組の視聴率が1%台の時代に、視聴率を15%以上も取った。



 そのうち、テーマ性の強い企画もやるようになって。1971年には「戦後日本の大空白」というタイトルのシリーズで徴用工問題や慰安婦問題を取り上げましたし、1972年には、沖縄返還前や返還当日を取り上げた企画もやった。 ギャラクシー賞を取ったりもしたんですよ。


田原総一朗に「なぜ視聴率が下がるネタをやるのか」と聞かれて


——『11PM』のプロデューサーだった当時、1975年に『中央公論』に掲載された対談で田原総一朗さんに「何で(視聴率が)1.0%みたいな韓国問題をやるのか。コンマ以下になってしまう沖縄問題をやるのか」 と聞かれています(注1)。


都築 僕は、視聴率は、取れるときに取ればいいって考えです。取れるものでベースを作った上で、あとからテーマ性のあるものも打ち出していけばいいんです。


 それに、面白いことに、ある時点から「バラエティー的な内容も、社会派の内容も地続きに感じられる」なんて声が視聴者から寄せられるようになるんですね。視聴率も、社会派の企画をやっても落ちなくなった。これに関しては、大橋巨泉という天才のおかげ、という部分が大いにあります。


注1……『中央公論』1975年4月号「方法としてのスキャンダル」より



大橋巨泉のテレビ的な運動神経


——大橋巨泉さんは、68年から85年まで、『11PM』の月曜日の司会を担当されていましたね。もともと、大橋巨泉さんも、時事や社会問題にご関心があったのでしょうか。


都築 いや、最初は全然軟派だったんですよ。巨泉さんって、もともとはジャズ評論家でしたから。だけど、「いいや、それでも構わないや」と言って、沖縄問題やら朝鮮問題やらやってもらったら、実に立派にやるんです。



 すごいなと思ったのは、台湾抗日運動というのを番組で取り上げたことがあるんですね。1895年の日清戦争の結果、日本軍が台湾を領有しに行くんだけれども、住民はものすごい抵抗運動をやる。なかなか平定しきれないので、日本軍は非常に残虐な弾圧をしました。


 そんな話を番組の前に説明すると、大橋巨泉は一言、「あ、ウーンデッド・ニーだな」(注2)と言うんですよ。そうやって、頭の中にすでにあるコンセプトと瞬時にパシャッと重ね合わせて話してくれる。そういう意味では大天才ですね。テレビ天才。


——瞬発力がすごい。


都築 そう、テレビ的な運動神経が素晴らしい。確定タイムっていって、ここでCMを入れなければいけないというタイムがいくつかあるんですけれども、大橋巨泉の場合、「5、4、3、2、1……」とカウントダウンすると、ピタッとそこで結論を出して話を終える。


 彼がいたおかげで『11PM』が大成功して、『24時間テレビ』に繋がったといっていいと思います。


注2……1890年にサウスダコタ州ウーンデッド・ニーで米軍がスー族インディアンに対して行った虐殺。インディアン戦争の象徴


24時間ぶっつづけというアイディアの源泉は


——『24時間テレビ』は、『11PM』の「巨泉の考えるシリーズ・世界の福祉特集」が前身になったと聞きました。


都築 そうです。当時、毎年夏に40日ずつほど北欧に行って、福祉における先進的な取り組みを取材していたんですよね。当時の日本は収容主義で、箱物を作ることばかり議論していたんだけれども、すでに北欧で進んでいた在宅看護を紹介したんですよ。



 1978年の前年、日本テレビ開局25周年の記念番組を社内で募集していたので、その取材をもとに企画を出したら社内コンペで通ったんです。


——24時間ぶっつづけで、というのが当時は類を見ない発想だったと思うのですが、何に着想を得たのですか。


都築 まず考えたのは、「コンシャスニス・レイジング」、つまり多くの人にまず問題に気づいてもらいたい、ということでした。



『24時間テレビ』は、米国の筋ジストロフィー患者のためのチャリティー番組『ジェリー・ルイスのレイバー・デイ・テレソン」を真似したんだ、なんていう人もいますが、それは全くの誤りです。全く見ていません。あれは、特定の病気のためのファンド・レイジング(募金集め)です。それはそれで意義のあることなんだけれども、わたしは『24時間テレビ』で視聴者参加型の番組をやりたかった。



 テレビを見て、問題意識を持った子どもたちが募金に集まる、それを生放送で見た視聴者がさらに募金をする、自分たちの力で現実が変わったことが目に見える……これは24時間放送ならではの側面だと思います。


——1978年の第1回のテーマは、「寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を!」というテーマでしたね。


都築 当時は、老人や身体障害者が家の中に押し込められているのが当たり前だったから、“寝たきり老人”という言葉すら知らない人も多かったんですよ。社会問題化していなかった。そこで、集まった寄付で入浴車やリフト付きバス、車椅子を購入する番組をやって、こうした支援の必要性を訴えていこう、と。


 何しろ前例がないものですから、「そんなもの、成功するのか」という声もあったんだけれども、蓋を開けてみると11億9000万円を超える寄付が集まった。第1回ではチャリティー・ウォークという企画があったんですが、4万人もの人が渋谷の公園通りに集まったんですよ。視聴者のあまりの熱狂ぶりに、1回限りの番組だったはずが、当時の日本テレビの社長が生放送中に「続行」宣言をしたほどです。


『24時間テレビ』初期にタモリさんが果たした役割


——初期には、『24時間テレビ』に対して「民間がやることなのか」という批判があったとも聞きました。


都築 ありましたね。だけど、僕からすると「民間がやって何が悪いんだ」ということなんですよ。視聴者が、自らの意志で動き、課題を解決する。非常に直接民主主義的だと思うわけです。


 そういう意味で、『24時間テレビ』を広めた存在として、タモリさんはすごい重要な存在なんです。第1回のためのCMを、タモリさんを迎えて即興で作ろうということになったんですが、竹村健一さんという、最近亡くなられた英文学者……知ってる?



——いえ、存じ上げないです。


都築 偉そうにパイプくわえて、「大体やね」が口ぐせの、上から目線で社会評論みたいなのをやる人なんですよ。タモリさんも僕も、偉そうなのが生理的に嫌いで。



 タモリさんがスタジオで地球儀を見て、『24時間テレビ』を批判する竹村健一さんのモノマネを急にやりだして。「今、オイルショックやらなんやらでいろいろ大変なのに、この国だけだよ、チャリティーチャリティーと言うてるのは」と大阪弁で。


 すごく面白かったので、そのまま『24時間テレビ』のコマーシャルとして世に出したんですよね。


——きわどい! 竹村さんご本人の感想は?


都築 竹村さんは、後からいろいろ文句言ってたって聞いてますけど……(苦笑)。別の年には、ちょうど参議院選挙の時期だったので、タモリさんが候補者に扮して偉そうに選挙演説するCMを作った。



「肢体不自由の人とか難民とか、困っている人がいっぱい居る。君たちはそういうことに対して何もしないのかね。募金もしないのかね」「君たちはやってますか?」とその候補者が偉そうに説教した後、「でも、私はやりません」って。すると、上からポツンと何か落っこってきて、「アイタッ」みたいなことを言うってオチなんですけど。


——これもまたきわどい。


都築 要するに全部、チャリティーという権威をコケにするコマーシャルなんですよ。タモリさんって権威主義に対してものすごい嫌悪感を持っていて、初期の芸風なんて、全部そんなものだったでしょう。教授に扮してでたらめなことを言う「中洲産業大学」のネタとかね。


 僕は『24時間テレビ』でチャリティーイコール権威というような図式を徹底的に破壊したかったんだけれども、その思いをタモリさんも共通して持ってたんです。


デーブ・スペクターがかけてくれた言葉


——チャリティーを、大衆がやったっていいじゃないか、と。


都築 そうそう。そう言えば、デーブ・スペクターさんがひょこっとスタッフルームを覗いて、『24時間テレビ』のことを「日本人に一番似合うチャリティーだね」と褒めてくれたことがありました。



——「日本人に一番似合う」。なぜでしょう。


都築 ちょっとしたことで表彰なんかしたりして、チャリティーだとかなんとかって日本人がやると、大体が違和感あるでしょう。


 そういうことじゃなくて、普通の人が集まってきて、募金する。その気負わなさが日本の風土に合っているよね、ということを、彼は言い当てたんですよ。


( #2「感動ポルノについて『ええ、知ってます』——『24時間テレビ』生みの親にネットでの批判について聞いてみた」 へつづく)



写真=平松市聖/文藝春秋


感動ポルノについて「ええ、知ってます」——『24時間テレビ』生みの親にネットでの批判について聞いてみた へ続く



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