橋田壽賀子 夫は最期までがんと知らぬまま明るく亡くなった

11月25日(土)16時0分 NEWSポストセブン

夫の最期を語る橋田壽賀子さん

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 現在、日本人の実に2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで亡くなっている。もしも大切な家族ががんになったら、あなたががんになったとしたら、その時、どうしますか?著書『なんとめでたいご臨終』が発売5か月で7刷のベストセラーとなっている小笠原文雄さんと、『安楽死で死なせて下さい』を著した脚本家・橋田壽賀子さんが、病名や余命の告知の是非について話し合った。


 橋田さんが「私は天涯孤独」と自らを語るのは、夫・岩崎嘉一さん(享年60)を1989年9月27日に亡くしたということもある。


 橋田さんが岩崎さんと結婚したのは1966年のこと。当時岩崎さんはTBSの企画課長で、人望厚き熱血のテレビマンだった。定年退職後「岩崎企画」を立ち上げ、橋田賞の創設に動いていたが、1988年の秋に肺がんが見つかった。橋田さんは本人に告知しないまま看取る。


橋田:主人が肺がんだとわかったときはもう転移していて、お医者様には「長くて半年です」と言われたので、告知はしませんでした。今思えば、私のエゴイズムでしょうね。当時は、治らないのに告知したらかわいそうだと思っていました。


 でも本当は自分がその現実と向き合うのがいやだったんです。本人に告知すると、本人はもうじき自分は死ぬんだという気持ちを抱えて生活することになる。そういう相手と、一日向き合っていられますか? 私は自信がなかった。自分をごまかすために言わなかったんです。


小笠原:病院勤務時代ですが、ぼくも抗がん剤を使う患者さんに、がんだと言えなかった時期があります。その病院では本人に告知をしないという方針だったので。


橋田:昔はそれで通りましたね。


小笠原:はい。それでも患者さんはうすうす気づきます。どうなんでしょう、ご主人もやっぱり、ご自分ががんだということはわかっていらっしゃったんじゃないですか。



橋田:いや、わかってなかったと思います。たばこもやめてと言わず、好きに吸わせていましたし。私は主人のことを病人扱いせず、自宅でふだん通りの生活をしてもらいました。「家で一日パジャマでいちゃいやだ」とか、「ひげもちゃんと剃ってね」とか、「洋服もちゃんとしたのを着てよ」とか。人様が来ると一緒に食卓を囲み、もう行けなくなるからと、おいしい料理屋さんに食べに行かせたりもしました。


小笠原:それはよかった。そこまでやれる女性は、なかなかいません。


橋田:ウソをついてると、自分でもそのウソを本当だと信じちゃうんですねぇ、きっと。


小笠原:そう思います。信じる者は救われるじゃないけど、当事者が信じ込むと、決してバレない。でも隠し通そうとすると、必ずバレる。ぼくは「がんじゃない」と意図的に隠し通そうとしていたから、患者さんに気づかれた。不信感をもたれ、医師と患者の関係にすきま風が入りました。ぼくは未熟な医師だったんです。


橋田:主人は明るく死にました。やっぱり自分ががんだとは知らなかったと思います。最後の治療で新幹線に乗ったとき、これが最後の新幹線になるのかなあと思ったら、その2日後に病院で亡くなりました。


小笠原:理想の亡くなり方ですね。普通に動けていたのに、2日後に亡くなった。ピンピンコロリじゃないですか。


橋田:急に悪くなって。


小笠原:いやあ、ぼくの経験では、がんというのは家で暮らすと、余命が延びるんです。それで歩けなくなったら、3日で亡くなることも多い。しかもがんだったら、痛みを取るモルヒネ注射もあるし、のみ薬や貼付剤、坐薬もあります。苦しまなくても済むのがいいですよ。


橋田:だから、私はがんもいいなと思いましたね。自分ががんだということを、知らなければ、ですが。


※女性セブン2017年11月30日・12月7日号

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