「やっぱり日本で滑りたかったんで、ずっと」 NHK杯優勝・羽生結弦の言葉に、なぜファンの心はつかまれるのか

11月27日(水)19時0分 文春オンライン

 先週末、札幌はフィギュアスケートファン……とりわけ羽生結弦選手ファンによる熱気に包まれていました。フィギュアスケートグランプリシリーズ第6戦NHK杯への羽生選手の出場、そして優勝は日本のファンにから熱く待ち望まれたことだったのです。


「真4回転時代」と称され、高難度・多回転のジャンプを数多く演技に取り入れる必要性のある昨今、選手の身体への負担も大きく、羽生選手はたびたび負傷に見舞われてきました。その結果、シーズン中盤に行なわれるNHK杯・全日本選手権といった、本来であれば日本のファンが一番観戦しやすい大会を欠場せざるを得なくなることがつづきました。



会場となった北海道・真駒内セキスイハイムアイスアリーナ ©フモフモ編集長


「日本での試合」はほとんどなかった羽生選手


 全日本選手権は2016年から3大会連続で出場できていません。2連覇を果たした平昌五輪以降、日本国内で行なわれた羽生選手の公式戦は2019年3月の世界選手権ただ1試合のみ。平昌五輪を含む2017-2018シーズンも負傷により国内の試合を2試合とも欠場しています。3シーズン、ほとんど日本での「試合」はなかったのです。むしろ、カナダやロシアでの試合のほうが多かったほど。


 アイスショーなどで演技を披露する機会はあったものの、「日本での試合」というのは極めて希少な機会であり、ファンはわずかなチケットを争奪することになりました。試合そのもののチケットだけでなく「公式練習」にも応募が殺到し、多くのファンが落選の憂き目にあうほどに。



幸運にもチケットを得て札幌へ


 今回、僕は幸運にもフリープログラムの日のチケットを得ることができ、札幌へと向かいました。羽田空港への道中、全日空の機内(※ANAは羽生選手が所属する企業です)、そして現地・札幌、いたるところで同志の姿を目撃しました。羽生選手がプロデュースしたアイスショーのイベントTシャツを着用したファン、旅行鞄に「くまのプーさん」のぬいぐるみを提げたファン、「4Lo」(※4回転ループの意)など羽生選手の演技構成をプリントしたお手製のグッズを手にしたファン。そこかしこに同志はいました。


 そして、試合会場にも。チケットを入手したファンは当然のこと、チケットがないまま「ダメ元で」会場に駆けつけたファンが最寄り駅そして会場前に列をなしていました。「同行させてください」という祈りを込めたボードを掲げて。どうしても、どうしても見たいのです、という切実なアピールでした。北海道からだけではなく、全国からファンが集っているからこそ、最後の最後まで諦めきれない想いが「ダメ元で」会場へと向かわせるのでしょう。



 羽生選手はそうしたファンの想いを知っています。羽生選手自身は公式SNSなどを運営してはいませんが、SNSやネットで広まる声に常に耳を傾けています。そして、その想いを汲んで、数少ない発信の機会に的確にアンサーをくれるのです。羽生選手のイラストを描いて見せあうファンアートという行為について、こういうことを楽しんでよいものだろうかとSNSでファンが議論しているタイミングで唐突に「ファンアート、好きですよ」と発言してみたり。平昌五輪前にはファンからの心配や激励のメッセージに対する感謝を、「怪我をしている間に、たくさんのメッセージをくれた」とあえて過去形で綴ることで、「現在は回復傾向にある」ことをそれとなく知らせてくれたりするのです。


NHK杯優勝でまず発した一言


 言葉を大切にし、一言に想いを込める人。


 札幌でのNHK杯、優勝者インタビューで羽生選手が発した言葉も、まさにそうでした。圧倒的な大差での優勝。総合300点を超える高得点。ミスで抜けたジャンプをすぐさまやり直した鬼のリカバリー。グランプリファイナルへの出場決定。2年連続で怪我をしてきたGPシリーズ2戦目を乗り切ったこと。語るにふさわしい内容はたくさんありました。しかし、演技を終えたあとにまず羽生選手が語り出したのは「やっぱり日本で滑りたかったんで、ずっと」ということでした。「勝ちました」と喜ぶより先に、「怪我をしなかった」と安堵するより先に、「日本で滑れた」ことを第一に挙げた羽生選手。



 その言葉は何よりもファンの心を射抜くものでした。この希少な機会に熱い想いを抱いて駆けつけたファンに対する感謝と、これまでの欠場を申し訳なく思う気持ちと、そして羽生選手自身もまたこの機会を待ち望んでいたことを鮮明に告げてくれたのですから。この試合の一番の喜びである「会いたかった」の気持ちが通じ合ったのですから。


 羽生選手の発する言葉が少ない機会・短い言葉であっても強いチカラを持って響くのは、対象へと馳せる思いの深さなのだろうなと改めて思いました。なぜ、こんなに多くのファンが、こんなに熱い気持ちで集っているか、何を求めているか、思いを馳せて理解しているからこそ、強く響く的確なアンサーとなるのだと。



羽生選手の言葉のチカラは報道すら変える


 そんな羽生選手の持つ言葉のチカラは報道のありようすら変えつつあります。「羽生結弦 一問一答」と検索してみてください。新聞各紙で羽生選手との質疑応答を、一言一句書き連ねた記事がたくさん並んでいます。それらの記事、特に日付が新しいものになるほど「えっと」「フフフ…」「まあ」などの新聞社の記事には不向きな言葉も残され、ほとんどテープ起こしのような状態になっていることに気づくでしょう。まるでネットメディアが書く記事のようになっていることに。


 従来の新聞記事であればカットされてきた部分も含めて羽生選手の言葉であり、実は意味がある。「えっと」があることで、思案しながら絞り出した言葉なのか、ためらわず断言した言葉なのか、同じ内容でも意味が変わる。「そのままの言葉」を知ることに価値があると感じるファンがいて、それを理解する記者がいて、記事の作り方そのものを変えつつあるのです。



 決して公の場に出る機会は多いわけではなく、SNSなどでファンとの交流を深めるわけでもない羽生選手が熱烈に支持される理由、ファンの心をつかむ理由のひとつが、対象に深く思いを馳せて発するその一言一句にある。その感覚が静かに、確かに広がっていることが「一問一答」記事のありようにも表れていると感じるのです。


 そんな羽生選手の言葉で、僕が個人的に深く射抜かれたのが、2018年に個人では最年少となる国民栄誉賞受賞が決まったときの言葉です。この際、僕は羽生選手の受賞辞退の可能性を考えていました。年齢的にもキャリア的にも羽生選手はまだまだ区切りの段階ではありませんでしたし、誰に限らず「政権が人気取りのために賞を贈っている」とする静かな批判もありました。五輪連覇という心からの望みを達成したなか、あえて欲しがる賞でもないだろうと。


 しかし、羽生選手は賞を受けました。


 そのときの言葉に、僕は自分の内心をつかみ取られたように感じました。羽生選手は、フィギュアスケートという競技を育てた先人たちや、冬季競技を盛り上げた他競技の活躍、被災地からの激励、そして自身を育ててくれたすべての人々を挙げながら、「すべての方々の思いが、この身につまっていることを改めて実感し、その思いが受賞されたのだと思っております」と綴りました。「この身につまるみなさんの思い」が受賞したのであると。



羽生選手の言葉で気づいた「自分自身の真の気持ち」


 これまで多くのアスリートを応援し、その活躍に喜んできましたが、それはあくまで傍観者としてのものだと思ってきました。「応援がチカラになりました」「みなさんは一緒に戦う仲間です」「ファンの皆様、優勝おめでとうございます」……そんな言葉で一体感を強調されることもありましたが、やるのは選手、勝つのは選手、そこに大きな隔たりがあることは否めません。そして、それが当然であり、自然なことだと思ってきました。


 しかし、羽生選手は言うのです。この賞はみなさんの思いが受賞したのですよと。そのとき初めて僕は気づいたのです。受賞辞退を予想しながらも、それをひどく寂しく残念に感じている、自分自身の真の気持ちに。羽生選手が辞退するという決断をしても、それは羽生選手の問題であり外野がとやかく言うことではないわけですが、それはひどく寂しく残念だと心の底では思っていたことに。


 それを汲み取られた。見抜かれた。気づかされた。


 ほかの誰の批判など関係なく、「僕が」受賞を望んでいたのだと気づいた。そして羽生選手はそう願う「僕(を含めたすべての人々)の思い」が受賞したのだと告げた。それはつまり、「ファンの応援がチカラになった」よりも強く、「ファンと一緒に戦う」よりも近く、「おめでとうございます」よりも深く、「ファンこそが羽生結弦なのです」と言ってもらえたような気になりました。こんなに応援しがいのある相手があるものかと涙しました。もはや応援ですらありません。この思いそのものが羽生選手の身体につまって戦うのですから。「僕が」戦うのですから。



 羽生選手は今回のNHK杯優勝後、エキシビションに出演した際に、新たな言葉で同じ気持ちを表現していました。司会者に「夢は何か」と問われて綴ったその言葉。「みなさんの期待をしっかりと受け止めて、で、その、みなさんの夢、みなさんが見ている羽生結弦、みなさんが思っている理想の羽生結弦だったり、そういったものにやっぱり僕自身も近づきたいし、いつかはそのみなさんが思っているもののさらに上をいきたいって常に思うんで」という思いを込め一言に集約したその言葉は、「みなさんの期待の結晶」というものでした。


 羽生結弦の夢は、みなさんの期待の結晶であること。


 羽生結弦は、僕の、あなたの、みなさんの思いの結晶でありたいと言っている。


 ファンが彼を見ている以上に、彼がファンを見て、ファンと一体になって「羽生結弦」を作っている。


 この記事には「なぜファンの心はつかまれるのか」なんてタイトルをつけていますが、羽生選手はファンの心をつかんでいるのではないのです。


 ファンの心「そのもの」なのです。


 どうりで的確に射抜かれるわけです。彼は僕の、あなたの、みなさんの心、「そのもの」なのだから。



(フモフモ編集長)

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