小説に集中するために…《食卓》に上るメニューで解像度を高める 〜朝井リョウ「何様」に見る名場面

12月2日(木)13時0分 婦人公論.jp

人をひきつける文章とは? 誰でも手軽に情報発信できる時代だからこそ、「より良い発信をする技法」への需要が高まっています。文筆家の三宅香帆さんは、人々の心を打つ文章を書く鍵は小説の「名場面」の分析にあるといいます。ヒット作『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』の著者の連載。第16回は「食卓」の名場面について……

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第15回「《学校》の匂いを感じさせる描写 〜恩田陸「図書館の海」に見る名場面」はこちら

人間に対する解像度を示すもの


小説を読む快楽のひとつに、「人間に対する解像度の高い物語を読むこと」がある。というか、私はほぼそれを楽しみに読んでいる、といってもまったく過言ではない。

「人間ってこうだよね」「世界ってこうだよね」「人生ってこうだよね」という、小説から漂ってくる、きめ細かな作者の理解に触れると、ものすごく癒される。自分は孤独じゃないなあ、と感じる。ちゃんと人間のことを深く細かく理解してくれている人が、ここにいる。とにかく、解像度の高い物語が読みたい。人間に対する解像度、そして世界に対する解像度の、高い話。

反対に、小説を読んでいていちばんがっかりする瞬間が、「に、人間に対する解像度が、低いっ……」と愕然とするときである。そりゃちょっと雑過ぎるんじゃないか、という行動をキャラクターがし始めると、途端に読者としては萎える。そういうものを読みたいわけじゃないのだこちとら……とページをぱたんと閉じることになる。

では、人間に対する解像度というのは、はたして何によって示されるものだろうか?

登場人物の台詞である場合もあるし、行動の場合もあるだろう。でも私は、ちょっとした風景の描写にも、解像度の高さというのは出てくるものだと思っている。

今回紹介するのは、はじめて読んだときに「解像度が、高い!」と感動した、とある食卓の場面だ。


『何様』朝井リョウ・著、新潮文庫

『何様』での朝食シーンについて


朝井リョウの『何様』に所収された短編「それでは二人組を作ってください」のなかの一場面。

主人公の大学生・理香は、社会人の姉とふたりぐらし。しかし姉は、もうすぐ彼氏と同棲するため、この家を出て行くのだと言う。理香は姉のかわりにルームシェアする友達を見つけなくてはいけない。

紹介する場面は、姉と理香の朝食シーンだ。

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「あんたいま彼氏いないんだっけ?」
「いないって」理香は軽く笑いながら続ける。「ルームシェアしてみたいって言ってた子いたから、その子誘ってみるつもり。おしゃれでセンスいい子だから、多分楽しいと思うんだよね」
 ふうん、と特に興味もない様子で、姉はティッシュで口を拭いた。姉は、納豆を一口食べるたびにティッシュで口を拭う。何かをこぼしたときも、布巾ではなくティッシュを使う。にも拘わらず、ティッシュを買い足しているのはいつも理香だ。ティッシュをよく使う人は、ティッシュというものはお金を出して買わないと手に入らないという事実を見落としているような気がする。
 姉の携帯から、“ユカコ”と“圭兄”の声が聞こえてくる。読者モデルとクリエイティブデザイナー。
 ログハウスライフのティッシュは誰が買い足しているんだろう。ふとそう思ったとき、奥歯に挟まっていた玄米ブランがころりと取れた。
(中略)
 姉は、かつて理香が留学することを決めたとき、すぐに理香の代わりの同居人を見つけてきた。姉には、二人きりであっても気兼ねなく話せる女友達が複数人いる。
 左手で腹を撫でながら、右手でスプーンを持ち上げる。このあと、ヨーグルトも食べておこう。
 姉がアパートを出る。その話をされてからずっと、便の出が悪い。
(「それでは二人組を作ってください」『何様』朝井リョウ、新潮文庫、p79-81)


ーーーーー

「ログハウスライフ」とは、いま理香が観ている、ルームシェア番組の名前である。引用からもなんとなく察せられると思うが、理香には、女友達があまりいない。社交的なタイプのわりに、同居できるほど仲のいい友人がいないのである。

玄米ブランが意味するもの


私が感動したのは、まあ、なんといっても、「玄米ブラン」である。

作者の性別どうこうというのは好きではないけれど、しかしここに限っては言いたい。「なんで朝井リョウはこんなに的確に朝ごはんをチョイスできるのか……!!」と。

この玄米ブラン、という食べ物には二重の意味があると思う。

ひとつめは、大学生っぽい食事であること。ちゃんと姉と朝ごはんを食べる時間はありながら、料理せずに食べられる簡単なもので、そこまでお金もかからなくて、しかしカロリーも低そうで……という条件を満たしたごはんといえば、玄米ブランである。「コーンフレーク」とか書かずに、「玄米ブラン」であることが解像度が高い(今だったら「オートミール」とか書かれるのかもしれない)。

そして理香は、おそらく緊張しいのところがあり、そのせいで胃腸が弱いらしい。「姉のかわりに同居人を探さなくてはいけない」と聞いたときから、便の出が悪い——緊張して便秘になってしまっているのだろう。それを気にして、食物繊維豊富な玄米ブランを食べている。そんなにおいしくない。でも、ぼそぼそと毎日食べている。いっこうによくならない胃腸を気にしながら。

フィクションだからこそ求められる「細かい描写」


……いやほんと「解像度が、高い!」と叫びそうになりませんか。

ここで、適当にパンとか牛乳とかを食べる風景で済ますこともできるだろう。姉と理香の会話を描くだけでも、まあ、話は通る。理香の焦りは、無言になった、とか書くだけでもいいわけだし。

しかしここで「玄米ブラン」という小道具を持ってくることで、一気に小説としての解像度が上がっている。

「なんで朝井リョウって女子が玄米ブラン的なものを朝ごはんにしたがるの、知ってるんだろう……」と、私は小説を読んだ当時感動したのである。しかもそれが、理香のぼそぼそとした焦りや不安を丁寧に表現している。

さらに、ティッシュのエピソードも、理香と姉のキャラの違いを端的に説明している。

きっとこのエピソードを読んだ読者は、「ああ、そういう人って、ティッシュめっちゃ使うのに、自分では買わないよねえ、わかる」と納得することだろう。

こういう、情景描写に取り入れられたちょっとした小道具によって、登場人物への解像度はいくらでも上がる。と私は思う。

「ああ、なるほど、そういう人ね」と読者はより理解できる。ティッシュ買わないタイプね、なるほどね、と。

逆に、雑に書けば書くほど——たとえばカロリーを気にしてそうな女子大生の朝ごはんがトーストにジャムにウインナーとか——読者としては、小説に集中できなくなる。別にリアルじゃないとか言いたいわけじゃなくて、単に、小説から透けて見える、人間に対する解像度の低さに萎えるからだ。

小説はフィクションだ。だからこそ、人間や世界に対して、細かい描写を見せてほしい。普通の人なら気づかないような、作者の理解をちゃんと示してほしい。

だってそういうものを読みたくて、読者は、現実には存在しないフィクションのページをひらくんだから。

※次回の更新は、12月16日(木)の予定です

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