女性の髪や首の露出、運転や旅行が当たり前になったサウジアラビア。一見進む解放の裏側にあるもの

12月4日(土)13時0分 婦人公論.jp


サウジアラビアの街角で(著者撮影)

1744年アラビア半島に誕生した国、サウジアラビア。王室内の権力闘争や過激主義勢力との抗争、石油マネーをめぐる利権などもあり、その内実はヴェールに包まれている。高尾賢一郎・中東調査会研究員によれば、近年ではアブドッラー国王の治世下において規制緩和がなされ、女性の就業や自動車運転がようやく当たり前にみられるようになったそう。しかしそれらはあくまで政治的意図に沿ったもので女性たちの優先順位に沿ったものではないため、「ある意味で日本と似た構図になっている」とのことで——。

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皇太子の「1979年以前に戻る」発言


2017年10月、リヤドで開催された経済会議で主催者を務めたムハンマド皇太子は次のように発言した。

我々はただ、1979年以前の状態に戻るのである。これはつまり世界、あらゆる宗教と伝統、また人々に対して開かれた、中庸・穏健なイスラームへの回帰である。

地域に目を向ければ、「1979年以前」と聞いて人々が思い浮かべるのはイラン革命やソ連のアフガニスタン侵攻であろう。国内でいえばメッカでの聖モスク占拠事件だ。いずれにせよ、この発言が中東地域の安全保障環境の整備を含意することは確かである。

しかし、もう少し別の角度から考えたい。「1979年」といえば、サウジアラビア国内の「過激化」が指摘されるタイミングだ。ここでいう過激化は、必ずしも上に記した地域・国際情勢ではなく、むしろローカルな文脈での社会の保守化を指す。それは女性が車を運転できなくなったり、娯楽施設が街から姿を消したり、宗教警察の監視の目が厳しくなったりといった変化のことである。

もちろんこれは、イスラームが変質したわけではなく、人々を取り巻く環境が変わったためだ。以下、現在進んでいる社会の変化を「女性」というテーマに沿って説明したい。

もちろん、ここでいうのは生物学的な区分ではなく、男性とは異なる認識や役割が社会のなかで与えられる、ジェンダー(社会的・文化的につくられた性別差)にもとづいた女性だ。サウジアラビア社会の特性を見るとき、女性はとかく話題に上りやすい。ほとんどすべては、イスラームの教えやサウジアラビアの家父長的な慣習を背景に、女性の権利が制限されているというエピソードだ。これを念頭に置きつつ、今日の変革の目玉として女性が取り上げられている状況について見ていきたい。

宗教においての「ジェンダー」


女性を差別しているとは、イスラーム社会について聞かれる常套句である。ただし、そもそも宗教には男性中心主義的な性格が強く見られる。サウジアラビアの状況について述べる前に、宗教とジェンダーについて簡単に説明しよう。

宗教とジェンダーの問題を眺めたとき、その背景にはおおむね「女性は男性に従うべき」「女性は汚れている」「女性は社会の風紀を乱す」という三つの考えがある。

たとえば日本の宗教文化に目を向けば、釈迦の弟子たちが伝えてきた八敬法(はちきょうほう)によって尼僧(にそう)は常に男性僧侶を敬うべきとの考えが示されてきた。また女性は月経・出産に伴う出血によって穢れるため、社寺や霊山への立ち入りを禁じられてきた。このほか、女性は漁場や狩猟場などの女神の嫉妬を引き起こして厄災を招き、男性の心を惑わすといった「悪影響」も強調される。

こうした考えのもと、宗教はしばしば男性が「聖なるもの」を独占することを許してきた。女性を男性より劣る、あるいは男性の修行の妨げになる存在と位置づけ、霊場や儀式への立ち入りや宗教指導者となることを禁じてきたのである。

もちろん、世界には女性が聖なるものを独占する宗教もある。前者でいえば日本では中山みき、出口なおという女性の「神がかり」によってはじまった天理教(1838年〜)や大本(1892年〜)がよく知られている。

ただし天理教には真柱(しんばしら)と呼ばれる職制上の指導者が存在し、これは中山みきの子孫である男性が務めている。また大本では、出口なおの娘婿である出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)が啓示の正典化に努め、大本の教義体系を確立した。

つまり、巫女にとっての山伏(解釈者)となる男性が存在したわけだ。この点、両宗教で女性は聖なる存在にアクセスする役割を有していた一方、組織としての宗教を統制する権力は男性が担っていたといえる。

とはいえ、天理教や大本がいずれも「近代」と呼べる時代に興ったことは重要であろう。

キリスト教ではプロテスタントは女性牧師を認めており、英国国教会でも20世紀になって女性司祭が誕生した。ユダヤ教では、18世紀後半のハスカラー運動(ユダヤ啓蒙主義)によって女性が教養として宗教を学ぶ機運が高まり、20世紀には非公式ながら女性ラビ(宗教指導者)も誕生した(石黒安里「現代アメリカにおけるユダヤ教の境界線」)。日本でも、明治時代に社寺や霊山での女人禁制が解除されている。

このように、近代が掲げた「宗教からの解放」は、部分的ではあるが宗教におけるジェンダー・ギャップの是正につながった。しかしこれによって、ジェンダー・ギャップが残る宗教や社会は前近代的で、未発達とする見方が育まれてきたことも確かである。

政治議題化する「女性」


イスラームとサウジアラビアは、絶えずこのような蔑視に晒さらされてきたといっても過言ではない。

『サウジアラビア—「イスラーム世界の盟主」の正体』(著:高尾賢一郎/中公新書)

男たちは女たちの上に立つ管理人である。アッラーが一方に他方以上に恵み給うたことゆえ、また、彼らが彼らの財産から費やすことゆえに。それゆえ、良き女たちとは、従順で、アッラーが守り給うたがゆえに留守中に守る女たちである。(クルアーン四章三四節)

女の信仰者たちに言え、彼女らの目を伏せ、陰部を守るようにと。また、彼女らの装飾(顔と両手以外)は外に現れたもの以外、表に現してはならない。 (同二四章三一節)

こうしたクルアーンの聖句は、たとえ女性を守ることが本旨だとの説明を受けても、西洋近代的な価値観を持った人々の目には女性に対する抑圧としか映らないだろう。

女性は男性によって守られるべき存在かもしれないが、それは貞潔や従順であることと引き換えである。これは決してイスラームに固有なジェンダー秩序ではなく、むしろ西洋の騎士道精神やレディー・ファーストに強く見られる。

しかし、メッカ女子校火災事故(2002年、メッカの女子校で火災事故が起きた際、校内で髪や肌を出している女子生徒が男性の目に触れるのを防ぐため、彼女らの避難や消防隊員の救出活動を勧善懲悪委員会が制止し、15名の死者が出た事故)のような悲惨な出来事によって、人類社会に広く存在するはずのマッチョイズムの責苦を、とくにイスラーム社会が負う立場に置かれるようになったことは確かであろう。

こうした批判への対応を含め、サウジアラビアでは1990年代に女性の社会進出が重要な政治議題となった。当時、国内では人口増加に伴って失業率の上昇が社会問題となり、政府は雇用創出という課題に直面した。

ひとまず政府は、違法外国人労働者の取り締まり強化と就労査証の取得手数料の値上げをとおして、民間労働力の95%を占めていたとされる外国人労働者の減少を図り、代わって自国民の雇用確保に取り組んだ。そしてこの一環で、潜在的な労働力であった女性の社会進出を促し、労働者の自国民割合の増加を目指した。

2000年代に入ると、政府にとって女性は国際社会を意識した政治議題ともなった。9・11やメッカ女子校火災事故をとおして、サウジアラビアに対して「テロリストの温床」、保守的なイスラーム社会といった否定的なイメージが強まった。

この結果、政府は女性の権利拡充を、国内の経済および労働市場にかかわる問題解決にとどまらず、海外に向けて社会の変革をアピールするための方法とも位置づけた。

進む女性の解放


こうした経緯のもと、2002年に経済企画省(当時)の主管ではじまった経済改革スキーム「2025年長期戦略とサウジアラビア経済のビジョン」では、経済の多角化、民間部門の成長、生活水準・社会保障の向上に加え、女性の権利拡充が掲げられた。


紅海沿いにあるサウジアラビア第二の都市ジッダ。旧市街には古い建築も多く見られる(著者撮影)

アブドッラー国王の治世下、2005年にはじまった「アブドッラー国王海外留学奨学金プログラム」は、若年層の人材育成を図りつつ、女性を海外に派遣することで、彼女らが海外で自国の政策転換の広報役となることを期待するものであった。その後、2009年には女性初となる副大臣が任命され、2011年には女性に地方評議会への参政権が付与された。

さらに2013年には、諮問評議員(日本の国会議員に相当。ただし国王が任命し、評議会自体に立法権はない)に女性30名が初めて任命された。こうした動きは、女性の教育レベルの向上や政治参加の一歩として注目を浴びた。

加えて、労働市場への参入についても追加の措置がなされた。たとえば2013年、女性用下着や化粧品といった、客が女性に限られる店舗や売り場での男性の就労が禁じられたのである。公共の場での男女の分離を推進しつつ女性限定の雇用を創出する点で、この措置は女性の社会進出に否定的な宗教界と、女性側の双方から理解を得た。

以上の取り組みは徐々に国内に変革ムードを醸成し、漸次的ながらこれを推進する立場のアブドッラー国王への国際的な評価にもつながった。

ただし、これによって失業率という積年の課題が解決したわけではない。同国王の治世下では、男性失業率こそ緩やかに減少したものの、女性失業率は逆に上昇した。さらにいえば、先の諮問評議員任命のようなエリート女性の誕生や、公的な場での女性の活動が国内外のメディアを賑にぎわす一方、日常生活における女性への規制緩和には慎重であった。たとえば自動車運転やスポーツ観戦の解禁は、議論に上っただけでいずれも見送られた。

この状況を大きく転換させたのは、サルマーン国王の治世下で2016年4月に発足した経済改革スキーム「サウジ・ビジョン2030」である。

とりわけ2017年6月にムハンマド・イブン・サルマーン王子が皇太子に任命され、ビジョン2030の実質的な主導者となって以降、公立学校での女性を対象とした体育授業の導入(同年7月)、スポーツ観戦の許可(2018年1月)、自動車運転の許可(同年6月)、男性親族の後見人を伴わない海外渡航の許可(2019年8月)、国軍への入隊の許可(同年10月。ただし階級は軍曹を上限とする)といった、前治世下では据え置かれた一般女性への各種規制が大幅に緩和された。

女性パイオニアから見えるもの


規制緩和をへて、今日のサウジアラビア社会では女性の就業、自動車運転、旅行、また髪や首を露出したファッションも、少なくとも都市部では当たり前の光景となった。

ビジョン2030に先立って、勧善懲悪委員会のパトロールが廃止されたことも、女性の公共圏での行動を活発化させた要因の一つだといえよう。政府のお墨付きによって「女性が輝く社会」作りが進んでいるのである。

この状況を背景に、昨今のサウジアラビアでは、さまざまな女性パイオニアたちがメディアに登場している。なかでも2017年に皇太子がサウジ・ビジョン2030を主導して以降、官職への女性の登用が目立つ点は重要だ。これ以前にも「サウジアラビア人女性初の**」といった報道は見られたが、件数自体は少なく、またアメリカの大学での学位取得やエベレスト登頂といったような、海外を舞台とする個人の能力に特化した業績が多かった。

かたや2017年以降の「サウジアラビア人女性初」は国内を舞台に、官主導で誕生しているケースが目立つ。そしてそれらのニュースは、必ずといっていいほどに「ムハンマド皇太子の主導するビジョン2030の成果の一環」として紹介される。

ここからわかるのは、女性の活躍は期待されつつも、サウジアラビアの変革を象徴し、その変革を推し進める政府(とくにムハンマド皇太子)の功績であるべきという強い政治的意図だ。

このことをよく表したのが、2018年6月、女性の自動車運転解禁が決定される前後に起こった、女性の自動車運転解禁を求めてきた活動家たちの逮捕である(Reuters, August1, 2018)。

一方で女性の自動車運転を解禁し、他方でこれを求めてきた人々を拘束することは一見すると矛盾と映る。しかし政府側の論理では、女性の自動車運転解禁という歴史的偉業は政府、とりわけ次期国王と目されるムハンマド皇太子の功績でなければならない。したがって、政府が女性を管理している状況自体は大きく変わっていないといえる。

こう考えると、これまで女性に課されてきた規制が今後も順次緩和されていくとしても、それは女性側の優先順位にしたがって進むわけではないとの推理が成り立つ。こうした点は、女性の自立や社会進出を奨励する一方、夫婦別姓には否定的な意見が根強い日本社会などにもつうじるといえるだろう。

※本稿は、『サウジアラビア—「イスラーム世界の盟主」の正体』(中公新書)の一部を再編集したものです。

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