ポーランド映画の現在地<3>…名門・ウッチ映画大学の「映画アーティスト」の育て方

2024年12月5日(木)14時0分 読売新聞

グディニアのシネマコンプレックスのスクリーン。ポーランド映画祭の会場としても使われた(恩田泰子撮影)

写真を拡大

 ポーランドの映画事情について取材をすると、「映画は文化・芸術として支援し広げていくべきものだ」という考えが、強い根を張っているのを感じる。その文化・芸術の担い手たちを、80年近く輩出し続けているのが、ポーランド中部の都市ウッチにあるウッチ映画大学。グディニアでのポーランド映画祭の取材の合間を縫って、同大の国際関係・交流を統括するマルチン・マラティンスキ氏と、同大スポークスパーソンのクシシュトフ・ブジェゾフスキ氏に話を聞く機会を得た。(編集委員 恩田泰子)

1948年設立

 アンジェイ・ワイダ、ロマン・ポランスキー、イエジー・スコリモフスキ、クシシュトフ・キェシロフスキ……。同大学から世界に羽ばたいた才能は枚挙にいとまがない。日本の石川慶監督や、グディニア・ポーランド映画祭で強く印象に残った「ザ・ガール・ウィズ・ザ・ニードル」のマグナス・フォン・ホーン監督、「アンダー・ザ・ボルケーノ」のダミアン・コツル監督も同大出身だ。

 正式名称は、レオン・シレル記念ポーランド国立ウッチ映画テレビ演劇大学。設立は、1948年。現在のポーランドには、ほかにも映画を学ぶ学校が複数あるが、かつては同大が、ポーランドで唯一の映画学校だった。

 マラティンスキ、ブジェゾフスキ両氏によれば、「設立に動いたのは、『映画は芸術になり得る、人々の力になり得る』と信じた映画関係者、芸術家、映画理論家ら」だ。

 「彼らは価値ある芸術的作品を作るためには映画の学校を作らなければならない、そして映画は芸術だと信じる人たちに来てもらわなければならない、と考えました」

変わらぬ理念「映画は社会に必要なもの」

 設立準備は1939年の段階で整っていたが、第2次世界大戦によって9年待たねばならなかった。社会主義、「連帯」運動の時代、民主化、EU加盟と、政治・社会の状況は変わり続けても、当初の理念は一貫して変わっていないという。

 「映画は社会にとって必要なもので、単なる製品ではない。私たちは『映画アーティスト』を育てたい。賢くてインテリジェンスのある素敵な学生に来てもらうようにしています」

 同大には大別して、監督、撮影・制作、プロデュース、演技の4部門がある。教えるのは、「技術はもちろん、芸術的な『映画作家の映画』をいかにして作るか」。学生の視点や知識を広めるために、映画史に加え、美術史、哲学の授業もある。

 外国人のために英語での入学試験も実施しているが、授業はポーランド語。ポーランド語ができない場合は、合格後の1年間、語学だけを学び、それから、5年間の課程(修士号取得が可能)に入ることになる。

常に「自由」を見据えて

 マラティンスキ氏が強調するのは、「大学は常に『自由』を後押ししている」ということだ。

 「私たちは、どういう映画を作るべきか、強制することはありません。重要なのは、監督が自分でテーマを決める自由があることであり、製作過程においても自由があること」

 ただ、「自由に関しては、今は、一般市民としても、教員としてもすごく難しいことがあると思う。現代のほうが複雑な気がします」とも言う。

 「社会主義時代のポーランドでは検閲がありましたので、それが大問題でした。今の時代は、(商業主義のもと)映画をお金を稼ぐための商品と考えることが問題」だという。

 「『鉄のカーテン』があった時代のポーランドでは、アメリカやヨーロッパの西側諸国の映画は見ることができませんでした。ただ、ウッチ映画大学では、違法ではありましたが、見ることができました。夜、アメリカ大使館やフランス大使館からフィルムを運んできてもらって。禁止されていた本や音楽にも触れることができて、言いたいことも言えました。だから、映画の世界だけでなく、音楽家や画家、文芸作家などあらゆる分野のアーティストが集まってきた。映画には、映像だけでなく、ほかの芸術も一緒に入っているように」。つまり、大学は「自由」の手ごたえを感じることができる場だった。

 翻って現代。「今は、どこにでもいろいろなものがあって、価値のあるものとそうでないものの境界線がわかりにくい。また、人間という生きものは、金もうけのことばかり考えさせられる社会にいると、人間として何が本当に価値があることなのか、あまり考えなくなってしまうものです。ですから、私たちには、かつての教員たちより、すごく難しい課題があると思います」

一方通行ではなく

 ウッチ映画大学では、教員たちの多くが現役の映画人であり、卒業生だ。その一人で、プロデューサーであるマラティンスキ氏は「私たちの大学ではお金のために働いている人はいません」と言い切る。

 「自分がいい例ですが、映画界で仕事をしているので、お金はそちらで稼いでいます。私たちは、映画が社会にとって大きな意味を持つものだと信じていますし、大学から自分が与えてもらった大事なものを、次の世代にも分けていきたいと思っています」

 「もう一つ大事なことは、大学で教えていると、私たちも学生から教えられているということ。一方通行ではありません。おかげで、彼ら若い人たちのこともわかりますし、若い人たちが変えていく世界のこともわかります」

 卒業後の世界がどんなものか、学生にきちんと見せることも重視しているという。ブジェゾフスキ氏は言う。「私たちは修道院のように閉鎖的ではありません。刻々と変化する外の世界ともきちんとかかわっていかなくてはなりませんから」

 たとえば、同大学はネットフリックスと共同でドラマシリーズの脚本の企画開発実習を行っている。「スキルを学び、業界とつながりを持ち、そして何より、外の世界がどんなものか知ることもできるわけです」

世界を広げて

 2005年、国の法律(シネマトグラフィー・アクト)で、映画製作への財政的支援の公的枠組みが新たに規定されたことは、映画大学にとっても非常に大きな出来事だったという。

 「アーティスティックな映画が公的な資金で支援されなければ、映画界は商業化されて、大半の映画が商業主義のばかげたものになる」と、マラティンスキ氏は指摘する。

 「1990年代後半から2000年代前半にかけては、とてもつらい時期でした。ポーランド映画界が(経済的苦境の中で)機能不全を起こしていたことが一因です。いくら大学で文化・芸術としての映画の重要性を説いても、一歩、外に出てみれば商業主義の映画ばかりでは、学ぶ側も教える側も前向きな雰囲気を保つことは難しい」

 映画製作に対する公的支援は、直接、助成の対象となる作品ばかりでなく、映画界全体の未来に影響する。

 ポーランド映画の現在の活力源としては、公的支援に加え、「ポーランドが、他国との共同製作にオープンになったことも大きい」と2氏は言う。

 「ヨーロッパにはポーランドより豊かな国がたくさんあって、それらの国ではポーランドと比べて、より多くのお金が『映画作家の映画』に投じられる。EUも『クリエイティブヨーロッパ』(文化・視聴覚分野を支援するプログラム)を設けている」

何をもって「ポーランド映画」と言うか

 「新しい世代の、外国で資金を見つけることができる人たちも現れるようになった」とマラティンスキ氏は話す。その一例として挙がったのが、マリウシュ・ヴロダルスキというプロデューサーの名前。「ザ・ガール・ウィズ・ザ・ニードル」のマグナス・フォン・ホーン監督とウッチ映画大学時代から組んできた人物だという。「彼のような若い世代のプロデューサーは、監督のパートナーとなって一緒に映画を作る。外国のいろいろなパートナーから資金を援助してもらう才能、手腕を持っている」

 同作は、デンマークとポーランド、スウェーデンの国際共同製作映画で、米国アカデミー賞国際長編映画部門のデンマーク代表になった。

 「EU的なコンセプトを持つ多文化映画と言えるかもしれません。監督のマグナスはスウェーデン人ですが、ポーランドの市民権も持っています。プロデューサーのマリウシュはポーランド人ですが、ほかの国のプロデューサーたちも製作に携わっています。撮影監督はウッチの卒業生でポーランド人。でも、俳優たちはポーランド人ではありませんね……。というわけで、これはポーランド映画か否か。デンマーク人はデンマーク映画だと言いますし、スウェーデン人は私たちの国の監督だと言うでしょうし、私たちも私たちの映画だと言います」

最も大事なのは人を描くこと

 一方、アカデミー賞国際長編映画部門のポーランド代表に選ばれた、ダミアン・コツル監督の「アンダー・ザ・ボルケーノ」に関しては、政界の右派勢力を中心に、「これはポーランド映画ではない」という声があがったという。ウクライナをめぐる物語を、ウクライナ人俳優が演じているからだ。

 「それに対して、監督のダミアンは、とても重要な発言をしました。『人間についての物語を描くのに、ポーランド人俳優を使ってポーランドの物語を描かなければいけないわけではない』と」と、マラティンスキ氏。「彼が語ったことは、我々が信じることでもあります」とも言う。

 「これら2本は『映画作家の映画』でもあるのですが、最も大事なことは、人間性についての映画であるということです。我々は(映画で)人間性を語っているのです」

 だからこそ、同大学は世界に向かって開いている。

 「最も大事なことは『映画』であることであって、『ナショナル・シネマ(国家の映画)』であることではないのです。映画に国境はありません。いい映画であれば、どこの国の誰が作ろうとどうでもいいのです。国粋主義的になることは危険です」(つづく)

ヨミドクター 中学受験サポート 読売新聞購読ボタン 読売新聞

「映画」をもっと詳しく

「映画」のニュース

「映画」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ