「やりたくてやってるんだ」『いだてん』ヒロインたちの反撃に、現代の私たちがスカッとする理由

12月7日(土)17時0分 文春オンライン

いだてん』は、日本の近代史において女性たちが走り続けてきた様を描いた物語でもある。


 それはまるで駅伝のように、あるいはオリンピックの聖火リレーのように、走り続ける人が継承される物語だ。ひとりひとり、自分の区間を走る。そして火は渡される。消えないように、ずっと。物語はつづく。走り続ける人がいる限り。


 とりわけ近代で「女性」が走ってきたことを取り上げたドラマは、大河ドラマ史上、そう多くはない。



女子バレーボール日本代表チーム主将・河西昌枝役を演じた安藤サクラ ©︎getty


『いだてん』は「日本近代フェミニズム史」の物語でもある


 2019年の大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』は、表向きは「日本のオリンピックをめぐる物語」だが、多様なテーマが隠されていた。ある側面からみたら「日本近代政治史」の話もあり、しかし同時に「日本近代文化史」の話だった。それはまるでオリンピックがある面から見たら政治に利用される場であり、しかし国際交流の場でもあり、同時に選手にとって重要な戦いの場でもあることに似ている。


 オリンピック、と一口で言っても多様な側面があることを『いだてん』はくりかえし描いていた。そして『いだてん』という物語もまた、多様な側面から解釈され得る物語になった。


 ある人にとっては、ひとつのドラマが低視聴率の番組になり、ある人にとっては、よくぞ描いてくれたと涙を流す物語になる。


 そしてある側面から見ると、『いだてん』は、「日本近代フェミニズム史」の物語でもあった。


日本近代史はこんなにもスターが多かったのか


 というと、オリンピックの話なのに、なぜフェミニズム史? と首をひねられたかもしれない。だけど実際に『いだてん』は確実にフェミニズムのテーマをしのばせている。一年間視聴した方にとっては自明の事実かもしれないが、日本の近代オリンピックを描いた物語は、たしかに、日本の近代フェミニズム——つまりは「女性の自立をめぐる問題」の歴史を描いていたのだ。


『いだてん〜東京オリムピック噺〜』は、日本が初めてオリンピックに参加した1912年(ストックホルムオリンピック)の出来事から、1964年の東京オリンピックを開催するまでの、明治・大正・昭和の時代を舞台にしたドラマだ。いかにして東京はオリンピックを招致したのか? 日中戦争から辞退することになった幻の東京オリンピックがあった? そもそも体育教育もなかった明治時代にオリンピックへ出場した選手とは? ——日本近代史はこんなにもスターが多かったのか、と驚くような、スポーツと政治と文化と時代の物語になっている。


 当然、52年もの長い期間を描くわけだから、主人公はひとりではない。日本で初めての「オリンピック選手」マラソン競技の金栗四三と、日本で初めてのオリンピック招致に尽力した田畑政治のふたりがリレー形式で主人公になっている。


 その裏で、実は「ヒロイン」も交代している。



女性オリンピックメダリストが続々登場


 大河ドラマのヒロインといえば、普通は主人公の妻や、あるいは主人公が女性の場合を思い浮かべることが多い。しかし『いだてん』におけるヒロインは、女性のスポーツ選手たちである。走り、泳ぎ、投げ、打ち、アタックを決める女性たちが、『いだてん』という物語の、ある面から見た「主人公」だったのだ。


 たとえば『いだてん』第26回『明日なき暴走』は、日本初の女性オリンピックメダリストである人見絹枝の物語だった。主人公であるところの田畑も金栗もあまり登場せず、ただ人見がどのようにオリンピックで戦ったのかを描く回だ。


 さらに第36回『前畑がんばれ』は、日本初の女性金メダリストである前畑秀子の物語。第45回『火の鳥』は、日本初の女性団体競技金メダルを獲得した日本女子バレーの物語だった。




「男は負けても帰れるでしょう、でも女は帰れません」


『いだてん』の冒頭で、のちに主人公・金栗の妻となるスヤが自転車に乗っているが、その足は袴で覆われている。女性がそもそも足を出すことすら「破廉恥だ」となじられる時代だったのだ。実際に父親から「靴下を脱いで走るなんてありえない」と反対される女学生の姿や、人のいない路地でだけこっそりと走る女性の姿も、『いだてん』では描かれている。



 しかし時は下り1928年。日本人離れした能力の陸上選手・人見が100m走で決勝に進めず涙する。そして800mに参加させてくださいと叫びつつ、こう言う。


「男は負けても帰れるでしょう、でも女は帰れません。ニッポンの女子選手全員の夢が、希望が、わたしのせいで絶たれてしまう」。


 男性と女性では、ここで背負っているものが異なる。女が一度でも失敗したら、「それみたことか、女が運動なんて百年早い」と言われてしまう。まだ女は戦っている段階なのだから。——そうはっきりと述べた『いだてん』のヒロインは、たしかに日本のフェミニズムの幕開けを示している。



「変わったんじゃない、変えたのよ」


 人見から更に時代は下り、1963年。第45回『火の鳥』において、「東洋の魔女」と言われた日本女子バレーの選手たちは、バレーの練習を「やりたくてやってるんだ」と叫ぶ。結婚をするのが今よりももっと当然だった時代だ。コーチに婚期を心配され「もっと普通の青春をしたほうがいいのでは」と言われた際、選手たちは自ら「婚期なんて関係ない、こうしてバレーの練習をするのが私の青春だ」と喝破する。





 この様子を見た主人公・田畑は言う。「変わったのかなあ、変わったよねえ」と。


 他人の期待を背負ってスポーツをしていた人見絹枝の時代から、自らのためだと叫んでスポーツに身を投じる女子バレーの時代へ。女子スポーツ界も変わったね、と無邪気に述べる。


 しかしそれに対して、田畑の妻は微笑みながら、呟く。


「変わったんじゃない、変えたのよ」。


 今は当たり前だと思われている、女性が運動すること、足を出して走ること、プールで泳ぐこと、オリンピックに出場すること。それは決して自然なことではない。


 女性が走るなんて、と言われた時代になお走り、戦い、リレーを続けた先で、やっと風向きを「変えた」のである。


「自分のために走ること」が難しかった時代からのリレー


 たとえば一人の戦国武将の生涯を描く大河ドラマとは異なり、『いだてん』は、主人公が代わり、時代が変わる様子を描く大河ドラマだ。伴ってヒロインも、ヒロインを取り巻く環境も変わっていった。だから日本女子バレーボールの物語を見た視聴者はきっと思う。


 ああ、ここまで来るのに、ずいぶん遠い旅路だった、と。


 20代の女性たちが、結婚せずバレーボールで世界一を目指す練習を続けることが、こんなにも歴史を積み重ねた末にある出来事だったことを、視聴者は知っている。各時代の女性スポーツ選手たちは、次の世代へ「女性が自由にスポーツをできる時代」を渡す。まるで駅伝のたすきを渡すように、あるいは聖火リレーの火を渡すかのように。靴下を脱いでも怒られた時代から、オリンピックに出場できる権利を勝ち取り、そして結婚せずにバレーを練習し続ける自由を得た時代へ。



 だとすれば、オリンピックだけでなく、いま女性が普通に過ごしている生活そのものもまた、前の世代の女性たちから火を渡された産物だということに気づく。


 日本が近代という時代を走り続けるとき、同時に「フェミニズム史」というものも静かに、だけど激しく躍動していたことを、知る。


 誰のためでもない、自分のために走ること。それだけのことが女性にとってどれだけ難しかったか。『いだてん』のドラマもまた、次の世代へ渡される火となる。


 変わったんじゃない、変えたのだ。そう述べる『いだてん』のヒロインたちは、たしかに私たちに近代オリンピック史のもうひとつの側面を伝えてくれている。



(三宅 香帆)

文春オンライン

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