伊原六花“バブリーダンス”当時の過酷な練習明かす
2024年12月7日(土)14時53分 モデルプレス
◆伊原六花、高校時代の進路希望は「ダンスを踊り続けられたらいいな」
大阪府立登美丘高等学校在学時にダンス部に所属し「バブリーダンス」で一世を風靡した伊原。高校時代は「大学の入試の準備も進めて」「(芸能界という)選択肢があると思ってなかった」そうで、「ダンスを踊り続けられたらいいなって漠然と思ってました」と振り返った。
ダンス部でキャプテンだった伊原は、およそ100人の部員をまとめるのは「めちゃくちゃ大変でした」と回顧。当時「1年生の時に3年生が初めて(全国大会で)優勝して、その次の代も優勝して。三連覇がかかってる年でキャプテンだった」とかなりのプレッシャーを抱えての活動だったという。さらに「下手くそだったんですよダンスが…そもそものスキルもないし人数も少ないし」と部員の多くが初心者であり「史上最悪の代」と言われていたそう。当時、体育館が使えず練習は夏も冬も屋上という過酷な状況で、さらに裸足で練習していたといい「夏の鉄とか鉄板なんですよ。冬も雪降ってる中半袖で踊ったりとか」とも語った。
すると、MCのKis-My-Ft2・藤ヶ谷太輔が「夏の鉄板はあれなんですけど、冬の半袖は上を着たらいけないとか?」と質問。伊原は「着てもいいんですけど、ギリギリを攻めているので結構着てると重いんですよね。体が疲れちゃうので、できるだけ身軽に」と返答し、藤ヶ谷を納得させていた。
◆伊原六花、現在の活動に活きるダンス部での経験
ダンス部での3年間は「“人と意見交換する”とか、“円滑に進めるには”とか、社会でも必要な人間関係みたいなのをすごい学んだ」という伊原。当時の経験があるからこそ「ちょっとやそっとあっても基本的に体力と(精神力と)、そういうのは培ったと思います」と笑顔を見せていた。(modelpress編集部)
情報:TBS
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